第十一話 走る理由
「……なにしてんの?」
バカか、俺は。
泣いている瑞希に対してなにか言わなきゃと、とっさに出た言葉だった。
大会を棄権になったことで落ち込んでいることぐらい小学生でもわかるのに。言葉の選択が最悪だ。
「町田くんこそ。なんでこんなところに?」
彼女のほうが話をそらしてくれた。俺はそれにのっかる。
「そこの自販機が安いからさ」
「なるほどね」
「……うん」
会話が続かない。あんまり話したことがないとはいえ、泣いた女の子とかあつかいが難しすぎるんだよ。
拾った百円玉を手でもてあそぶ。
「……なんか飲む? おごってやるよ」
「ほんと? ラッキー。じゃあジンジャーエールで」
自販機に戻り、ジュースを二本購入する。
俺は果汁100%のりんごジュースにした。彼女のもとに戻りペットボトルを渡す。
「ありがと」
俺は立ったままふたを開けた。
この後の行動に迷っていた。もしかしたら今は一人になりたいかもしれない。しかし、泣いている彼女を独り置いていくのは気が引ける。
どうすべきか視線を
俺はその言葉に従い、彼女の隣りに腰をおろす。
座ったところで話題が出てくるわけではない。俺は味わっているふりをして何度もジュースを口にふくんだ。こんなにりんごの味をかみしめて飲んだのは初めてだ。
なにか元気づけてやりたいが、いい言葉が見つからない。
隣りを見ると瑞希は脚をさすっていた。
「痛いの?」
「動いてないから平気だけど、すこし違和感はあるかな。整形外科の先生には一か月くらいは走るなって」
「そっか。大変だな」
「酷使しすぎって怒られちゃった。休養も大事な身体作りだって」
瑞希はさすっている脚をじっと見つめていた。
「まえから思ってたんだけど、なんでそんなに頑張れるわけ?」
「練習のこと?」
「出されたメニューこなすだけでも大変なのに、人より多くやるなんて理由がなきゃムリだろ」
俺は走り込みの練習は苦手だ。種目に分かれて幅跳びやハードルをやっている方がよっぽど楽しい。
瑞希は一瞬考えたあと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……おばあちゃんがさ、記録が伸びるといつも喜んでくれたんだ。それがいつも嬉しくて。おばあちゃんの笑顔がみたいから、だからタイム縮めたくて」
瑞希はいちど言葉を止め、つけ加えた。
「でもね、最近のおばあちゃん、あんまり調子がよくないんだ」
彼女はペットボトルをわきに置くと、両ひざを抱きしめるように抱え込んだ。
「ほんとは今日、家族で見にきてくれる予定だったの。今回一時退院できるのが最後かもしれなくて、私がいい記録を出せば、少しは元気出るかなって思ったんだけど」
はらりと涙がこぼれた。いつも元気で明るいイメージがあるぶん、影の部分を見ている気分だった。
「やっぱ私ってダメだなぁ。体調管理もできないなんてさ。ただ走ればいいってわけじゃないのに」
ため息をつく瑞希。視線を落とし儚げな表情を浮かべている。
ふと競技場の方から応援の声が聞こえてきた。一人が音頭をとり、そのあとに複数人の声が続く。リズムのいい集団応援だ。
外にいるのに競技場の放送アナウンスも漏れきこえてくる。俺たちは会話を止め、その内容に耳をそばだてた。
応援の声が止む。選手たちがゴールしたのだ。トップでゴールを駆け抜けた選手の名前がタイムとともに読み上げられる。壁で競技場の中は見えないが、どういう状況かは容易に想像ができた。
しばらく間があり、追加のアナウンスが流れた。
『先ほどの女子百メートルで一位を記録した木下さんですが大会新記録でした。おめでとうございます』
どよめきが起こる。遅れて拍手の音が響いた。
「もし」
瑞希が口火を切った。
「もし怪我してなかったら、今ごろ走ってたんだろうなぁ」
女子百メートルは瑞希の出場する種目だった。「あーあ」と瑞希は天を仰ぐ。
「私の夏もこれで終わり」
ふーっと息を吐き出す。彼女は締めくくるように両手をパンッと叩いた。「帰ろうか」と瑞希はいう。
このまま彼女は陸上をやめてしまうのだろうか。不安がよぎる。あんなに頑張ってたのに、もう走らないなんて言わないよな。
彼女はジュースを飲みほし、ペットボトルのふたを閉めていた。
なにか言わなければ。
立ち上がろうとする瑞希に俺は話しかけた。
「おばあちゃんのために走ってたってことは、もしかしてもう走らないのか?」
目を丸くした瑞希は立ち上がるのをやめてこちらを見た。言葉に詰まっている。迷いの色が見えた。
「俺はお前に走っててほしいけどな」
お前の走る姿はお前が思ってるよりずっとかっこいいんだぞ。
「……でも、もう引退じゃん」
「高校でも、大学でも走ればいいだろ。お前、走ることは好きじゃないのか? おばあちゃんを喜ばせるためだけにあんなきつい練習できるかよ」
俺は自分が陸上部に入部したころのことを思い出していた。
「俺、走り込み苦手だけどさ、風を切って走るが楽しいって思うから陸上部入ったんだ。お前だって走るの好きじゃなかったらあんなに追い込めないだろ」
小学生のとき、リレーの選手に選ばれるのは何年生になっても嬉しかった。
「他の人より早く走れると楽しくね?」
瑞希はうなづいた。
「それはわかる。めっちゃ距離あいてたのに前の人の背中がぐんぐん近づいてきて『抜けそう!』ってときとか楽しいよね。走ってるってかんじ!」
瑞希は声をはずませる。俺は続けた。
「でもうちの親には対人スポーツの方がよかったんじゃないかって言われるよ」
「どうして?」
「『目力あるんだからそれで相手をビビらせられる』ってさ」
「目力というより、『人相の悪さ』じゃない?」
「うわ、本音言いやがったな! 親にも
「あはは! じゃあ私が町田くんをいじった初めての人だね」
瑞希は意地悪そうに笑う。
「あんまり茶化すなよ。いちおう気にしてんだから」
「そんなに? みんなはこわいって言ってるみたいだけど私はそうは思わないけどな」
瑞希が俺の顔をのぞき込んでくる。俺は反射的に顔をそらした。
「やめろよ、まともに見られると恥ずかしい」
俺は両腕を顔の前でクロスし、瑞希から顔を隠した。
「えー、いいじゃん。ちょっとだけ! ね?」
「ムリ!」
俺は顔を隠したまま上半身をのけぞらせ、瑞希から距離をとる。しかし彼女は俺にかぶさるように腕をのばし、顔を隠している俺の腕をつかんだ。俺の腕を中心にお互いに引っ張り合う。瑞希は楽しそうだった。俺は彼女の笑顔を見てすこし安心した。
瑞希と攻防を続けていると、ふと自販機の方から話し声が聞こえてくる。
「まって、誰か来た」
瑞希が急に引っ張る力を緩めた。俺が反対方向にひいたのに合わせて、瑞希がつられて倒れてくる。気づいたときには彼女は俺の胸に収まっていた。
「ちょっ」
「しっ! 話さないで。気づかれちゃう!」
瑞希が首を横に振りながら、上目づかいでこちらを見てくる。
か、顔が近い……。
心拍数が上がっていくのが分かった。見つかってしまう緊張でないことぐらい自分でもわかる。瑞希にそれがバレてしまわないかと考えると余計に鼓動が速くなった。
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