Ep.4 一問一答

 体内に残留していた麻酔薬の影響で呂律が回っていなかった篠莉の声も次第に鮮明になって、時間が経つにつれて徐々に平静を取り戻してきた俺は、未だ解消されていない疑問をひとつずつ解き明かしていくために質問を続けた。


「そもそも篠莉の話が確かなら、俺が何者かに殺される時ってのは、まだ当分先なんだろ。だったら何故、今日俺は命を狙われたんだ……?」


 俺の問い掛けに対して、篠莉はいまいち歯切れの悪い返事をする。


「どうかな……。これは仮説だけど、という事実が、何か運命の歯車を狂わせたのかもしれない……。」


「篠莉にとっても予定外の出来事だったってことか。」


「そうだね。私は7年後に訪れる宗助の死を回避するために、それまでに与えられた猶予の中で未来を変える。そのはずだったんだけど……。」


 戸惑いを隠せない篠莉の様子から察するに、銃を持った謎の暴漢に襲われるといった事件は彼女が先んじて歩んできた未来には起こり得なかったことであり、早くも彼女の時間遡行タイムリープによる影響が現代において顕在化したらしいことが分かる。


「篠莉は、2030年の未来を生きていたという事実があるから、銃に撃たれても死ななかった。そう言っていたよな。」


「簡単に言うと、その通りだよ。より正確には、私の生存という事象を保証してくれる観測者オブザーバーの存在が鍵なんだ。私の家族から友人・知人に至るまで、多くの人が私の将来を裏付けてくれているからこそ、私は死なずにいられる。」


 全てを打ち明けた後、篠莉の語彙や口調は、今までのそれとは微妙に異なっていると感じられる。元々俺よりも遥かに頭が良く、学校でも定期試験の度に全教科で上位を独占するほどの篠莉だが、長年を共に過ごしてきたからこそ分かるその僅かな違和感によって、俺は彼女が本物の時間遡行者タイムリーパーであることを嫌でも認識させられた。


「だけど、どうやってだよ。常識的にというか、科学的に考えればという理由だけで、致命傷を負っても無事でいられるなんてあり得ないだろ。」


 そう反論を試みると、篠莉は待っていましたと言わんばかりに口を開く。


「因果律の収束──と言っても、分からないよね。」


 耳馴染みのないその単語に、俺は首を振って説明を求める。


「要するに、今の私は何をされても、2030年のという結果に向かって行くだけなんだ。だから極論、どんな傷だろうが治療を受けなくとも自然回復するし、その速度も普通ではあり得ないほどだよ。流石に銃に撃たれれば普通に痛いし、血もでるけどね。」


「まさか……!」


 平然と言ってのける篠莉に対して、俺は得も言われぬ不安感に襲われる。


「篠莉は自分が絶対に死なないことを承知の上で、あの場で俺を守るため咄嗟に──」


「うん。でも、こんなにも早く宗助の命が危険に晒されることになるとは、夢にも思わなかったけど……。だから、宗助が命を狙われている理由や敵の正体を暴くことができるその時まで、私が宗助の身代わりになり続けることも覚悟の上だよ。」


 篠莉の話を聞くにつれて、俺が胸に抱いていた嫌な予感は、奇しくも的中してしまった。俺はここが病院の個室で、相手が重症患者であるということも忘れ、怒りや悲しみが複雑に入り混じった大声を張り上げる。


「ふざけるな!」


「そ、宗助……?」


「篠莉が不死身になったからって、俺の代わりに傷付いてるお前の姿なんて見たくない! お前が撃たれて病院で治療を受けてる間、一体俺がどんな気持ちで……! とにかく、今日みたいなことは、二度とないようにしてくれ!」


 気付いた時には、俺は命の恩人を目の前にして説教を垂れるどころか、情けなく涙まで流していた。しかし、俺は篠莉のことを自分の命よりも遥かに大切に想っているからこそ、彼女が俺のために傷付くことを止められなかったという事実が何よりも悔しく、自然と感情が爆発してしまった。


「ご、ごめん。私も宗助が命を狙われていることで頭が一杯で、貴方の気持ちを蔑ろにしてた……。」


「本当だよ。篠莉を犠牲にしないと助からない命なんて、俺ははなから要らない。」


 これが俺の嘘偽りない本音である。大切な幼馴染に血を流させてまで得る九死に一生など、地獄の閻魔にでもくれてやると豪語できるくらいには、伊達に何年もずるずると好意を寄せていない。


「分かったよ。流石は私の未来のお婿さんだね……。」


「あ……。」


 何の気なしに放たれた篠莉の一言に、俺の脳はたちまち思考を停滞させる。


「そうだった……! 驚きの連続でさらっと受け流してたけど、俺と篠莉が7年後に結婚って──」


「今更そこに突っ込むんだ……。思い返せば、私たちが付き合い始めたのも丁度今頃の時期だったかなぁ。」


 瀕死の重傷を負っていた篠莉を前に冷静さを欠いていた俺だが、時間の経過と共にという衝撃的な事実を脳が認識し始め、顔面に朱が差していくのを自覚する。


「てことは、俺が篠莉のことをずっと好きだったってこともバレてるのか……。」


「そう言えば、いつ頃から宗助が私を好きで居てくれたのかなんて、聞いたことなかったなあ。へぇー。って、具体的には?」


「なっ、墓穴を掘ったか……。」


 激しい感情の起伏に苛まれ続けていた俺たちの間には、久方振りに緩やかな時間が流れ始め、篠莉が背凭れにしている白い枕のカバーに散らばる艶やかな髪は、美しい薄紅色に変わっていた。気分の高揚を示す赤系統の色が混ざっているということは、余裕そうに振る舞っていながら、その実は少なからず彼女も恥ずかしがっているのだろう。そんなことを呑気に考えていた時──。


