紙の魔法/分裂するパン

コオロギ

紙の魔法

 古びた紙は茶色く変色していて、かろうじて読める文字も意味不明だった。

「誤字なんじゃないの」

「というと?」

「ペーパーじゃなくて、ゴッドの方だったんじゃない」

「神様の魔法?」

「それもあり得るけど、『マジ神』って感じ?」

「神がかってるってこと」

「そうそれ」

「なるほどね」

「その魔法でこの人は殺されたのかな」

 キュウが靴の先でコツンとうつ伏せの頭を突いた。

 普段であれば「こら」と窘めるはずのところを、シンはちらと目を向けただけで、すぐに視線を逸らしてしまった。

 実験棟にいた子供たちは全員救助が完了していた。そもそも、実験棟はフェイクでもなんでもなくとっくの昔に閉鎖されており、まさかまだ何人も取り残されているなどとは誰も想像すらしていなかったのだった。

 『先生が起きてこない』と子供の声で通報を受けた同僚は、その住所がここだと知ったときはお化けか何かからではないかと震えたらしいが、実際にはちゃんと実体のともなった人間が正しく助けを求めただけだった。

 鍵をこじ開けて入った『先生の研究室』は、しかしそう呼ぶにはあまりにも生活感に溢れていた。デスクの上には漫画や文庫本がうず高く積まれ、ずれた毛布のかかったソファは間違いなくベッド代わりだったのだろうし、小型の冷蔵庫の中身は麦茶のパックが入れっぱなしのポットに三連パックの納豆と賞味期限切れのマヨネーズとケチャップだった。「うっわ、既視感」とキュウはすぐさま扉を閉めた。

 そして、デスク上の本の斜塔のてっぺんに乗っかっていたのが、『紙のまほう』と拙い字で書かれた古いメモ用紙だった。他にも何かしら文字が書かれているのは分かるのだが、擦れてしまっていて読めない。おそらく、床の上で冷たくなっている男が最後に目にしていたものと思われた。

 シンはふと気付いて、握りこまれた男の手をこじ開けた。

「あ、鳥だ」

 後ろから覗き込んだキュウが叫ぶ。

 男の手のひらから、潰れた折り鶴が転がり落ちた。

 それをシンが拾い上げ、手のひらに乗せふっと息を吹きかけると、鳥の姿をしたそれは羽根を上下に動かして部屋の外へ飛んでいってしまった。

「え、なに今の」

「……なんだろうね」

 シンは苦笑いを浮かべ立ち上がる。

「現場は鍵がかかっていて密室。部屋が荒らされた形跡もなし。子供たちの健康状態もいたって良好。よって、」

「よって」

「僕たちはもう帰ろう」

「まじかよ……」

 キュウが信じられないものを見る目で見つめても、シンは気付かないふりをつき通した。

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