第12話 箱根第一ホテル

 ホテル内には人が集まっていた。どうやら、ちゃんと飛べたらしい。俺は痛みを感じてその場に倒れた。

 目を開けると天宮の姿が見える。泣きながら俺の怪我を治療してくれているらしい。その瞳は桜色に光っていた。

「天宮、その瞳……」

「動かないで!」

 天宮の瞳が光っているということは先生は亡くなったんだ。俺はなにもできなかった。悔しくて涙を流しながら拳を握りしめた。天宮のおかげで傷の痛みが消えていく。

「魔物が来たぞ! 玄関を閉めろ!」

「離れてください! シャッターを下ろします!」

 慌ただしく声が聞こえてきた。窓の鎧戸はすでに閉ざされていた。

「治療は終わったけど、安静にして」

 天宮に言われた。俺は上体を起こした。傷の痛みは消えて治っていた。

「ありがとう」

 天宮は頷いて、泣きはらして赤くなった目を落とした。

 俺がしっかりしないと、座りながら周囲を見回す。避難してきた人たちなんだろう。大人や子供たちがたくさんいる。ベッドに寝ている人たちや車椅子の人たちもいた。

 受付辺りで食料の配布をしているらしく、神谷が食料や飲み物を抱えて戻ってきた。

「食料もらってきた」

「パン食べるか?」

「あぁもらう。ありがとな」

 俺は受け取りながら、

「ポニーテールの女子は?」

 と気になっていることを訊いた。

「渡辺ならトイレに行ってる」

「そうか」

「天宮さんはどうだ?」

 神谷が訊くと、天宮は頭を振った。

「わかった。食べたくなったら言ってくれよ」

 神谷が優しく言った。

 俺も食欲はわかなかったが、これからのことを考えて、もらったパンを食べて水で流し込んだ。

 受付の方でスーツを着た三十代くらいの男性と、あの受付女性が話していたが、男性が集まっている人たちの方を向き直り、

「失礼、わたしは熱海で刑事をしているものだが」

 そう言って、警察手帳のようなものを広げてみせた。人々から安堵の声が広がる。

「早速ですが、この中にテレポートを使える方はいませんか?」

 と言って刑事がロビーに集まっている人たちを見回す。

 誰も手を挙げなかった。俺しかいないのか。緊張した面持ちで立ち上がり手を挙げる。人々から歓声が上がった。

「これで助かった」

「でも市外へは難しいんじゃない?」

 その言葉に対して刑事は、

「落ち着いて聞いてください。市外に繋がっている道路は破壊されていると無線で聞いています」

 と言いつつ俺を見て、

「見たところ君は冒険者だね。市外に脱出は難しいですか?」

「ごめんなさい。隣町へは記憶がないので難しいです」

「そうですか。君が隣町まで飛べるもっとも近い場所はどのくらいかな?」

「ええと、名前がわからないので連携が難しいですが、国道二十号の廃旅館までですね。そこから近い場所で言うと熱海になると思います」

 自信のない面持ちで刑事を見ると、刑事はなぜか驚いた顔でこちらを見ていた。

「もしかして、昨日通報したのは君かい?」

 俺は呆気に取られていたが少し間をおいて理解した。

「もしかして刑事さんが事件を担当しているんですか?」

「あぁ、その事件の調査をしている」

 事件のために箱根を調べ回っていたんだろうか?

「地図を持ってきました!」

 受付女性が紙を抱えて走り、地図をラウンジのテーブルに広げてくれた。俺はすぐにあの旅館を見つけた。

「このいもりが旅館と言うところまで行きました」

 いもりが旅館から県道二十号をさらに進むと熱海市に着く。

「熱海までは七キロほどは歩かないといけないな。今は午後六時で夕方か……」

「闇鬼ですね」

 受付女性が言った。

「えぇ、それが厄介ですね」

「闇鬼なら僕が能力で数体くらいなら抑えることができます」

 大学生くらいの男性が手を挙げた。

「助かります。後はこの中で冒険経験のある人たちで固めましょう」

「俺、手伝います」

 一番早くに声を出したのはあの神谷だった。他にも声が上がり、案内役の受付女性と俺を含めた精鋭十人で行くことになった。


 テレポートでみんなを送ると、薄暗い旅館の内装が見えてきた。中は現場検証をしたのか、人の遺体や鬼の遺体まで無くなっている。

「まるでホラー映画だな」

 と神谷が隣で呟く。

「君は地図と景色を見て道の暗記を、他の人は彼をフォローしてください」

 受付女性がそう言いながら杖を掲げて、

「時間が惜しいですね。行きましょう」

 入り口のガラス戸を開けた。前衛の人が注意深く辺りを見ながら足を進める。俺の周りは武器を持った冒険者が俺の周りを囲んでくれた。夜の道は覚えづらかった。借りたペンライトで地図を照らしながら、周囲を見て、現在地を確認していく。

