第十八話 シンドローム

 プラスチックの容器に包まれたコーン付きのアイスクリームを袋に入れて、俺はひたすら逃げていた。

 行く当てもなく校舎の中をうろうろと歩きまわる。

 先ほど見た光景が頭から離れない。

 瑞希を探して教室を覗くと予想通り、そこには瑞希がいた。しかしその隣には溝口もいて机をはさんで向かい合っていた。溝口がその気になれば今にも何か起きそうな距離である。


『――話したいことがあって』


 溝口の声がドア越しに聞こえた。

 俺はこの状況と聞こえた言葉から察した。きっとこいつは告白する。そう感じて気づいたらその場から走り出していた。


 遅かったのだ。


 歩きながら、自分の身体から力が抜けていくのが分かった。

 校舎の中でも人通りの少ないところを探す。今は誰にも気を遣える自信がなかった。力が抜けきったように壁に背を預けてしゃがみ込んだ。

 アイスの入った袋がクシャっという音を立てて床に落ちる。

 膝を抱え込んだ。両手に頭をうずめる。

 タイミングはたくさんあったんだ。意識しだしてから三年も一緒だったのに。

 瑞希と一緒にいるのが楽しくて、それが壊れることを恐れた。でも、そうしているうちに彼女は変わっていってしまう。

 覚悟を決められない自分が嫌になる。

 ずっと同じままでいられるわけないのに。今の関係が心地よくて、踏み出すのを恐れていたから、俺と瑞希の距離はどんどん離れてしまった。

 俺は変わることができないのだろうか。


 ――あんたさ、人間は生まれてから何も変化や成長はしないっていうわけ?


 溝口の言葉だ。あの時の言葉とげがまだ心に刺さっている。

 変わらなきゃいけない。怖がって行動しないのは一番、駄目だ。



 何分そうしていただろう。膝を抱いていた腕を降ろし床に手をつく。

 手にひんやりした感覚を自覚し、アイスクリームを持っていたことを思い出した。

 袋の中を覗くと、パッケージの隙間からバニラアイスの溶けた液体が漏れていた。

 瑞希と食べるつもりだったのが台無しだった。

 立ちあがり、仕方なくゴミ箱を探して歩き始めた。

 昇降口に鉄でできたごみ箱を見つけた。そこに袋ごと入れようとすると、すこし離れたところから声をかけられる。

「おい、そこのやつ! 生モノをそこのごみ箱に捨てるんじゃない」

 先生の声だ。俺はそのまま袋を捨て、顔を見られないうちに走って逃げる。

 背後から呼び止める声が聞こえたが、持ち前の足の速さで振り切った。



 気づいたら教室がある階に戻ってきていた。

 まだ二人は一緒にいるのだろうか。もうそのまま帰ってしまおうかと俺は廊下をとぼとぼと歩いていた。

 自分の教室の前まで来たところで、一つ隣りの教室から溝口が出てきた。

 なんて間が悪い。

 俺は話したくなかったが、廊下に誰もいない手前、話さないのは気まずい。向こうも同じことを思ったのか、案の定溝口が話し出した。


「リレー一位と総合優勝おめでとう」


「……どうも」


 溝口に言われて紅組が優勝したことを思い出す。なんだかだいぶ前のことのように感じた。

 瑞希と話していた姿を思い出してしまい、溝口の顔を見ることができなかった。


「帰るの遅いんだな。これから荷物取りに行くの?」


「片づけがあったから」


 瑞希に話があるから、先に抜けてきたなんて言えるわけがない。


「あ、委員会か。悪いな、出れなくて」


「べつに」


 溝口はバツが悪そうに頭をかく。その拍子にガーゼに覆われた肘が目に入った。膝も大きな絆創膏やガーゼがテープで止められている。俺は溝口に言わなければならないことを思い出した。


「……足かけてすまなかった」


 溝口はどういうわけか、きょとんとしている。


「俺の足に引っかかっただろ。カーブ走ってたとき」


 俺が説明すると溝口は思い出したようにうなずき、ぬかるみがあって勝手に転んだだけだと言った。

 そうだったのか。

 少しほっとした。そういえば歩も百メートル走ですべっていたな。

 話しているうちに調子を取り戻してきた。溝口の顔を見ると彼はなにかを思いついたのか、にやりと笑った。


「そういえば来週の夏祭りだけど、じつは南海ちゃんカップルとは別行動することになったんだよね」


 瑞希がダブルデートに誘われていると言っていたやつだ。俺は自分の表情が険しくなるのを感じた。


「町田も来る?」


 フッと鼻で笑う溝口。

 憂いを含むその表情はなにを企んでいるのか読みとれない。

 俺はその質問に即答することができなかった。




 翌週、俺は喧騒の中にいた。

 駅から神社へ続く道は左右に屋台が沢山並んでいる。多くの人が出ており、浴衣を着た子供や、食べ歩きをしているカップルが楽しそうに過ごしていた。

 祭り当日、時刻は十六時半。

 待ち合わせには少し早かった。

 昨年来たときは、瑞希を含め陸上部のやつらと五人で回った。屋台が並ぶ道は河川敷まで続いており祭りの最後は、そこで上がる花火をみんなで見上げた。

 しかし今年は……。俺は二人の顔を思い浮かべる。


 神社まで来たが、鳥居の下にはまだ誰も来ていなかった。

 ここで待ち合わせをしている人たちが他も数組おり、相手を探して立っている。俺もその中に混ざった。

 隣りに立つ女性の前に「お待たせ」と言って待ち人と思われる男性が現れた。待っていた女性は、嬉しそうに顔を上げその場から立ち去っていく。

 スマホをいじりながら何人もの人が鳥居の下から去るのを見送った。

 緊張していた。スマホに映る内容も頭に入ってこない。俺はここで変わらなきゃいけないんだ。

 瑞希が先にくるか、溝口が先にくるか。

 それによって俺の運命が決まる。

 カランコロンという音が近づいてきたかと思うと、目の前で止まった。

 俺はスマホから顔を上げ、その人物を確認した。

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