聖女の兄~回帰した元魔術師は最年少神官となって暗躍する~
久浪
【第一話】王宮魔術師の人生の終わり
「よお、同期の星様!」
溌溂とした声と共に、青年──ルキは背を叩かれた。
前のめりになった拍子に、下から支えていただけの十数冊の魔術書を取り落とし、それらはルキの足の甲に雪崩落ちた。
「~~~~~~ったい!」
鋭い痛みに襲われ、ルキは思わずうずくまった。
「あ、ごめんごめん」
ルキが涙が滲む青い瞳で見上げると、同期の魔術師が全然悪びれた様子なく笑いながら、落ちた魔術書を拾いはじめた。
ルキも散らばった本を拾いつつ、ぶっきらぼうに「何か用か?」と同期に尋ねる。
「この前の古代魔術の論文で、いよいよ賢者に推薦かって聞いたけどどうなんだよ?」
「そんなに簡単に賢者になれるわけないだろう?」
ため息をつきながら、全ての魔術書を再び手にし、ルキは立ち上がった。
「また研究室に缶詰か?」
「研究できるときにしたいからな」
「どうしてそんなに無理して急ぐんだよ。同期にも近い先輩にもおまえの競争相手なんかいないぞ」
「別に俺は誰かと競争してるわけじゃない」
「? じゃあなんで」
「……高貴な人に会いたいから、かな」
──同期一番どころか、同世代の魔術師で一番の出世頭
高名な師に見いだされ、周りから見ても散々にこき使われながらもへこたれず、ただただ邁進し続ける努力の鬼でもある魔術師。
周囲からそんな共通認識のあるルキの言葉に、同期の男は呆気にとられた……のもつかの間。にやりと笑って、ルキの肩を小突いた。
「貴族のマダムに横恋慕か?」
「そんなんじゃない」
「じゃあなんだって言うんだよ」
ルキは口元に曖昧な微笑みを浮かべるばかりだった。
同期がまだまだしつこく追及するのもどこ吹く風で、こいつをどこで撒こうかと考えながら研究室の道を辿る。
時間が惜しいのだ。
誰と競争するわけでもなく、地位が欲しい。平民でも貴族のような扱いを受けられるのは魔術師の最高位・賢者のみ。
貴族になりたいわけではないが、貴族と同等の地位でなければ顔さえまともに見られない存在がいる。
そのためなら──ルキの魔術書を持つ手にぐっと力が入った。
「月の聖女様がお亡くなりになったそうだ」
手に入った力は、側を通った別の魔術師の小さな声に、ふっと抜けた。
ルキは再び、持っていた魔術書を取り落とすことになった。
またもや足の甲に落ちた本に、今度は苦悶の声は上がらなかった。そのときばかりは何も感じなかった。
「あーあーまた何してんだよ。……ルキ?」
もっと近くの友人の声さえ耳に入らず、ルキは目を見開いていた。
「……リリーが、死んだ?」
ルキ・ラウンズには、三つ年下の妹が一人いる。
すみれ色の瞳に色素の薄い艶やかな金茶の髪。
微笑めば花が恥じらう可憐な少女。
もっとも、瞳の色以外の情報は全て人づてか新聞によって得た情報で、ルキは直接見たことはなかった。
彼女は髪も生えそろわぬ生まれてすぐのころに聖女として聖教会へ引き取られ、平民かつ神官になる才もなかったルキには会えなくなってしまったのだ。
結局、生きている内には一目も会うことは出来ず終いだった。
20歳の誕生日を迎えたばかりの聖女が死んだ。
若き聖女の死は新聞や巷の噂で大いに話題になり、注目を集めた死因は神聖力の使いすぎによるものだと聖教会から公表された。
魔術師の代表として葬儀に参加することになった師の供として、ルキは聖教会に足を踏み入れた。
赤ん坊のとき以来に対面した妹は棺の中にいた。
明日に葬儀を控えた夜中、遺体が安置されている地下に忍び込んだ。
儀式用の花が詰まった白い棺の中。
真っ白な衣装に包まれ、腹の上で手を組み、まるで眠っているかのようだった。
今にも切れそうなほど細い髪の毛に艶はなく、青白い肌は化粧で取り繕われ、指はほっそりしていると言えば聞こえはいいが骨だけのような細さ。
「リリー……」
なぜ死んでしまったのか。無理せず、生きていてくれればそれだけで良かったのに。
ルキは思わず手を伸ばし、顔にかかるベールを避けた。その下から現れた顔に、ルキの手はぴたりと止まる。
