第十三話 チョコとコーヒー
競技を終えて席に戻ると、俺はクラスメイトたちに囲まれた。
「柏木、おつかれ! お前すごいじゃん。四人からハチマキとるなんてさ」
「おう! 練習したかいがあったわー」
みんなから興奮気味に声をかけられる。ヒーローが
教室から持ってきた椅子は、もう誰のものかもわからなくなっていた。みんな椅子の上に立って応援を続けており、その間をぬけて自分の席に戻るのは難しそうだった。
俺は後ろのほうの、誰もいない椅子に腰をおろす。自分の席からペットボトルを取ってもらい、乾いた
「そういえば、さっき、お前の親? が探してたぞ」
えっ? 俺は眉を寄せた。周囲を見回し、後方から向けられた視線に気が付く。生徒以外の人間がたくさん行きかっている中でもすぐに分かった。
こんなクソ暑い日にスーツ着てくるとかバカかよ。
「そうそう、あの人。お父さん?」
俺は「ありがとう」と言って立ち上がる。アイツがこっちに来ようとしたので、俺は
アイツは無言で付いてくる。ジャケットを片手に持ち、噴き出した汗をハンカチで拭っている姿は場違いこの上ない。
校庭から離れ、校舎の陰になっているところで止まった。ここなら誰もいない。
「なにしに来たんだよ」
振り返らずに言った。顔も見たくない。
「歩の
機嫌をうかがうような口調。それを聞くだけでもイライラした。
「やめろよ。アンタが来ると胸糞悪くなる」
「母さんがお前の姿を見たいって聞かなかったんだ。僕が代わりに写真撮るからと言って、なんとかやめさせたんだよ」
親父は声のトーンを落とす。
「ここ最近は調子がいいみたいだが、なにがあるか分からないからね」
「なんでアンタが母さんの体調を知ってるんだ?」
俺は振り返り、父親を睨みつける。
「まだ母さんと連絡とってんのかよ。誰のせいで体調崩したと思ってんだ」
俺は両親と一緒に暮らしていたころを思い出した。
母は家事、育児、仕事のすべてをこなすスーパーマンだった。俺が心配するといつも「大丈夫! お母さん、スーパーマンだから! あ、スーパーウーマンね」と言って笑っていた。
母の言葉を安易に信じた俺を許してほしい。俺はまだ小学生だったのだ。その言葉がウソだと見抜くにはまだ幼かった。
ある日学校が終わって家で待っていると、母が夕方になっても帰ってこない時があった。
二十時を過ぎても連絡がない。心配になって母のスマホに連絡した。
すると知らないおばさんが電話口に出た。パート先の人だった。仕事中倒れたらしい。
母は、仕事でほとんど家にいないアイツの分まで頑張りすぎたのだ。いまだに入退院を繰り返しており、世話は親戚がしてくれていた。俺はそんな母の負担にならないために一人暮らしをしている。
「一応、元
「自分の妻も大事にできないやつが、なに言ってやがる」
「あの頃は仕事が忙しかったんだ。事業を立ち上げたばかりでな。軌道に乗せるのに必死だった」
「アンタ、いつもそれだな」
俺は飽きれてため息をつく。
「それが母さんを放っておいていい理由になると思ってるのか?」
「……そうだな、すまない」
「だから俺の機嫌がいいうちに
「……わかった。もう帰るよ」
親父はそう言って俺に背を向けた。
母さんはなんでこんな親父に連絡を取るんだ。
後ろ姿を見つめながら母のことを考えた。こんな男のどこがいいんだか。
するとアイツは何歩か歩いたところで思い出したように振り返った。
「そうだ、これ。食べるか」
父があるものを差し出した。そこの購買で買ったらしい。昔よく食べていたアイスの袋だった。
チューブの容器が二本くっついていて半分をだれかとシェアできるやつだ。俺はよく母とチョコ味を半分にして食べていた。甘いのが苦手だった父は、どうしても一緒に食べたいからとコーヒー味を選んで食べていた。まだ小学校に上がる前のことだ。
クソッ。嫌なことを思い出した。コイツは俺を何歳だと思ってるんだよ。
だまっていると、父はアイスの外装から
「懐かしくて買ったんだが溶けてしまったようだな……。これで買いなおして友達と食べなさい」
親父はアイスを引っ込めると財布から千円札を出した。
俺は引っ込められたアイスをじっと見ていた。
それが親父の苦手なチョコ味なのがまた気に
「金は要らない。半分は自分で食えよ」
父からアイスを奪うと、袋を開け半分に割った。
日陰の校舎にもたれかかる。しばらくの間、親父と溶けたアイスを吸い上げていた。
「うぅ、やっぱり甘い……」
「父さんが自分で買ったんだろ。責任もって食べろ」
生徒達の声援を遠くに聞きながら、俺たちは久々に家族の時間を過ごした。
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