イチの道楽

第1話

　山の奥深く、小さな集落にイチという若者がおりました。勤勉で好奇心旺盛なイチは何でもよく覚え、狩りや木の実の採集など森の全てに通じていました。

　ところが、さっぱり働く様子はなく、毎日森を歩き回っています。

「この世は見知らぬものばかりだ。知れば知るほど知りたくなるなあ」

　山一番の怠け者と言われるようになっても、イチは少しも気にしていないようでした。

　ある日、海近くの町から来た商人がイチに声をかけました。

「森の珍しい物を持っていませんか。ひとつ譲ってくれたなら、お礼に町見物へ連れて行ってあげますよ」

　森から出たことのないイチは、町を見たいと思いました。少し考えて、懐から布袋を取り出すと、商人に手渡して言いました。

「これはどうでしょう？つい先日、山頂近くで見つけたザクロ石です」　

　布袋の中には、赤く輝く小石がぎっしり詰まっていました。商人は「すばらしい」と叫ぶと、頬を紅潮させ早口でまくしたてました。

「いや、譲ってくれだなどとけちを申しました。これはあなたにお返しします。それよりも、山のザクロ石はまだ沢山採れますか。ぜひそちらを私に売って下さい」

「私は町見物ができればそれで結構です。山の石が欲しいなら、採れる場所を集落の者に教えますので、彼らと話をして下さい」

　商人はすぐに集落の者たちを呼んで交渉すると、驚く程の手付金を置き、上機嫌でイチと山を下りました。

　集落の者たちは、あっけにとられたまま黙って二人を見送りました。

　商人は約束どおりイチに町中を見せて回りました。宿も食事も世話をして、イチが望めば長屋の中や職人の作業場にも連れて行きました。

　行く先々でイチがお礼にザクロ石を一粒差し出すと、町の人は皆喜んで受け取り、その輝きに見惚れました。商人は、「私の店にもっと大きな石がありますよ」と言い添えるのを忘れませんでした。

「屋敷を建てる工程まで見られて、楽しかったです。長らくお世話になりました」

　商人が立派な店を構えたと町で評判になった頃、イチは山へ帰ることにしました。

　すっかり恰幅の良くなった商人は、イチに海辺までの道を教え、せっかくだから海を見て行くよう促し、満面の笑みでイチを見送りました。

　しばらく歩いてやっと海に着いたイチは、岸に繋がれた船から出てきた褐色の肌の男に声をかけられました。

「町見物をしているイチというのは君かい？」

　戸惑いながらイチがうなずくと、男は嬉しそうにイチの肩をポンポン叩きました。

「いやあ、やっと会えた。おっと失礼、僕はサラ。色々な国の物を売り買いしている船乗りだ。君が井戸掘りを習ったと噂に聞いて、どうしても会いたかったんだ。あの商人に頼んで正解だ。彼は何も言わなかったの？」

　サラは船にイチを招き入れると、やや大ぶりな果実を切り分け、イチに出しました。強い香りと粘り気のある濃い甘さは、イチが全く知らないものでした。

「ボリボの実だよ。故郷の果実さ。僕の故郷はこの海の果てにある、ほとんど雨が降らない乾いた赤土だらけの貧しい村なんだ。遠くの川まで水汲みに行くのがそれは大変で、だから僕はどうにかして井戸を作りたかった。僕と一緒に村へ来てくれないか？」

　イチは喜んで船に乗り、海を渡る間にサラの国の言葉を教えてもらいました。

　二人が村に着くと、大勢の村人が焚火を囲み、跳ねるように踊りながら歌っていました。

「これは何の祭りですか？」

「雨乞いさ。古くからの習慣だよ」

「効き目はあるのですか？」

　さあね、とサラは肩をすくめてみせました。

　イチは楽しそうな踊りがとても気に入り、いつまでも見ていたいと思いました。

　村人たちは、イチに教わり井戸を掘り始めました。そして、作りかけの井戸の周りで、水が湧くのを祈って毎日陽気に踊りました。

　長い時間をかけて井戸が完成した頃、村で雨乞いをする者はいなくなりました。役目を終えたイチは、サラの船で国に帰ることになりました。

「サラの国は面白かったです。ただ、雨乞いがもう見られないのは残念です」

「それは残念だ。でも僕たちは生活が楽になったから、全然残念ではないな。そうそう、お土産にボリボの実をあげるよ。帰ったらあの商人にも渡して、僕の国には売る程あると伝えてくれ。彼はきっと喜ぶし、後で僕も喜ぶことになる。君はまた人を幸せにするのさ」

　海風を浴びながら、サラはくくっと笑いました。イチもまた、満足そうに笑いました。