ベールの下には、化粧で取り繕う必要がないとばかりに頬は痩け、唇が荒れた哀れな少女がいた。
王族と同等の扱いを受ける聖女の姿とは思えない有り様だった。
ルキは、聖教会入りしてから耳にした神官や神官見習いたちの噂を思い出していた。
『泣いてばかりの聖女』
『人形のように神官長に従う聖女』
『どんどんやつれていく聖女』
『過労死か、服毒自殺か、殺人か』
──まさか、あれはただの噂ではなく
笑い声が聞こえた。
地下に降りてくる足音と声が響いている。
「明日遺体を燃やしてしまえば、誰も気がつかぬ。聖女はもう一人いるから役目には困らぬよ」
地下室の扉の前に数人の気配がしたが、ルキは身を隠そうとも思わなかった。
「なぜ鍵が──中にいるのは誰だ!」
扉が開き、灯りが聖女の遺体の元にいるルキを照らした。
「貴様! そこで何をしている!」
ルキは妹の髪を撫で、ベールを元通りにしてから振り向いた。
地下室に来たのは、神官二人を従えた──今日顔を知ったばかりの神官長だ。
髪の間から覗くルキの青い瞳は爛々と光り、神官たちはたじろいだ。
「聖女が死んだのは、おまえたちのせいだな」
ルキの一言に、神官長がはっと我に返り、地下室の階段上に向かって叫んだ。
「侵入者だ! 捕まえろ!!」
ルキは棺の中から妹の遺体をそっと抱き上げた。その体はひんやりと冷たく、ルキの心は痛んだ。
可哀想なリリー。
神官長は聖女殺害を隠蔽するつもりだ。告発を一瞬考えたが、神官長は貴族たちと繋がりを持っているはず。告発が揉み消され、自らも消されるのが落ちだ。
それどころか今から、聖女の遺体に冒涜を働いたとかで追われることになる。
「聖女様のご遺体を返せ!」
駆けつけてきた衛兵が槍を手に突っ込んでくる。
ルキはそちらに指をすいっと動かす。
「障壁 術式展開」
最低限の魔術式を書き、発動。
衛兵たちは見えない壁にぶつかり、尻餅をついた。
「衝撃波 術式展開」
壁を破壊し、ルキは妹の遺体を抱き、その場を逃げ出した。
遺体を手に首都を抜け出すのは、普通なら簡単ではないが、魔術師として優れた技術を身に付けていたルキには造作もなかった。
幻覚の魔術で人々の視覚をごまかし、首都を脱出した。
「……なんでだよ、神様」
会えなかったとしても、ルキにとって彼女は大切な妹だった。
生まれたばかりのときに、両親に抱かせてもらったあの小さな温もりを覚えている。妹が神官に連れていかれた日、ルキもまたたった三歳だったが鮮明に覚えている。
物心がつき両親に妹の行方を聞いてから、妹が幸せでありますようにと子ども心に願い、大人になっても願い続けた。
神聖力がなく神官になれなくとも、平民でも出世できる魔術師になればいつかはと思い、聖女の噂に耳を澄ませながら精進し続けた。
妹は絶対に幸せな人生を送ると信じて疑わなかった。
聖女は神の寵愛を受け、特別に加護をもらった、人間の中で個人として神に認識された特別な存在だ。
「リリーを愛してくれていたなら、なんでこの子が二十歳で死ななきゃならない……! なんで……なんで、守ってくれなかったんだよ!!」
聖女の死に、誰もが「それが運命だったのだろう」と言った。
運命の導くままに。良い人生が送れますように。悔いのない人生が送れますように。
自分たちが信仰する神を仰ぎ、人間はそう言う。何が起こってもそれは運命だったのだと納得する。そうやってどんなに辛いことにも救いを見出だすのだ。
ルキも祈っていた。
妹の人生が良い運命に恵まれますようにと、一日も欠かさず祈った。その結果がこれだ。
ルキには到底受け入れられなかった。
憤りと悲しみにまみれながら、ルキが無意識に、ひたすらに目指したのは故郷だった。
けれど、聖女の遺体を持ち出した重罪人を追うのは最強の追っ手だった。
「っ」
魔術が砕け、ルキは吹き飛ばされ、体を強かに打ち付けた。
腕の中の妹だけをこれ以上傷つけまいと庇う。
「ルキ・ラウンズ、投降しろ」
地面に転がるルキに近づく追っ手はたった一人。
黒い制服に身を包み、手には剣を持つ男。
その剣は、先ほどルキの魔術を斬ってみせた。
──魔術さえ斬る剣技の使い手。その最高位、ソードマスターの一角に連なる男は魔術師にとっての天敵だ