 山の中で民家があまりなく、ひたすら曲がりくねった下り坂を降りていた。

 誰かが声を上げた。その瞬間、前にいた男性がライトを付け、強い光が辺りを照らした。見覚えのある黒い毛におおわれたオオカミのような生き物が丸まっていた。

「闇鬼が光りで動けないうちに走って」

 俺たちは走り、少し離れたところで速度を落とした。

「また来たら防げばいいじゃないか?」

 スーツを着た男が言うが、

「光に順応するんです。順応してしまうと、効き悪くなるんですよ」

「なるほど」

「後どのくらいでしょう?」

 スーツを着た女性がおずおずと地図を持っている俺に訊いてきた。

「もうすぐのはずです。頑張りましょう」

 と俺が言った。それから何度か闇鬼に遭遇したが、光で抑えている内に走って距離を取った。

「あの建物です」

 と受付女性が指さした。建物の明かりが見えて人々から安堵のため息が聞こえてきた。

 警備員らしき男性が赤く光るものをクルクルと回している。他の人が駆け込む中、俺も中に入った。

「全員います!」

 受付女性の言葉に警備員の男性がシャッターを下ろした。助かったのか……。剣を構えていた冒険者らしき人たちから歓声が上がり、それが広がっていく。

 俺は自分の仕事を思い出し、立ち上がった。

「さっそく、戻ってきます」

 避難してきた人たちはすぐに察したのか、「頼んだよ」「お願い」と口々に言われた。

「中沢、気を付けろよ」

 神谷の声に俺は頷いて、箱根第一ホテルに集中する。目を開けると、ホテルのロビーにいた。

「どうだった?」

 と刑事が緊張した顔で訊いてきた。

「上手く行きました。全員無事です」

「そうか、よくやってくれた」

 拍手が広がり、それはロビーを埋め尽くした。

 

「ここは若い子に譲りましょう。それが年を取ったものの務めですよ」

「ですが」

「そうさせてくださいよ」

 そんな年寄りの声が聞こえてきた。

「小さい子から順に並んでください」

 列はもうすでに出来ていて、一番前にいるのが幼稚園くらいの子たちだった。緊張しているように見えた。俺が笑顔を作り、

「大丈夫だよ」

 と手を出すと手を合わせてくれる。

 俺は子供たちを町に送り届けると、すぐにホテルに戻った。

 それからは繰り返しだった。小学校低学年の子たちや、小学校高学年の子たち、先ほど一緒に逃げてきた中学生たちもいた。それから天宮先生が担当していたらしい車椅子やベッドに寝ている人たちも送った。

「ありがとう!」

「助かりました!」

「ありがとうございました!」

 子供たちと患者の人たちは感謝の言葉をかけてくれた。少し頭痛がしたが、それだけで、俺は頑張れた。そして高校生や大学生になり、送る人たちの中には渡辺の姿もあった。

「大丈夫かい?」

 ホテルに戻ると刑事が訊いてくる。

「はい、頭痛がしますが平気です」

「能力切れが近いな。思考が乱されて能力が使えなくなる」

 次は大人たちになっていた。高校生や大学生はもう終わったらしい。天宮のことがパッと浮かんで周囲を見ると、額に手が乗せられた。天宮だった。

「どう、頭痛は少し消えた?」

 言われてみれば頭痛は軽減された気がする。

「助かった」

 俺は天宮の手を掴んだ。

「治療もあるから、わたしは最後でいい」

 と天宮に振りほどかれた。

「おい。それは」

「ダメだ。君は若い」

「命に優先順位なんてないですから」

 はっきりとした言葉に俺と刑事は面食らっていた。天宮が変なことを考えているんじゃないかと気が気じゃなかったが、他の人がいるこの場では聞けなかったため、送ることに集中した。

 それから、若い大人が終わり、お年寄りを移送したが、その間に正面玄関の叩かれる音が大きくなっていた。

「何かあったのか?」

 刑事たちの姿が見えなくなって、頭痛を緩和してくれる天宮に訊いた。

「今、食堂の椅子やテーブルでバリケードを張っているそう」

 猶予はあまりないのか、最後に残っていた不安そうに待っている夫婦たちを見た。その人は俺が箱根で話した老夫婦だった。

「タイムスリップ爺さん!」

 俺は言った後でバツが悪くなっておずおずと手を出すと、老夫婦は笑っていた。

「頼んだよ」

「はい」

 俺は頷き二人を送迎した。


 ホテルに戻ると爆発音が聞こえて、刑事や残っていたホテルの従業員たちが逃げてきた。

「どうしたんです?」

「奴がきた。あいつは化け物だ」

 警備員らしい男性の声は震えていた。暗闇の中から黒いレインコートを着たあいつが現れた。目の部分が薄い赤に光っている。嘘だろ!? ここまで来たのか。

 奴の手にはあの女性冒険者の杖を持っていて、鬼を従えていた。

「魔物を操る心的操作も持っている気を付けて」

 刑事が傷ついた腕を抑えながら言う。

「奥へ、レストランがあります」

 最後まで残っていた支配人らしき男性が大声で言った。

 不意に犯人が持っていた杖がこちらに向いていた。鬼が血相を変えてこちらに走り込んできた。思わず刀を構えるが、水が前に現れて鬼の進行を防いだ。

 横を見ると、天宮が鬼を睨みつけながら手を前に出している。

「逃げるぞ」

 俺は天宮の手を取って、レストランにテレポートで飛んだ。薄暗い広い部屋にテーブルや椅子が見えた。窓は全て鎧戸が閉められていた。

 食堂のドアが開き、支配人と警備員の男性、それから刑事が入ってきた。すぐに支配人がドアの鍵を閉める。

「他に人は?」

 俺は訊いた。

「我々で最後だ」

 ドアがドンドンと叩かれた。俺は天宮の掴みつつ、手を出すと刑事と従業員たちが手を乗せてきた。

 扉が開かれ、鬼と殺人鬼の姿が見えた。その瞬間、俺はテレポートで飛んだ。視界が切り替わる前、殺人鬼と目が合ったような気がした。

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