ある男のやったこと(2)

「始まりは、ジャンキーズとノトーリアスの戦争だよ」


 語り出した大島。表情は、先ほどまでと違い和らいだものになっている。


「はい。あなたは、菊田さんに同行していたのですよね」


 そう、工藤は菊田から大島の話を聞いていた。その時点から、彼に目を付けていたのだ。

 この奇妙な事件に、重大な役割を果たしていたのではないか……と。


「そうだよ。菊田が無茶しないように、そばに付いていようと思ったんだ。そん時、あいつを見ちまった」


「鈴原のことですね?」


「そう。あいつは本当にヤバかった。無造作にすたすた歩いてきて、軽く触れた……ようにしか見えなかったんだ。そしたら、ジャンキーズの奴がいきなり倒れたんだよ。しかも、泡吹いてピクピク痙攣し始めた。周りにいる全員が、完全に呑まれて目を白黒させてんだよ」


「そうなるでしょうね」


「あの時、俺はすぐにわかったよ。同じクラスの鈴原じゃねえか、ってな。しかも、翌日にあいつは何事もなかったように学校に来ていた。あんなことをやらかしたのに、おとなしく席に座り授業を受けてるんだよ。普通じゃねえと思ったな」


「そのことで、鈴原と話したりはしなかったのですか?」


「いや、話さなかった。下手に話しかけたら、とんでもねえことになりそうな気がしたんだ」


「それは正解でしたね」


 本当に正解だった。

 この時点で、大島が鈴原と接触していたら……鈴原は、大島の肉体が人と違うことに気づいていただろう。己の能力が通じないことにも気づいたはずだ。

 結果、内臓逆位症の人間に己の能力を使う方法を、彼を実験台にして学んでいただろう。そうなった場合、鈴原を止められる者はいなかった──


「それから、俺は鈴原のことを調べるようになった。あいつの家に行ったり、後を尾行したりしてな。そしたらよ……まあ、驚いたね。あれは、化け物だったよ。鈴原のやったことは、あんたも知ってるだろ?」


「はい、おおよそのところは」


「調べていくうち、だんだんと怖くなってきた。知れば知るほど、鈴原はヤバいんだよ。あいつの周りで死人が出てるようなんだ。しかも、学校では別人みたいにおとなしくしてる。あんな二重生活をしてる奴は初めて見たよ。俺は、鈴原とはかかわらないようにしようと思ったんだ。でも、そういうわけにもいかなくなった」


「何があったのです?」


「俺の友達の水野ミズノって奴が、鈴原や酒井とツルむようになったんだ。やがて水野は、覚醒剤を打ち始めて……おかしくなっちまった」


「そうでしたか」


「水野の奴、あっという間にガリガリになっちまってさ、ひどい有様だったよ。俺が何を言おうが、聞きやしねえ。でも、本当にひどいのはその後だ。ある日を境に、水野はふっと消えちまったんだ」


 大島の話を聞きながら、工藤は改めて考えていた。鈴原にかかわった挙げ句、覚醒剤により破滅していった人間は多い。ひょっとしたら、それも鈴原の計算のうちだったのかもしれなかった。薬物を、自分の目的のための道具として用いる……有り得る話だ。


「で、俺はいろんな奴に話を聞いたよ。水野と最後に話した奴に聞いたら、鈴原や酒井と一緒に、女の家に行くと言ってたらしい。だから俺は、学校で鈴原の机に手紙を入れたんだよ。お前のやっていることはわかってる、黙っていて欲しかったらひとりで来い。さもないと警察にチクるぞ、って書いてな」


「どこに呼び出したのです? あと、その時に何があったのですか? 鈴原の死に方も含めて、出来るだけ詳しく教えてください」


 工藤に言われ、大島はぽつりぽつりと語り出した。


 ・・・


 真幌市に、恋ヶ淵こいがふちと呼ばれる場所がある。高く切り立った崖で、周囲は森に覆われていた。崖の下には、大きな沼があり注意を喚起する立て札も設置されている。

 昔話によれば、かつて身分の違いから付き合うことを許されなかった男女が、己の運命を嘆き、手を取り合って崖から飛び降りたのだという。そんな男女の霊が今も憑いており、周辺を通る人間を下に引きずり込むとの言い伝えが残っている。ふたりの悲恋と、こちらに来い……のふたつがかかっているのだろう。

 崖の下には沼が広がっており、落ちた者は上がって来ない。そのため、付近を縄張りにするヤクザが見つかってはいけないものを始末する時、崖から沼に放り込む……とも言われていた。




 大島は、その恋ヶ淵に鈴原健介を呼び出したのだ。

 崖近くの森の中に隠れ、息を潜めて現れるのを待った。万一、手下たちを連れて来た場合は退散するしかない。

 じっと待っていると、足音が聞こえてきた。さらに、懐中電灯のものらしい光も……鈴原が来たのか。大島はその場から動かず、しばらく様子を窺うことにした。

 歩いて来たのは、やはり鈴原であった。手下を連れていないようだ。Tシャツ姿で、何の迷いもなく森の中を進んでいる。一見、ただの小柄な少年にしか見えない。

 だが、その足取りはしっかりしている。今は夜の十時であり、森の中は暗く不気味な雰囲気を醸し出している。にもかかわらす、鈴原は平然とした顔で歩いている。学校で授業を聞いている時と、ほとんど変わらない態度だ。