眼光鋭く、緑の目がルキを射抜く。
「抵抗せず、聖女様の遺体を返し、捕縛に応じろ」
「断る」
「聖女の遺体をどこへ持っていくつもりだ」
「言うつもりはない」
「投降しなければ、命によりおまえをここで殺すことになる」
「ならそうするしかなさそうだぞ。俺は投降なんてしない!! 大地の槍 術式展開!」
叫ぶとともに槍の形に地が盛り上がり、ルキが敵と定めた者に襲い掛かる。
しかし、一振り。男の刃が魔術のみならず、その先にいるルキをも切り裂く。
「くっそ……ローウェン・アスター……相変わらず、さすがだよ」
傷が深い。どうあっても逃げられそうにはないことを悟り、ルキは後ずさる。
ルキの後ろには崖があるばかりだった。
よろめくに留まらず、崖の端にまで足をかけたルキに、追っ手がはっとした表情をし手を伸ばした。
その手が届く前に、ルキは身を投げた。
「──ルキ!」
崖の上から降る声に、ルキは目を閉ざし、腕の中の存在を抱きしめた。
「神様……」
ルキは思わず祈ったが、『運命の神』に祈るわけにはいかず、口が強ばる。
そのとき、半年前見つけた遺跡で解読した神話を思い出した。
──昔々、人間は神の中から、全ては運命に収束すると『運命の神』を信仰の対象に選んだ
「……■の神様……俺は、かの神によって与えられた『運命』が受け入れられない……リリーを、元気な頃の妹の人生を返してくれ……!」
そうしたら、きっと、俺が守るから。
ルキは自らの全てを捧げる気持ちで祈り、落ちていく中、ある一つの声を聞いた──
*
拝啓 父さん、母さん
元気ですか。
俺は元気です。家を出て三年、神官として上手くやっています。
何かと忙しく、ペンをとることが出来ませんでした。これが最初の手紙となることを許してください。
さて、早速報告です。
当初の予想より随分早くリリーの側にいられるようになりました。
というのも泣いてばかりいたリリーのことを、俺が泣き止ませられたからです。歳が近いのでちょうどいいということで、そのままリリーお付きの神官になっています。
あ、リリーはもう泣いていません。安心してください。誰にも泣かせません。
再会したばかりのとき泣いていたのは神官長のせいでしたが、それも安心してください。もうそんな口実は与えません。
リリーはもう立派なレディで、聖女の任さえこなすでしょう。
十歳のリリーは大変可愛らしいです。
七歳の頃からの成長しか見守れないのは残念でしたが、ずっと見られないよりはいいと思うことにしました。
父さんと母さんの分まで、リリーの成長を見守っていきます。
こちら首都では、聖女の身にあったことは何でも新聞に載るのですが、そちらまで届いているでしょうか?
であれば、毒殺未遂という物騒な話が聞こえてきているかもしれませんが、それも安心してください。
リリーの口に入るものは全部浄化していますし、リリーに近づく者も全員浄化していますし──
「おっと、本当に全部書くところだった」
ルキは、ぴたりと手を止めた。
ベッド、机、椅子、衣服を仕舞う小さな衣装箱。以上のものしかない質素な部屋で、ルキは机に向かっていた。
窓から見える早朝の空を眺め、足をぷらぷらさせながら、「うーん」と唸る。
「『前回』は今頃だって故郷にまだいたけど、毒殺未遂とか聞いたことなかったんだよな。『今回』神官長が根回ししてたことを思うと色々隠蔽されてたんだろうな、やっぱり。まあ『今回』はそれを潰して新聞に載らせて事を大きくしてやったしな……」
余計な心配をさせるようなことは書かなくともいいだろう。両親は文字を読めないから、代読サービスを頼む関係もある。
ルキはそう結論付け、新しい便箋を取り出し、ペンをインクにつけた。
「リリーの近況だけ書いておこう。ええっと、十歳の誕生日には──」
ペンを持つ手は大人と比べると小さく、足は床につかない。
体格も華奢で、大人の手に払われれば倒れてしまうだろう。
ルキ・ラウンズ13歳。
聖教会にて、神官として二度目の人生を送っていた。
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