第二十話 覚悟

 ◆


「町田先輩、わらって!」


 中三の最後の試合が終わった後、俺たちは競技場の外で写真を撮り合っていた。

 先ほど買ってきたであろうジュースを後輩たちが三年生に配ってまわる。

 さっきまで気丈にふるまっていた部員も、いよいよ引退を実感したようで袖で目元を拭っていた。


 今日で本当に最後なのだ。


 普段は写真を撮るようなことをしない俺でも、この時ばかりはスマホを片手に部員の輪に加わっていた。


「町田くん!」


 声のほうを見ると少し離れたところにいる瑞希が後輩二人と並んで手招きしていた。

 近づいていくと俺の手元を見て「スマホの充電が切れちゃって」と彼女は懇願する。

 意図を察した俺はカメラを彼女たちに向けた。

 彼女たちが決めポーズを迷っている間に、周囲に人が増え始める。一緒に映りたいと部員たちが集まってきたのだ。

 中心に女子部員、周りにはお調子者の男子部員たちが身を寄せる。結局十人くらいが集まってしまった。


「ちょっと! 私たちだけで撮ろうと思ったのに」


 瑞希は声を上げて笑う。


「いいじゃないっすか! 最後なんですし」


「先輩、本当に引退しちゃうんですね」


 瑞希の横にいた年下の女子が目を潤ませている。その子の手をにぎりながら瑞希は言った。


「泣かないで。私、高校でも陸上は続けるつもりだし、みんなのこれからも楽しみにしてるんだから」


 建物の裏で泣いていた瑞希はもういなかった。輝く瞳はもう前を向いている。

 スマホの画面に映る瑞希は後輩たちに囲まれていた。入部当時は周りから浮いていたのに、まるでこの三年間の変化を表しているようだった。

 彼女の努力する姿はみんなのやる気を引き出し、魅了してしまう。彼女には人を引き付ける力がある。俺も魅了された一人だ。

 待っている今も次々と瑞希のまわりに人が集まってくる。

 俺はこの三年間でなにができるようになったのだろう。瑞希と後輩たちのやり取りを見て、俺は彼女の横に並べるような人物なのか不安を覚えた。

 ふと、瑞希と目があった。

 見つめていたことがバレた。彼女が俺に話しかけてくる。


「町田くんも陸上続けるんだって。高校も同じところ受けるし。ね?」


「え? ああ……」


「そうなんですか! 私も同じところ受験しようかなぁ」


 先ほどまで瞳を潤ませていた後輩はもう先のことを考えている。あまり話したことのない俺とも、怖いからと距離をとることもなく普通に接してくれた。

 これも彼女の力か。

 ふっ、と小さく息を吐き出す。俺は気持ちを切り替えた。

 今はとにかく、彼女に追いつきたい。高校生になった未来を想像して、俺は目標を定める。

 もっと頼られる存在になろう。みんなを引っ張るような人になるんだ、俺も。


 その時は瑞希に――


 俺は全員が映るように、スマホを掲げて後ろに下がった。


「はい、撮るぞー」


 最近流行っている決めポーズがそろうと「はい、ちーず」と言ってシャッターを切った。




 ◆


「あーあ、このタイミングかよ」


 颯太は土手の上から、二人の後ろ姿を見送っていた。

 背後では花火玉の弾ける音が続いていたが、その灯りが溝口に影を落としている。階段を登ってきた群衆が、進行方向と逆を向く溝口を邪魔そうに避けていった。


 追いかけるなんて野暮なことをするつもりはない。

 そんなことしなくたって、結果はもう分かっている。


「さて、このあとどうしよっかな」


 颯太はため息混じりにつぶやいた。


「あの、」


 不意に知らない女性二人から声をかけられる。よくあるナンパだった。

 言われるがまま連絡先を交換する。その女性たちは嬉しそうにその場を去っていった。


「……まあ、たまにはいいか」


 いつもだったら、テキトーに断るところだが、今日くらいはいいだろう。


「たしか、サッカー部で行くとか言ってたよな。誰かメッセージ見てるかな」


 颯太はサッカー部のグループにメッセージを送り、電話をかけた。


「あー、俺。やっぱり花火見たい思って。今、河川敷まで来たんだけど会場にいる?」


 颯太はスマホを耳に当てながら人混みへ消えていった。




 ◆


「ねぇ、待って――」


 俺は正面に押し寄せる人混みをかき分け、とにかく歩き続けた。三人で来た道を足早に戻っていく。


 射的屋の看板、やきそばの屋台……。


 大半の人が打ち上げ会場に向かっている中、何人もの人と肩がぶつかった。それでも反対方向へと突き進む。握っている手に自然と力が入る。


「京介ってば!」


 掴んでいた瑞希の腕が強く引かれた。

 ハッとして、立ち止まる。後ろを振り返ると、息の上がった瑞希がこちらを見ていた。


「どうしたの?」


 彼女は困惑気味につぶやく。

 瑞希の後ろでは数えきれないほどの花火が連続して上がっていた。祭りに出ている人の数は最高潮に達していた。出店を回る人々もその美しい様子を一目見たいと、音につられて顔を上げる。みな夜空を彩る炎に目を奪われていた。


「戻ろう? 溝口くんも心配してるよ。花火も始まってるし」


 俺は首を振った。せっかくの花火大会なのは分かっている。しかし、このまま戻るわけにはいかないのだ。

 この中で俺だけが一人取り残されている気分だった。


「俺さ――」


 花火に負けないよう大きな声を出すが、続きが思いつかなくてしりすぼみになってしまう。

 周りの音がうるさかった。何を伝えればいいのか、気持ちも言葉もまとまっていない。言葉が出ないのがもどかしい。


 瑞希の後ろを通った男性が、彼女の背中に当たった。つまずくように俺の方に転びそうになる。

 身体を包むように俺は瑞希の両腕をつかんで受け止めていた。

 男性は「すみません」と謝罪の声だけ残して人混みの中に消えていく。


 瑞希を目の前にして、あの日のことを思い出した。

 俺の胸で泣いた彼女を。そしてキラキラと光る、まっすぐな瞳を。


 そう、あの頃から。

 

 今でもまだ、初対面だと怖がられることも多い。だけど部長を任されたり、後輩とも上手くやっていくことが出来るようになった。

 隣りに並べるくらいには、なれたんじゃないのか。

 心の中で自分に問いかける。


 視線を上げる。何も言わない俺を、瑞希は不思議そうに見つめ返した。

 俺は彼女を抱き寄せると、耳元で言った。


「瑞希のことが好きだ」


 ひゅっと空に音が鳴り響く。周囲で歓声が上がった。

 先ほどいた河川敷で、ひときわ大きな花火が打ちあがっていた。


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アイスクリーム・シンドローム なぬーく @nanook_sk

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