第十六話 傷

 体育祭の間、京介はクラスの席と陸上部のテントを行ったり来たりしていた。

 忙しかったわけではない。ただ瑞希と顔を合わせるのが気まずかった。

 でも部長だから仕事をしないわけにはいかない。基本はクラスの席にいて時々テントの下に行ってみては後輩に声をかける。

 今さら正面切って謝るのはきまりが悪い。

 スマホに『さっきはごめん』と入力しては削除をするを繰り返していた。


「さっさと謝れば?」


 横からのぞき込んできたあゆむあきれたように言った。買ってきたジュースを開けてプシュッと炭酸のはじける音を鳴らす。


「人のスマホ見んなよ」


「楽しい体育祭だってのに、スマホばっかり見てるやつがいたら何してるのか気になるでしょ」


 それもそうか。俺はグラウンドに視線を向ける。

 午後の部の目玉の一つ、部活対抗リレーが始まっていた。

 部活毎にチームを組み、学年を超えてバトンをつなぐ。普段は見られない異種同士での競争だ。

 ほとんどの部はユニフォームを着たり、その部の象徴となるものを持ったりして走ることが多い。部活毎の個性に感心する一方、剣道部などはそれが明らかに裏目に出ていて、それがまた面白かった。

 トラックの内側で瑞希が走る準備をしていた。

 空いてるスペースで足踏みをしたりダッシュしたりと身体を温めている。

 時々遠くを見つめる姿を見て、なにを考えているのだろうかと気になった。


 はたして、あの瞳に俺はちゃんと映っているのだろうか。


 瑞希は陸上部メンバーで集まると円陣を組んで気合を入れる。楽しそうに笑う彼女に俺はスマホのカメラを向けた。


 何年も一緒にいるはずなのに、こんなにも遠いとはな。


 切り取った瑞希の笑顔は、俺が見たことのないものばかりだった。

 いつか彼女の世界から俺がいなくなるとしても、せめて、もうしばらくは一緒の時間を過ごしたい。


「……体育祭終わったら謝ってくるわ」


「おー、そうしろ」


 決意を込めて言った。しかし歩は部活対抗リレーの行方ゆくえに夢中で、俺の発言にテキトーに返事をする。


「おい、京介、井上さん走り出したぞ! やっぱ速いなぁ」


「当たり前だろ」


 みんなが興奮して応援をする中、俺は冷静だった。

 中学の頃から瑞希を見てきたんだ。あいつがそこらの生徒に負けるかよ。

 予想通り、瑞希を含めた陸上部チームはトップでゴールラインを駆け抜けた。




 ◆◆


 走ってきたクラスメイトからバトンを渡されたとき「ごめん」と言われた気がした。

 三位で受け取ったが、前との距離はそんなに離れていない。


「任せろ」


 俺は右手にバトンを持つと、一気に距離を詰めにかかった。まずは前にいる溝口を射程に入れる。

 二位だった彼は前半のカーブで一位を抜いていた。会場が沸く。

 そのままバックストレートに入ると、溝口は外側のレーンから内側のレーンに移った。

 溝口のすぐ後ろまで迫っていた俺は、それを冷静に見ていた。

 一レーンに溝口、後ろに二位の生徒、その斜め後ろに俺が並ぶ形となった。

 二レーンが空いたことで、俺はギアを上げる。俺は二位と一位を一気に抜きにかかった。

 腕を大きく振り一歩ずつ迫っていく。

 溝口と横並びになったことで歓声がさらに大きくなった。

 溝口の視線が一瞬こちらに動いたのが分かる。俺の存在に気づいたらしい。

 抜いたらすぐに身体を内側に入れられるよう、ギリギリまで溝口に身体を寄せる。

 身体が当たるか当たらないかの限界の距離。

 このとき内側にいる選手としては外側の選手より早く走るか、身体がぶつかっても場所を死守するしかない。


 足が絡むのが恐くて引いたら負けだぞ。俺がすぐに一位の座を奪ってやる。


 素人に対して大人気ないかもしれないが、思ったより溝口が速かったのだ。直線を走っている間に抜いておきたかった。

 しかし、溝口は一歩も引かない。さすが対人競技をやっているだけある。


 これくらいでは動じないか。


 そうこうしているうちに残り百メートルを切ってカーブに入ってしまった。二百メートルトラックだと公式の四百メートルトラックに比べてカーブの角度がきつい。ここで抜くのはかなり厳しい。

 俺は仕方なく後ろに下がることにする。そしてまた溝口の後ろにつく選択をするしかなかった。最後の直線にかけるしかない。

 一メートルほど後ろに下がったとき、やつの姿勢がよろけた。溝口の足が俺のすねの外側に当たる。


 あっ。と思った時、彼は盛大にこけた。


 俺はとっさに踏ん張って勢いを抑える。倒れた溝口の身体につまづきそうになったが、なんとか止まらずにけることができた。


 寄り過ぎたか……?


 罪悪感を覚える。

 三位のやつが追い上げてきていたので、振り返る暇もなくそのままスピードを上げる。

 もうゴールまで数十メートルしかない。周囲に人の気配はなく、優勝は確実だった。

 俺はそのまま一着でゴールテープを切った。

 リレーメンバーやクラスメイトたちがワッと叫んで駆け寄ってくる。上がった呼吸を整える暇もなく、みんなにもみくちゃにされた。

 色んな方向から称賛の言葉をかけられる。

 こんなに盛り上がるとは思わず、嬉しくなって頬がゆるんだ。

 しばらく俺たちはグラウンドで大盛り上がりだった。

 ふと視線を上げると、正面から瑞希が近づいてくるのが見えた。


「瑞希! 俺、あとで話たいことが――」


 瑞希は俺には目もくれず、走って脇を通りすぎた。

 その姿を追って振り返ると、瑞希が向かう先には溝口が立っていた。

 転びながらもゴールしたらしい。服に着いた土をはらっている。

 大事はなさそうだが左のひじひざから血が垂れており、痛々しい姿だった。瑞希が溝口の前にしゃがみこんで心配そうに彼を見上げている。

 距離があったため声までは聞こえない。しきりに何かを話しかけていた。溝口は首を振って断っているようだが、瑞希の顔はとても真剣だった。


 たぶん、俺が足を引っ掛けた。


 先ほどよぎった罪悪感がよみがえる。わざとではないにしろ、一言謝るべきかもしれない。

 しかしクラスメイトの輪がなかなか道を開けてくれず、近づくことが難しかった。

 すると二人は並んで歩き始めた。

 周囲の視線が集まるグラウンドにいたこともあり、恥ずかしそうに溝口は瑞希についていく。その様子を見つめていた俺に瑞希が気づいた。

 視線がぶつかった。だけどすぐに外される。

 彼女の表情からはなにも読み取ることはできなかった。

 声をかける時間もなく、瑞希はそのまま溝口と校舎の方へ行ってしまう。

 俺は胸がギュッと苦しくなった。

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