第5話
階段は地の底まで続いているかのように深かった。にぎやかにおしゃべりしながら、雨夏たちは進む。
途中、刻がふと思いついたように言った。
「君らの名前はある?」
金糸は逢魔の短髪をつつく手を止めた。
「名前は自分でつけてみたさもある」「新感覚」「でもグループ名もほしい」「名づけプリーズ」
「じゃあ、私が君らの名前をつける」
「何度も言うけど、名は体を表す。よく考えて名付けなさい」
ガンダの忠告に対して、刻は言う。
「それでも、名前はそのヒトに対する最初の贈り物でしょう。なら、私のあげたいものじゃなくて、もらってうれしいものを贈らなきゃ」
刻は名前のヒントとなるものをきょろきょろ探すと、彼ら自身をじっと見た。彼らはまるで、金の糸でできた人形のようだった。
「金糸。君らの名前は金糸」
「「「「どういう意味?」」」」
「黄金でできた糸のように美しく、やわらかく、強い人生を送れますように」
「「「「きゃー!」」」」
金糸はくねくねとほどけたり、まとまったりを繰り返し、最後には逢魔の頭上で丸まったボールのようになって静止した。
刻はくすくす笑い、逢魔は呆れた。二人とも、彼らが照れた反応であることを見抜いていた。
「それぞれの名前は、思いついたら言って」
刻の言葉に、頷くように金糸ははねた。
逢魔も、刻も、金糸を眺めて笑った。その後すぐ、顔を引き締めた。いつのまにか階段は終わっていた。
永遠に端のない地底湖が、二人の目の前に広がっていた。広大で美しく光る深緑色をしていて、どこからか起こる波でさざめいている。
逢魔は、湖からする冷たい宝石のような匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
「これが、ヒソミドリの湖。魔法を得る場所」
ガンダが指し示す方向を見た刻は、言う。
「美しい湖で、光っているのも不思議だけど、ここからどう魔法を得る?」
「こうするのさ」
迷いなくガンダは湖のなかに飛び込んだ。
金糸がきゃあと言いながら、刻の襟ぐりにもぐりこんだ。
ガンダのともした明かりが消えると同時に、輝く水面が膨れて、破裂した。
驚く雨夏たちの顔に、冷たい水しぶきがかかる。
頭上何メートルかわからないほど見上げた高さに、ガンダの顔が見えた。明るく半透明に輝く、大きな腕を、彼はゆっくりと組んだ。
彼は今、ヒソミドリの湖の巨人である正体を現していた。
湖からあきれるほど大きな上半身だけ出して、別人のような口調でガンダは言った。
「私と一緒にどんな魔法がほしいか、世界に祈れ。祈った通りの魔法を授けよう」
地底湖に響く声に、まっさきに反応したのは、やはり逢魔だった。
彼はずっと待っていた。彼ら兄妹の母親を助けられる手段を手に入れることを。どれだけ奇跡だと言われようと、医者を小学生で目指しだしたのも、時間が足らないとわかってから魔法のような奇跡を探し出したのも。
妹を連れて、帰れる可能性が低い異世界に来たのは、この瞬間のためだった。
彼は導かれるように、ガンダに向けて右腕を高くかざした。そのまま叫ぶ。
「オレは、母さんを治したい! すべての人を助ける魔法を!」
逢魔たちと同じ大きさほどの巨大な目が、腕が、深緑から真っ白に輝いた。
「治療の魔法を、承知した」
そのまま、白く濁った湖水でできた両腕で、逢魔を包み込んだ。
逢魔の口から、大きな気泡が漏れる。
「兄さん!」
刻が叫んだと同時に、ガンダの両腕は弾けた。
湖水に浸りきったはずの逢魔はまったく濡れていなかった。代わりに彼の両腕には、薄いガーゼでできたような手袋がはまっていた。
「それが君の魔法だ。触れた者を全て健康にすることが出来る」
その言葉を聞いて、すぐ、刻は自分の右腕にかみついた。かみあとは深く、歯型の形に血がしたたり落ちる。彼女は血の出る右腕をそのまま、逢魔の目の前に差し出した。
逢魔はすぐに、刻の右腕を握った。
結果はすぐにわかった。
「治ってる」
刻の右腕は、元の白く細い腕に戻っていた。先ほどまで、かんでいたとは思えない様子だった。
「これなら」
刻はつぶやいた。
「これなら、母さんの傷だらけの身体も治せる」
病気が治るだけでなく、度重なる手術で傷ついた身体が元に戻るかもしれないことに二人は気がついた。
二人は、母が自分の白魚のような肌を、昔、自慢に思っていたことを知っていたから、逢魔は声をあげて泣いた。
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