第十七話 先手
去っていく二人のうしろ姿が、頭からずっと離れなかった。
閉会式は簡単に行われ、優勝発表や校長の長い話は気がついたら終わっていた。
紅組が優勝し、今年の体育祭は幕を閉じた。周りにいた紅組の生徒は優勝の歓喜に沸いている。
各自が椅子を持って校舎へ帰る中、俺はうつろな気持ちのまま陸上部のテントに向かった。先ほど後輩から郷田が俺を探していると聞いたのだ。
忙しく各方面に指示をしている郷田に声をかけた。
「先生、お疲れさまです」
「町田か。来てもらって悪いんだが、さっき井上に頼んだから、もう大丈夫だ」
「なにか作業ですか?」
「今日陸上部が実際に行ったことなんかを紙に記入してほしくてな。まあ二人でやるほどのことでもないから、井上に任せていいと思うぞ」
「分かりました」
俺は郷田のもとを離れると他の体育祭委員に混ざった。パイプ椅子やテントの片づけを始めると、歩が俺に近づいてきた。
「井上さんと話した?」
俺が何も言わないでいると彼はため息をついた。
「なにしてんだよ……」
「片付けあるし」
「いいから早く言ってこいよ。一人くらい減っても人数は十分間に合ってるし」
体育祭委員だけでなく、陸上部やサッカー部、野球部の部員も片付けに加わっていた。人手は確かに足りている。
「逃げんなよ」
「うるせぇ。分かってるよ」
俺は歩をおいてグラウンドに背を向けた。
校舎までの道をあるいていると、脇に片付け途中の大きなクーラーボックスが置かれていた。中もまだ入っている。購買のおばちゃんたちが、そろそろ持っていこうかと話していた。
理由が欲しかったから、ちょうどいい。
ポケットの小銭を取り出し、俺は二人分のアイスクリームを購入した。
◆◆
彼女は教室で一人、作業をしていた。
他の生徒は椅子を運び終えると、体育祭の熱が冷め止まぬうちに帰宅したらしい。今日は登下校中も運動着の着用が許可されていたため、彼女も体操着のまま自分の席に着いていた。
夕方になり窓から涼しい風が入ってくる。さっきまでの盛り上がりが嘘のように教室は静かだった。
驚かせないように静かに扉をスライドさせる。
こちらに気づいた彼女は顔を上げた。
「怪我は大丈夫? 溝口くん」
瑞希はドアの前に立つ颯太のことを見た。
「うん、保健室で消毒してもらってこの通り」
肘に当ててもらったガーゼをみせる。
このくらいの擦り傷は日常茶飯事だが、瑞希ちゃんが頑なに言うので手当てをしてもらってきた。
出血していたので心配してくれたのだろう。その気持ちが嬉しかった。
「なにしてるの?」
すぐ帰るのもつまらないので、僕は瑞希ちゃんの前の席に、後ろを向いて座った。机を一つ挟んで彼女と向かい合わせになる。彼女は手元に視線を落とし、さらさらとペンを走らせている。
「今日、陸上部でやったこととかをまとめてるの。今後に生かすんだって」
「ふーん。郷田から言われたの?」
「そう。忘れないうちに書いておいてって」
「べつに今日じゃなくても」
「こういうのは早く終わらせたいんだよね」
瑞希ちゃんは視線を上げずに話しつづける。
数秒、僕は彼女の手元を見つめた。
「まだ時間かかる?」
「うーん、もうちょっとかかるかな。見直しもしたいし」
ぜんぜん、こちらを見てくれない。
彼女が書き込んでいる紙を、僕は両手で隠すように押さえた。
「あのさ――」
話したいことがあって。
彼女が『どうしたの』という顔でこちらを見る。少し身を乗り出せば
走り終わった後のように僕の心臓は激しく鼓動していた。
教室を出ると町田と出くわした。
廊下には他に誰もおらず、気まずい空気が流れる。鉢合わせてしまった手前、会話しないのは逆に不自然だった。
「リレー一位と総合優勝おめでとう」
「……どうも」
「帰るの遅いんだな。これから荷物取りに行くの?」
町田は手ぶらだった。
「片づけがあったから」
「あ、委員会か。悪いな、出れなくて」
「べつに」
町田の視線が、手当てした僕の手足に向けられる。
「……足かけてすまなかった」
「なんのこと?」
「俺の足に引っかかっただろ。カーブ走ってたとき」
思い当たる節がない。僕が転んだ理由が自分のせいだと思っているようだった。
「いや、勝手に転んだだけだから。町田のせいじゃない」
ぬかるみがあったことを説明すると町田は少しほっとした顔をする。
町田が謝ってくるなんて、と内心珍しく思った。
初めて声をかけてきた時もそうだったけど、なんだかんだ真面目だよな、こいつ。
そんなことを考えながら僕はちょっとした意地悪を思いついた。
「そういえば来週の夏祭りだけど、じつは南海ちゃんカップルとは別行動することになったんだよね」
一瞬にして町田の表情が硬くなる。
「だから夕方の十七時に鳥居の前で瑞希ちゃんと待ち合わせることにしたんだ」
僕はわざとらしくニヤついてみせる。そして、たたみかけた。
「町田も来る?」
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