 やがて、鈴原は崖っぷちで立ち止まった。能面のように変化のない表情のまま、周囲を見回す。

 と、その目がこちらを捉えた。直後、口を開く。


「そこに隠れてる人、早く出てきなよ。指定の通り、ひとりで来たからさ。他に誰もいないよ」


 奇妙な声だった。抑揚がなく無機質である。リラックスした状態で立っており、その顔からは喜怒哀楽といった感情が完全に消え失せていた。

 大島は迷った。そこにいるのは、どう見ても数秒で倒せそうなオタク少年である。だが、そのオタク少年が人間の命を奪ったことも知っている。何より、目の前で見てしまったのだ……ノトーリアスとジャンキーズが衝突した日の、悪魔のわざとしか思えないような出来事を。

 その時、またしても声が聞こえてきた。


「何してんの? 俺に言いたいことがあるんでしょ? 出てこないなら、こっちから行くよ」


 鈴原の声だ。彼の目は、まっすぐこちらを見つめている。暗闇の中、木陰に身を隠しているにもかかわらず、大島のいる位置がわかっているのだ。

 大島は腹を括った。よくはわからないが、鈴原に触れられた人間はおかしくなるらしい。ならば、奴に触れられる前に一発入れれば何とかなるはずだ。

 おそらく、水野は鈴原に消されたのだろうが、一応は話を聞いてみる。答えによっては、こいつを崖から突き落とす。水野の仇を討つのだ……頭の中でやることをまとめると、立ち上がり鈴原のいる場所へと歩いていく。

 やがて、大島は立ち止まった。鈴原との距離は、二メートルくらいか。いざとなれば、一瞬で間合いを詰め顔面に一撃叩き込める距離だ。

 その時、鈴原が口を開いた。


「君は、俺の何を知ってるの?」


 先ほどと同じく無機質な声だ。大島を恐れる様子はない。


「とぼけんな。お前、ノトーリアスの連中とツルんでシャブ捌いてんだろうが」


 言い返したものの、その声は震えていた。これまで数々の修羅場をくぐってきた大島だったが、今は緊張を隠しきれない。

 対する鈴原の口から出たのは、意外な言葉だった。


「それだけ?」


「はあ?」


「お前の秘密を知ってるっていうから、何かと思ったよ。シャブを捌いてたとか、そんな下らないことで俺を呼び出したの?」


 言った直後、鈴原は何を思ったか目をつぶった。

 次の瞬間、パッと目を開く。その瞳は、緑色に光っていた──


「そんなことで、呼び出さないでよ。俺も忙しいんだからさ」


 言ったかと思うと、右腕を上げ大島を指差す。

 大島は、思わずビクリと反応した。この男、何かする気だ……拳を握り、反撃に備える──

 予想に反し、何も起きていない。大島の胸には、微かにモワッとする違和感があった。だが、それだけだ。渋谷で見た時のような、泡を吹いて倒れるほどのダメージはない。

 鈴原の態度も変わっていた。月明かりに照らされた彼の顔には、奇妙な表情が浮かんでいる。なぜだ? わからない? とでも言わんばかりの様子だ。

 その瞬間、大島は動いていた。何が起きているかはわからないが、チャンスは今しかない。一気に間合いを詰め、拳を振るう──

 たった一撃で、鈴原は吹っ飛んでいった。地面に尻もちを着き、呆然とした表情でこちらを見ていた。

 直後、鈴原の鼻と口から血が吹き出す。拳の手応えからして、前歯が折れたのだろう。あまりの呆気なさに、大島も少し戸惑っていた。

 一方、鈴原は顔を真っ赤に染めながら、どうにか立ち上がる。もっとも、その姿勢はおぼつかない。今にも倒れそうだ。

 その姿を見て、大島はようやく本来の目的を思い出した。まずは、聞かねばならないことがある。


「おい! 水野はどこにいる!? 答えろ!」


 怒鳴りつけたが、直後に彼の顔が歪んだ。

 鈴原の口から、聞いたこともない言語が飛び出したのだ。日本語でも英語でもない。いや、言語というより壊れた機械音のようだ。耳障りの悪い不快な声である……。


「てめえ! 訳わかんねえこと言ってんじゃねえぞ! 水野はどうなったんだ!?」


 異様な状況に怯みながらも、さらに尋ねた。だが、返ってくるのは雑音のごとき声である。


「クソが! 言えやゴラァ!」


 喚きながら、パンチを叩き込む……それは、怒りよりも恐怖から出た行動であった。緑色に光る目、先ほど体を襲った奇妙な感覚、雑音のような声、何もかもが理解不能だ。

 しかも、目の前にいる男は触れただけで大勢の人間を倒している。殺らなければ、こちらが殺られるのだ。

 大島の拳は、またしても鈴原の顔面に炸裂した。痩せた体は、衝撃に耐えられず後方に吹っ飛んでいく。

 直後、崖の下へ落ちていった──






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