「お取込み中のところ失礼致します。少々お時間よろしいでしょうか。」


 篠莉との会話に夢中になっていたために直前まで気が付かなかったが、突如として背後から個室の扉が開く音と同時に、彼女の母・和子を連れて医師がやってきた。


「宗助、ここからは私に話を合わせてほしい。」


 2人が病床に歩み寄る前、篠莉はベッド脇の椅子に腰掛ける俺に小声でそう耳打ちした。どうやら彼女は、実の母にさえ自らが時間遡行者タイムリーパーであることを打ち明けるつもりはないのかもしれない。俺は、そんな彼女の覚悟を尊重するために、真剣な眼差しでひとつ頷いた。


「早速自力で起き上がってお話しされているとは……。」


 篠莉の驚異的な回復力に、その非科学的な絡繰りなど知る由もなく、白衣を身に纏った医師はポケットから取り出したボールペンでカルテに筆を走らせながら、目を丸くして驚いている。そして、再び病室へと戻ってきた和子小母さんは俺と篠莉のもとへ近づいて、交互に目を見合わせた。


「間が悪かったかしら……。」


「いえ、俺たちも一通り話し終えたところです。」


「お医者様から篠莉の予後について、報告があるそうよ。もし良かったら、宗助くんも聞いていってくれる?」


「分かりました。」


 全員の注目を集めたことを確認してから、咳払いをして男性医師はゆっくりと口を開いた。


「搬送時は一刻を争う重傷でしたが、過去に類を見ないほど目覚ましい回復速度です。この調子なら、明日には引き続き入院してリハビリに励むか、退院して自宅療養に切り替えるか──どちらも可能であると考えますが、如何致しましょうか。」


「すぐに退院させてください。」


 医師の問いに対して、篠莉は隣で心配そうに彼女の手を握っている母親へ相談するでもなく、一寸の間も置かずに迷いなく答えた。


「ちょっと篠莉……。私は、もう暫く病院で経過を見守った方が良いと思うんだけど──」


「私にはやるべきことがあるの……。」


「えっ……?」


 誰の耳にも届かないほど小さな声で呟いた篠莉は、和子小母さんの方へと向き直って冷静に告げる。


「私なら大丈夫。それに、もうすぐ夏休み前の定期試験なのに、病院に居たら勉強できなくて成績下がっちゃうもん。入院費だって馬鹿にならないだろうし、家の方が居心地良いから。」


 もっともらしい理由を並べ立てて母の説得を試みる篠莉だが、先程の会話内容から推察するに、俺のもとへと必ず訪れる死の運命を変えるため未来よりやってきた彼女は、想定よりも遥かに早く俺へ命の危険が迫っていることを身を以て知り、焦燥感に駆られているのだろう。


「そこまで言うなら……。分かったわ。明日改めて車で病院まで迎えにくるから、今日のところはゆっくり養生してね。」


「それでは、そのように手続きを進めて参ります。」


 そう言い残すと、医師と和子小母さんは、またそそくさと病室を後にした。



 ¶



 漸く全てが終わった頃、時計の針はゆっくりと頂上を目指して振れ動き、そろそろ終電を意識しなければならない時間となっていた。


「俺もそろそろ帰らないとな……。」


「ねえ宗助、今日は病院に泊まっていきなよ。」


「え!?」


 篠莉の突飛な申し出に思わず驚きの声を上げてしまうが、彼女の心配そうな視線により、すぐにその意図を汲み取ることができた。


「いやぁ、流石にうちも親が心配するし、家族でもない部外者の俺が居残るのは病院側も許可してくれないんじゃないか……?」


「でも──」


 俺の身を案じているのか、必死に食い下がろうとする篠莉の肩をぽんと叩いて続ける。


「そんなに不安そうな顔するなよ……。自分に身の危険が迫っていると分かった以上は、十分用心するようにするさ。」


「約束だからね……。私が居ない間にまた襲われて死んじゃうなんて、絶対嫌なんだから。」


「分かってる。約束だ。」


「それに、2023年は時間遡行装置タイムマシンもまだ研究段階だから、もしこの時代で宗助が死んだら二度と助けてあげられない。もう後がないの……。」


 俺にとって7年後に自分が殺されると告げられたところで想像もつかないが、余程凄惨極める光景だったのだろうか。篠莉は次第に嗚咽を漏らし始めた。


「わ、悪かった。嫌なこと思い出させたな……。」


 声を押し殺しながらもベッドシーツに涙の染みを作っていく篠莉があまりにも不憫で、それでも何もしてやることのできない己の無力さに腹が立つ。しかし、彼女はそんな俺の手をとって、大切そうに両手で握り締める。


「証明して。」


「えっ……?」


「絶対に死なないって。生きて私と結婚してくれるって……。」


 篠莉の言葉に奮い立たされ、漸く決意を固めることができた。そうだ、俺にできることは、必ず生きて将来を彼女と共に歩むことだけだ。胸に秘めたるその思いを伝えるべく、俺は彼女の身体が痛まないようそっと抱き寄せ、背に腕を回す。


「今は、これで許してくれるか……?」


「うん。」


「篠莉が二度も救ってくれた命だ。何があろうと、俺は死なない。」


 誠心誠意を尽くした俺の返答に、彼女は満足そうな笑顔を咲かせた。


 だが、事はそう簡単に運ばなかった。俺はこの後、将来の花嫁と交わした口約束を守るために奔走する中で、それが決して一筋縄ではいかないと痛感することになるのだった。

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