第18話 旅館

 伊東北通行所を通り、伊東市に入ると、人が暮らしている光景がそこにはあった。太陽はやや落ち始めている。

「お疲れ!」

 俺はみんなをねぎらった。手を挙げると、

 天宮は仕方ないとばかりに手を合わせてきた。なぜか白浜も手を合わせてきた。ノリがいい。

「ありがとうございました」

 白浜は丁寧にお辞儀をする。疲れているようだったが、その表情は明るかった。

「自宅まで送ろうか?」

「じゃあ、お願いしてもいいですか?」

 白浜ははにかんだ。俺たちは頷いて、白浜について行った。

 

 彼女の自宅はワンルームのマンションだった。「埃っぽいですけど」と部屋も案内してくれて、紅茶をごちそうしてくれた。訊けば、両親と住んでいた自宅は税金がかかるということで売却してしまったそうだ。

「そうだったんだ。苦労はしてない?」

「市のアルバイトをさせていただいているので、大丈夫ですよ。学校にも通っています」

 俺は綺麗に整頓された室内や戸棚に均等に飾られているティーカップを見て、部屋には性格が出るな、としみじみ感じてしまった。

 いてぇ。なぜか天宮に肘打ちしてきた。

「あまり見ないでください」

 白浜が恥ずかしそうな顔をしていた。

「そのティーカップが気になって」

「白浜さんは紅茶が好きなの?」

「はい、紅茶が趣味でして」

「いい趣味よね。この紅茶もおいしいわ」

「良かったです」

「しかし、こんな高そうな紅茶だと、お金もバカにならないんじゃないか?」

 俺が一口飲んで訊くと、白浜は困った顔をして、

「はい、ちょっと、無理しています」

 と微笑んだ。

「これロンネフェルトの紅茶よね。ミルクティの合う」

「ですです。ストレートも美味しいですけど、ミルクティーが最高なんです」

 なんか女子の世界だな。俺は椅子に座りなおした。男の俺は少し肩身が狭い。

「泊まる宿泊施設はどこにします?」

 話が一巡したらしい。

「実は大川旅館と言うところに泊まりたいんだ」

「あっ、そこなら知っています」

「そこでもいいか?」

 天宮にも訊いた。

「そこが修学旅行の時に泊まった旅館なの?」

 俺が頷くと、白浜が不思議そうに俺たちを見ていた。

「もしよければですが、わたしもご一緒してもいいですか?」

「もちろんよ」

 俺たちは頷いた。もう白浜も仲間みたいなものだ。


 海沿いのホテルに行くために、古き良き日本の原風景が残る伊東大川いとうおおかわ沿いの小道を歩いていく。みんな少し疲れているのか、口数は少なかった。

 旅館は和の外観で贅沢な作りの建物だった。受付で空きがないか確認すると、大丈夫らしく。なんと食事も用意してくれるらしい。

 天宮は珍しく興奮を隠しきれないでいた。目的は彼女が好きなお風呂だろう。

 さっそく部屋に荷物を置き、お風呂に直行した。

「お風呂、よかったわ」

 風呂上りに夕食に向っていると、珍しく天宮は饒舌だった。その横で白浜は苦笑していた。

「少しのぼせました」

 と俺の耳元で小声で囁いた。付き合ったらしい。

 夕食は食べ放題だった。みんなで乾杯を済ませて、運んできた食べ物に手を付け始める。

 お寿司の握りや、ラザニアなど、どの料理も絶品だった。白浜もデザートのケーキが好みだったらしく、満足していた。

「ねぇ中沢くん、お風呂で相談したんだけど、白浜さんを私たちの冒険者グループに入れるのはどうかな?」

 俺は驚いた。もちろん――。

「いいな、賛成」

「実はわたしの方からお願いしたんです」

 それは嬉しい相談だった。

「決まりだな」

「うん」

 珈琲を飲んでいた天宮が嬉しそうな顔をした。

「白浜さん、今日からよろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「じゃあ、また乾杯しようぜ」

 俺はグラスを掲げて、

「新しい仲間に」

 と声を上げる。

「乾杯」

 グラスを合わせた。

 テーブルの盛り上がりが最高潮に達したとき、不意に女性の驚くような声がした。見ればお客の一人がよろけて、通路側の席に座っている白浜の肩に当たったように見えた。同時に白浜の体勢が崩れて、手がティーカップに触れた。その反動でティーカップは落ちて、テーブルが陰になり見えなくなった。

 しかし、白浜がティーカップの側面を掴み、拾いあげていた。

「白浜さん、すごい!」

 と天宮が拍手した。

 白浜から笑みがこぼれた。なんというか、ティーカップへの熱なんだろうか。

「すみません」

 六十代くらいの女性が謝った。

「大丈夫ですよ。気になさらないでください」

 白浜は微笑んで、手の平に付いたコーヒーをハンカチで拭っていた。本当に優しい子なんだろう。

「中沢さん、ここに修学旅行に来たのって秋ごろですか?」

 話題は中学時代の話になり俺に話題が向けられる。

「実は季節はわからないんだ」

 俺は正直に白浜さんに記憶喪失であることを打ち明けた。

「そうだったんですか」

 白浜は心配そうに俺を見ていたが、

「わたしも記憶探し手伝います」

「今、修学旅行先を回っているのよ」

 天宮が説明してくれた。

「だから一緒に来れば旅行先で中沢くんがおごってくれるかもね」

 天宮はそう言ってニヤニヤと俺を見てきた。

「それだと俺が財布みたいだな」

 俺が自嘲気味に言うと、

「でも、さすがに悪いですし」

「いい、いい。付き合ってくれたらおごるよ」

 俺ははっきりと言った。お金に関しては冒険で少し余裕が出てきたところだった。


 夜、いつものように施設に電話をかけようと、売店で買ったお菓子を並べて打ち上げしていた部屋を抜け出すと、なぜか天宮が付いて来た。

「どうしたんだ?」

「中沢くんの担当医師として、養護施設の人に一度、ご挨拶とお話しておきたくて」

「そういうなら代わるけど」

 俺は旅館のロビーで電話をかけると、北川さんにいつものように元気にしていると伝えて、天宮に代わる。

「初めまして、中沢くんの治療させていただいている天宮菜衣と言います」

 天宮は俺を見て、なぜか外に出た。訊かれたくない話でもあるんだろう。

 しばらくして戻ってくると、

「中沢くんに代わってほしいって」

 電話を手渡してきた。

「中沢くん、いい先生じゃないか。君のことを真剣に考えてくれている」

 北川さんには好評だったらしい。

「ちょっと若い気がするけど、頼りになる人だ。ちゃんと先生の話を訊くんだぞ」

 そう言えば、天宮が同級生だと伝えてなかったな。


 夜、俺は窓のある小部屋で涼んでいた。天宮たちとは男女で部屋を分けたため、今は俺一人だ。

 不意に向かいに席に男子の姿が映った。顔は見えないが、論文を読んでいるのか。無言で勉強している。

 ――また論文か?

 ――あぁ。やはり、変か?

 ――いや、いいんじゃないか。

 当時の俺の視線が窓の外に向いた。

 ――こういうのも風情があって悪くない。

 男子は小さく笑ったような気がした。

「なぁ、お前はなんて名前でどんな顔をしているんだ?」

 俺は訊いたが、男子の表情は最後まで分からなかった。

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