第35話 二人目の記憶
白浜の家にあるティーカップの破片は警察が徹底的に調べることになった。その結果を待つ間、俺は記憶にあるもう一人の女子のことを調べることにした。
「浅井さんに知らせなくてここに来ていいの?」
天宮が少し咎めるように見てきた。
「仕方ないだろ。外出は一切ダメだって言われたんだから」
俺は小声で返して本を眺める。ここは彰と来た熱海図書館だ。この前は彰しか思い出せなかったが、あのソプラノ声の女子と同じグループなら一緒に来たはずだ。
――やっぱり、修学旅行に図書館なんて変だよ。
それはあのソプラノ女子の声だった。
――修学旅行は学習するのが目的だから間違えではない。
彰が本から目を上げて言った。
――千陽も勉強したらどうだ?
――嫌だね。
女子の視線がこちらに向けられているような気がした。高鳴る心。それは俺の感情だった。当時の自分の心を直に感じて俺は動揺した。
――お前、赤点だったもんな。
――うるさい修一。
「また、思い出せたの?」
「あぁ、あの女子だ」
俺は天宮に詳しく説明できなかった。当時の俺がその女子に向けた感情は好意だった。
――高校行かないって、どうしてなの?
まただ。図書館を出て少し歩いたところだった。記憶の場所は道路だった。想起されたのか?
――奨学金が負担になるからだ。そのまま働くさ。
――約束したじゃん、一緒に同じ高校に行くって。勉強だってあんなに頑張っていたのに。
女子は泣いているんだろうか。何かをこらえるように俺は拳を作っていた。思い出した俺は高校生にならなかった。当時能力がなかったし、奨学金を返せる当てがなかったからだ。
「記憶がまた戻った」
「記憶が戻りやすくなっているみたいね。もう一度修学旅行で寄った場所に行ってみる?」
俺は頷いた。
伊東旅館前を歩いていると、海辺に生徒たちが集まっていた。それは記憶の中の光景だった。夜のとばりの中、花火が撃ち上がっていた。
中心にいるのは、あの少女だった。杖を上に掲げて、そこから黄色い火の玉が上がる。それは夜空で破裂し黄色い火花を散らした。
――千陽とは高校の件は仲直りしたのか?
黒田彰が訊いてきた。柏野千陽、そうだ。それが彼女の名前だった。
――いや、その話題を避けているだけだ。
――そうか。
花火は再び上がる。今度は赤い花火だった。
――赤はストロンチウムだ。
俺は苦笑いを浮かべていた。それから紫、緑と花火が上がる。
――青はないみたいだな。
――綺麗な青を出す配合は見つかってない。
俺は遠い目をして楽しんでいるクラスメイトを眺めていた。
――最後はとっておきだよ。
柏野がそう言って杖を振るうと、巨大な黄色い火の玉が現れた。その中にはたくさんの赤い火の玉が入っている。柏野はこっちを見ていたそんな気がした。それが撃ち上がると、上空で赤い火の玉が広がり、そして、紫色の火花が散った。綺麗な光景だった。
「何、空を見上げているんだか」
隣で天宮が目を細めてこちらを見ていた。
「記憶が戻ったんだ」
「知ってる。鼻の下伸びているわよ」
俺は慌てて顔を触ったが、すぐに嘘だと気が付いた。
「嘘じゃないか」
天宮は答えずに不貞腐れたような表情で海を見ていた。
「私の分もお金払わなくていいのに」
「付き合ってもらっているんだからそこは気にするな」
虹の郷に入りながら天宮に言う。こういう時、天宮は律儀だ。それが彼女のいいところではあるけど、律儀すぎて悪い男に騙されないかと心配になる。
当の本人はどこか遠い目をしてハーフティンバーの建物を見ていた。
「なんだか、少し前のことなのに懐かしいね」
「そうだな」
あの時は白浜がいた。裏切られたのにこうして寂しく感じるのは信頼していたからなんだろうか?
「今回は歩いていくか?」
「いいけど」
天宮は残念そうに本を畳んだ。汽車で読む気だったらしい。こんなときに本を読むなんてどうかとも思うが、彼女らしくて笑ってしまう。
二人で線路沿いの四季街道を歩く。季節は春だからか桜が咲いている。こうして歩くのも悪くないな。
「いい景色だな」
――だよね。彰くん、勉強したいからって一人で汽車を使うのはどうなんだろう。
――あいつはあれでいいんだろ。
――ほんと昔から変わってないね。
――言えてるな。
千陽の爽やかな笑い声が聞こえる。
――でもこうして二人になれたのはよかった。聞きたいことがあったから。
千陽は顔は見えないがこちらを見ているようだった。
――小学生のころ、将来の夢の話をしたよね。
――二人で金持ちになるんだったな。現金な子供だったな。
「中沢くん?」
天宮の声が聞こえたが、女子の姿にかき消されてしまった。
――お金はあくまで手段だよ。目的は幸せになること。
千陽なら幸せになれるかもしれない。でも能力のない俺がいたら足を引っ張るかもしれない。
――能力なんて関係ない。
――心を読むなよ。……お前は二つの能力やおごらない優しい心を持っているじゃないか。
持ちすぎなんだよ。俺には何もないのに。
――ごめん。
――いや、俺が悪い。お前が謝る必要なんてない。
彼女に言わせてしまった罪悪感と自分の心を打ち明けてしまった後悔が襲ってくる。
――冒険に行くんだよね。私も一緒に行っていい?
――いいのか?
千陽ははっきりと頷いた。陰になっていた顔が徐々に見えてくる。
――ありがとう。
――うん、一緒にお金を稼いで幸せになろう。
染めた茶色の髪にリスのような可憐な顔が見えてきた。その頬は赤く染まっていた。見覚えのある顔だった。
千陽の顔は廃旅館で見たお皿の上に乗っていた生首と同じ顔だった。
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