第五話 門番➁

 俺と井上さんの間に入ってきた彼は眠そうな声で言った。


「瑞希、おはよう」


 同じクラスの町田京介だった。彼も今年二年生になって初めて同じクラスになった生徒である。

 彼はあくびを噛みしめながら、こちらに近づいてきた。普段から目つきが悪く、正直近づきがたいやつだ。寝不足なのか、特に今朝は一段と酷い顔をしている。


「郷田先生、おはようございます」


 律儀りちぎに挨拶をする町田。しかし、郷田は視線をそらして曖昧あいまいに返事を返す。彼の鋭い眼光がんこうは郷田も苦手なようだ。正直今の彼の眼差しは目が合ったものをその場に凍りつかせてもおかしくないほど迫力がある。


「なんの話?」


「柏木くんの身だしなみがダメなんだって」


 町田は「あー」と言ってちらりと俺の身なりを見る。そして背負っていたスクールバッグを地面に置いた。


「郷田先生って、生徒手帳に記載の『服装規定』って読まれました?」


 彼はカバンの横にしゃがみこむと中を引っき回しはじめる。その手はなかなか止まらず、探すのを諦めたのか「生徒手帳持ってる?」と井上さんを見上げた。

 俺に聞かない辺り、町田京介の判断は正しい。俺もカバンの中に生徒手帳が入っている自信はない。

 井上さんが胸ポケットから取り出すと町田はぺらぺらとページをめくり、ある記載を見つけて指でしめした。


「校則のここなんですけど――」


 町田の持つ生徒手帳を四人で覗きこむ。


『(1)生徒は、本校所定の制服を着用し、つねに清潔を保ち、品位を失わないよう心がけること』


「べつに違反してないと思うんですよね、柏木くん」


 町田京介は、改めて大きなあくびをした。


「しかし、品位が……」


「『品位』って具体的に何ですか?」


「ぐっ……」


 間髪入れずに突っ込む町田。郷田はなにも言うことができない。


「じゃ、もう教室いかないとまずいんで失礼しまーす」


 俺と井上さんは彼の後ろに続く。振り返ると、悔しそうにこちらを見つめる郷田の姿があった。

 昇降口まで来たところで、町田は井上さんに詰め寄った。


「朝からめんどくさいのに関わってんじゃねーよ」


「しょうがないでしょ、ああいうは見過ごせないの」


 井上さんは町田と目を合わせて普通に話していた。町田の威圧的に見えてしまう表情を少しも気にしていない。


「柏木くんが危なかったんだから」


「ほんとか? むしろ瑞希がしおり先生の話を持ち出すから余計にこじれてるように見えたぞ」


 正直、井上さんがあそこで止めてくれなければ、俺はこぶしで郷田のことを殴っていたと思う。井上さんは「そうだっけ?」と笑っているが、停学を食らったかもしれないと思うと助けられたのは事実だ。


 その後も井上さんと町田は軽口をたたきながら教室へ向かっていた。時々俺にも会話を振ってくれる。この二人が教室で話す姿はほとんど見たことがないが、元々仲がいいということは見ていてわかった。なにより町田の表情が時おり柔らかくなる瞬間がある。

 ああ、なるほど。

 俺は彼の気持ちに気づく。邪魔しては悪いと思い、なるべく一歩引いてそれを見ていた。


「そういえば、柏木くんのLINE知らないんだけど交換しない?」


「俺も知らないな」


 唐突に連絡先を交換することになり俺は戸惑とまどった。先ほどは助けてもらったが、それだけの関係で終わると思っていた。どうせ今後話すこともない。


「そーゆーピアスってどこで買うのか今度教えてくれよ。お前、センスいいじゃん? 俺、オシャレとかよく分かんないからさ」


 町田が耳を指さして俺を素直にほめてくれる。

 今まで好奇の目で見られることはあっても、町田のように興味を持ってくれるやつは初めてだった。

 いわれるがまま二人と連絡先を交換する。スタンプが送られてきたところでちょうどチャイムが鳴った。


「やば! 早くいこ! 本当に遅刻になっちゃう!」


 俺たちは階段を駆け上がる。

 一段飛ばしなのに井上さんは町田と同じスピードで上っていった。二人とも足取りが軽い。

 そういえばこの二人って陸上部だったっけ。俺が一番息が上がっている。

 先に最上段に着いた二人はこちらを振り返ると「頑張れ!」と言って俺を待っていてくれた。

 俺は少し遅れて辿りつくと、息を整える。


「ごめん……」


「三人ならおしかりも三分の一だし大丈夫だろ」


「そうそう! じゃあ、行こっか!」


 俺は二人の後ろに続く。

 駆け足で教室に向かいながら「ありがとう」と呟いた。

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