第八話 恐怖

 今週から七月に入り、いよいよ夏らしい気温になってきた。

 高校最後の夏。練習にも気合が入る。


 走り込み練習がひと段落し、日陰で身体を休めることにした。俺はふき出した額の汗を肩でぬぐう。

 周囲を見渡すと、遠くの方の景色がゆらゆらと揺れている。それをぼーっと眺めていると、視界のすみにボールを蹴る溝口のすがたがうつった。今日はサッカー部と一緒にグラウンドを使用する日だった。


「守備ちゃんとしろよー!」


 ゼッケンを着た溝口は自身も選手として練習試合をこなしながら周囲にも目を配っていた。

 サッカー部のマネージャーが笛を鳴らす。コートに入っていた選手たちがドリンクボトルの前に集まっていった。ボトルを受け取った部員たちはボトルの腹を押して、開けた口にドリンクを流し込んでいる。

 溝口もドリンクボトルを受け取り、顔を上に向けて給水をしていた。

 ふと彼がこちらを向く。バチっと目があってしまった。

 うわ、と俺が思っていると向こうも同じ想いだったらしい。溝口の表情が曇っていくのが見てとれた。

 アイツは俺に向かってなにやら口を動かしている。


『ばーか』


 声は聞こえなくとも明らかにあおっているのは分かった。


 コイツ……!


 俺はとっさに親指を立てて下に向けた。すると溝口は、周りに見えないように中指を立てて応戦してくる。うっすらと口角を吊り上げて、鼻で笑ったのも読みとれた。

 俺も溝口に向けて同じハンドジェスチャーをしようとすると、後輩がやってきた。恐々こわごわした様子で声をかけてくる。


「町田先輩、そろそろ開始時間です……」


 俺は返事を返すと、思わず舌打ちしてしまう。消化不良のいら立ちを無理やり飲みこんで、スタートラインに向かった。

 トラックではちょうど女子部員たちが走っていた。マネージャーは走っている瑞希たちに向けてスマホのカメラを向けている。

 もう一度溝口の方を見ると、彼はもう俺のことなんて忘れたかのように試合に戻っていた。

 アイツに煽られるたび、あの時言われた言葉を思い出してしまう。


『生まれつきだからって、努力しないのは違うよね?』


 俺だって努力はしている。しかし相手が俺のことをどう思うか、そんなこと俺にはどうしようもないじゃないか。



 目つきが悪いのは昔からだった。

 母から聞いた話によると、生まれて半年ぐらいたつ頃にはすでに今の風貌ふうぼうだったそうだ。三歳のいとこが赤子の俺に見つめられて泣いたというのは親戚の間では有名な話である。

 とくに第一印象が悪いのはどうしようもない。

 学校生活のように時間をかければクラスメイトとは仲良くなれるが、高校受験の面接は全滅だった。いまの高校に入れたのも筆記試験方式があり、そちらで基準点に達したおかげである。

 受験前の瑞希には「筆記試験があるんだから問題ないでしょ」と言われたが、『不合格』の文字にはやはり落ち込んだ。


 入学後も俺が友人作りに苦戦しているかたわらで、瑞希の周囲にはいつも人がいた。

 瑞希は後輩たちとも仲がよかった。

 俺と同時期に副部長になったのに、彼女には部長の俺とは比べ物にならないくらい人望がある。

 彼女と仲がいいおかげで、俺はクラスメイトや後輩たちと早く仲良くなることができた。だから今は普通の高校生活を過ごせているが、そうでなければぼっちで三年間を過ごしていた可能性は高い。


 だけど、今でも目があった人のほとんどからは気まずそうに視線をらされる。

 何度されたことだろう。まともに目をあわせてくれる人は数えるほどしかいない。ましてや最初から目を見てくれる人はほとんどいないのだ。


 もしも瑞希にそんな態度をされたら――。


 俺がまともに告白できないのは、瑞希に視線をそらされるのが恐いからだった。


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