第8話 ※三人称

 朝川七海にとって、ダンジョンとは自分を証明する場所だった。

 高校生になるまで、自分の生き方を全て親に決められて育てられてきた朝川七海にとって、ダンジョンは自らを発露することができる場所。彼女がダンジョン配信に手を出したも、自らは存在していると確信したかったからに過ぎない。結果的に単純に探索者としての実力で評価され、多くのファンを生み出した朝川七海だが、彼女にとって配信者としての人気など二の次であった。


「今日こそ下層を攻略します! もう意地です!」


:えぇ……

:今度こそ死ぬんじゃ

:無茶しないほうがいいよ

:上の階層で出てきた蟹さん、食べよう

:取り敢えず下層はやめよう


「無理じゃないですよ。私は……下層を攻略して見せますから!」


:頑なだなぁ

:探索者なんて自己責任だからいいんじゃない?

:死なれると貢ぐ相手がいなくならか困る

:募金でもしてろ

:絶対やめたほうがいいって


 朝川七海……人気配信者アサガオは愛用の槍を握る力が強くなる。彼女も配信者としての評価は二の次であると思っているからといって、無碍にするつもりもない。ただ、自らの力は中層までにしか通用しないのだと視聴者に言われていると感じたアサガオは、それを否定したくて仕方がなかった。


:そもそもCランクになってるのに下層で死にかけてるから、協会が悪いのでは?

:協会の審査基準よくわからないし

:アサガオちゃんなら行ける!

:無理

:頑張れ!

:死ぬかもしれないしやめよう


「……死ぬかもしれないとしても、私は行きますよ」


:ダンジョン狂人

:いつものアサガオちゃん

:でた

:下層は遊びじゃないからなぁ

:下層の死亡率やばいからやめよう


 朝川七海がどう言おうと、画面の向こう側で見ているだけの視聴者は変わらない。そして、同様に視聴者がなにを言おうとも七海は自分を曲げるつもりなどなかった。


「じゃあ、行きます!」


:ガン無視で草

:そらそうよ

:数字以上に好奇心優先だからな

:アサガオちゃんらしけどなwww

:www

:死んだなwww


 コメントを意図的に無視して七海は下層へと降りるための階段の方へと足を向けた瞬間に、彼女は探索者の本能で危険を察知して大きく後ろに下がった。


:お?

:ビビった?

:やっぱり帰ろう

:無理無理

:どうしたんだろ?

:?


 視聴者は画面越しには全く伝わってこない緊迫感に適当なコメント流していたが、七海は既にコメントなど見ている余裕もなく槍を構えたまま階段を見据えていた。


「なにか……来る!」


 七海の言葉と同時に、下層への階段が凍り付き、その下から白色の身体に尖った氷柱つららを纏ったワイバーンが飛び出してきた。その圧倒的な威圧感に、七海は一瞬だけ怯んだが、自分を奮い立たせるように手に持っている槍をしっかりと握り込んだ。


:絶対やばい

:逃げろ!

:無理だって!

:こんなモンスター見たことないぞ!?

:下層のモンスターが上がってきた?

:死ぬ死ぬ!


「速いっ!」


 生物としての格の違いを目の前のフロストワイバーンから感じ取った七海は、逃げの選択肢が頭の中に過ったが、フロストワイバーンがこちらに視線を向けた瞬間に動き出したことでその選択肢は消えた。

 フロストワイバーンはその体躯から考えられないような速さで低空飛行しながら七海を狙っていた。全力で走って逃げても追いつかれることがわかりきっていたため、七海に残された選択肢は戦って勝つか、戦って死ぬかの二択だった。


「くっ!? こ、氷?」


:地獄じゃん

:こんなの勝てる人間いるの?

:終わった

:今度こそ死んだか?

:不謹慎な奴は帰れ!

:頼む逃げて!


 低空飛行しながら口から氷点下の息を吐いたフロストワイバーンによって、地底湖の洞窟のような風景だった40階層は、瞬く間に氷の洞窟へと変わっていく。足元に伸びてくるフロストワイバーンの白い息をなんとか避けながら、足に力を込めて思い切り飛び上がった七海は、自分の下を通り過ぎようとしたフロストワイバーンの頭部に槍を突き刺す。


「刺さる!」


 硬い鱗を貫通し、肉を切り裂いてフロストワイバーンの頭部に槍の穂先が刺さったことを確認した七海は、武器が通るのならば勝てると確信した。しかし、吹き上がったはずのフロストワイバーンの血液は瞬間的に凍り付き、頭部へと刺さった槍も氷結して抜けなくなってしまっていた。


「しまった!?」


 七海が後悔するよりも早く、フロストワイバーンは頭を振り回して七海を振り下ろし、口を開いて魔法陣を展開した。


「ま、魔法?」


 中層までのモンスターの多くは、身体能力や自身の特性を活かした攻撃しかしてこない。人型の特殊なモンスターしか魔法は使ってこないというのが、ダンジョン探索者の中で浸透しつつある常識。しかし、それはあくまで中層までの話である。


:は?

:死んだ?

:地獄だろ

:次元が違うわ

:噓でしょ


 フロストワイバーンは知性が高く、自らの体内にある魔力を解放することで魔法が扱える。ただ氷点下の息を吐くだけでなく、フロストワイバーンは魔法陣から殺傷力の高い氷柱を連続で放ったのだ。

 地面に当たると爆散しながら周囲を凍結させる出鱈目な出力の魔法を見て、真剣に応援していた視聴者も、冷やかしで見に来た視聴者も言葉を失っていた。同時に、こんなモンスターが湧いてくる下層への畏怖が生まれていた。


「はぁ、はぁ……」


:!?

:生きてる!

:奇蹟だろ


「んっ……はぁ……」


 爆散する氷を、炎の魔法を多重に展開することでなんとか防いでいた七海は、大量に魔力を消耗したことで息を切らせていた。炎で防いでいたとは言うが、フロストワイバーンと七海の魔法威力の差は歴然であり、身体のそこかしこが凍り付いていた。


「くぅっ!?」


:早く逃げて!

:今から逃げられる訳ないだろ

:なんでもいいから!

:やばいって

:やばいやばい


 七海を仕留め切れていないことに気が付いているフロストワイバーンは、再び魔法陣を展開して氷柱を生み出す。直撃すれば人なんて簡単に殺されてしまいそうな魔法を、こうも簡単に発動することに七海は驚愕していた。そして、これが下層のモンスターの力なのだと。

 放たれた氷柱に対して、七海は力を振り絞って走って避け、フロストワイバーンの頭部に刺さっている槍を見る。現状、七海が勝つ方法はただ一つだけ。


「ふぅ……よしっ!」


 七海は極低温の冷気を放ちながら魔法を連発するフロストワイバーンへと向けて走り出した。配信のコメントは自殺行為だと騒ぎ立てているが、七海はそんなことに気が付くこともなくフロストワイバーンへと接近する。当然だが、フロストワイバーンに近づけば近づくほど、魔法の着弾は速くなるので避け辛くなっていく。しかし、七海は奇蹟のような反応の良さで紙一重の氷柱を避け、切断の魔法を放つ。


「浅いっ!?」


 中層に出現する普通のモンスターならば、真っ二つにできるような出力の魔法を何重も発動したが、フロストワイバーンの身体には小さな切り傷を複数つけるだけ。しかし、フロストワイバーンは予想外の反撃に少し怯んだ。その隙を逃さずに、七海は目当ての槍に触れる。


「これ、くらいっ!」


 触れた瞬間に刺すような痛みを感じる温度を肌で感じながらも、七海は炎魔法を発動しながら無理矢理手に取り、槍に全体重を乗せて思い切り突き刺した。頭部に刺さっている槍を抜くよりも、七海は刺した方が効果的だと考えた。

 頭部に乗っかってきた七海を振り払おうとしていたフロストワイバーンは、脳天まで突き刺された槍によって身体を跳ねさせてから、大量の鮮血をまき散らしながら倒れ伏した。


「きゃっ!?」


 もはや受け身を取るだけの体力もなかった七海は、フロストワイバーンが倒れるのと同時にダンジョンの床に放り投げられたが、倒れたフロストワイバーンが灰になって消えていくのを見て笑った。


「かった、よ?」


:うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!

:神 回 確 定

:アサガオ最強!

:やばすぎ!

:やっぱり配信者最強!


 明らかに人間では絶対に倒せないと思われていたフロストワイバーンを、半死半生ながらも倒しきった配信者アサガオを見て、コメント欄はとんでもない速度で流れていた。配信の同時接続数が見たこともない数になっているのを横目に、七海は寝転がったまま息を吐いた。


「きょうは、これじゃあ……下層、いけないなぁ……」


:まだ挑もうと思ってて草

:でも明らかに強そうなのに勝てたし大丈夫でしょ

:んだんだ

:戦いの中で……成長しているのか!?

:草


「下層、通用するか、心配になってきた」


:流石にあんなのが複数体もいないでしょ

:たまたま強いのが上がってきただけだと思うよ

:昨日の骸骨の方が弱そうだったし

:今なら骸骨も余裕でしょ

:アサガオ最強!アサガオ最強!


 未知の脅威を倒したことで、下層への興味が尽きないコメント欄を見て、七海は内心で同意していた。フロストワイバーンのような強い敵が複数もいれば、探索者なんてあっという間に全滅してしまうはずだ。そう考えていたのだ。

 フロストワイバーンを倒して安全になったことで、コメント欄もいつもの雰囲気を取り戻しつつある中、下層の階段から新たにフロストワイバーンが歩いてきた。


「えっ?」


:は?

:は?

:終わった

:え?


 七海が倒したものよりも更に二回り大きいフロストワイバーンが、3体。下層へと繋がる階段からゆっくりと上がってきた。それは、七海や配信を見ている視聴者のように中層までしか知らない人間にとって、まさに未知の世界。

 ダンジョンという脅威が、七海に牙を剥いていた。

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