ある男のやったこと(1)

 酒井と面会から数日後、工藤は駅近くの繁華街にあるカラオケボックス内の一室にいた。まだ昼間だが、他の部屋にはそれなりに客も入っているらしい。時おり、外からの声も微かに漏れ聞こえてくる。

 もっとも、工藤のいる部屋の空気は冷え切っている。テーブルの上には、アイスコーヒーがふたつ置かれているが、どちらも口をつける気配はない。


「また来ていただき、ありがとうございます」


 会話の口火を切ったのは工藤だった。いつもと同じく灰色のスーツ姿だが、いつもと違う点もある。足元にはアタッシュケースが置かれており、その顔には優しげな表情が浮かんでいた。

 対照的に、彼の前にいる男は憮然とした表情である。面倒くさそうに口を開いた。


「今度は何の用だ? あんたに言うことは、もう何もないぜ」


 大島文明は、不快だという感情を隠そうともしていない。ジャージ姿で椅子に座り、足を組んだ体勢で睨むようにこちらを見ている。

 そんな大島に向かい、工藤は静かな口調で語り出した。


「あなたに、ふたつ用件があります。ひとつは、菊田圭佑さんに伝言を頼まれたので、こうして伝えにきました」


「菊田? 菊田圭佑か?」


「はい、菊田圭佑さんです。あなたに、よろしく言っておいてくれと言っていました」


 工藤の言葉に、大島の表情が和らいだ。もっとも、緊張は解けていない。


「懐かしいな。あいつは元気だったか?」


「はい、元気でしたよ」


「で、もうひとつはなんだ? まさか、鈴原が見つかったとか言わねえよな?」


 その声は、微かに震えている。横柄な態度ではあるが、緊張しているのが読み取れた。

 そんな大島に、工藤は静かな口調で答える。


「いいえ、見つからなかったです。見つかるはずがないんですよ。私の推理によれば、鈴原健介はもう死んでいます」


 一瞬、大島はビクリと反応する。が、すぐに平静を装い聞いてきた。


「はあ? 死んでる?」


「はい。一応、言っておきます。私は警察ではありません。犯罪行為を自白されたからといって、警察に通報する気もありません。そのことを踏まえた上で聞いてください」


 そこで、工藤は言葉を止めた。少しの間を置き、口を開く。


「鈴原健介を殺したのは、あなたではないのですか?」


 聞いた瞬間、大島の表情が歪む。工藤をジロリと睨んだ。


「何を言い出すかと思えば、とんでもねえ話だな。あんた、頭大丈夫か?」


「少なくとも、今のあなたよりは大丈夫だと思いますよ」


「はあ? どういう意味だよ?」


 鋭い目つきで聞いてきた。というより、凄んできたという方が正確か。しかし、工藤は意に介さず語っていく。


「はっきり言いましょう。あなたは、悪人ではありません。しかし、ある意味ではそこらの悪人よりも遥かに厄介な存在です。言ってみれば、確信犯の善人ですね。あなたは、己の信ずる正義のためなら法を無視できるタイプの人間でしょう」


「何を言っているのか、さっぱりわからねえ。そもそも証拠はあるのか? 俺がいつ、どこで鈴原を殺したんだ? 言えるもんなら言ってみろよ」


 言った後、大島は笑う。だが、引きつった笑顔だった。余裕が全く感じられない。この男は、嘘がつけない不器用な性格なのだろう。


「証拠はありません。また、あなたがいつどこで鈴原を殺したかはわかりません。ただ、調べていてわかったことはあります。まず、彼が自らの意思で姿を消すということはありえません。鈴原は、この日本で達成すべき大きな目標を胸に秘めて行動していました。その目標を、簡単に諦めるような人間ではありません。また、あの鈴原を捕らえ秘密裡に十年以上も監禁しておけるような施設があるとも思えません。そう考えていくと、行き着く先は誰かに殺されたという結論しかないのです」


 対照的に、工藤は表情を変えず淡々と語っていく。

 一呼吸置き、大島を見据え決定的とも言えるセリフを吐いた。


「次に……鈴原を殺害可能と思われる人間は、あなただけなんですよ」


「殺害? 俺が?」


「鈴原健介について、私はいろいろな人間から話を聞きました。全員、口を揃えて言っていましたよ。鈴原は今も生きている、死ぬような男じゃないと。鈴原の裏の顔を知っている人間の中で、彼の死について言及したのは、あなただけなんですよ。初めてお会いした時、鈴原は生きているか死んでいるかわからない、と言っていましたよね」


「それだけか? それだけで、俺が犯人だと言っているのか?」


 なおも聞いてくる。その目は、真剣そのものだ。

 工藤は気づいた。大島は、しらばっくれているのではない。ごまかそうとしているわけでもない。彼は、この異様な事件の記憶を今なお忘れられずにいるし、真相を知りたいと思っているのだ。


「理由はもうひとつあります。あなたの体質です」


「えっ……」


「鈴原には、恐ろしい能力がありました。調べてみたところ、軽く触れただけで相手を動けなくしたり、気絶させたりしています。彼と喧嘩をして倒された者たちは、こんなことを言っていました。内臓がギュッと掴まれたり、血液が逆流するような異様な感覚に襲われた、と」


 そうなのだ。

 鈴原には、超能力としか言いようのない力があった。触れただけで気絶させたり、自分に好意を抱かせたり、心臓死を起こしてしまう能力。

 この能力で、大勢の人間の運命を操ってきた。ある者は命を奪われ、ある者は人生を狂わされ破滅した。


「私はね、ひとつの仮説を立てたんですよ。鈴原は触れることにより、人の体内を巡る気の流れのようなものを、意図する方向へと変える能力があるのではないかと。その力を使うことにより、敵を気絶させたり内臓の働きを操作したり、場合によっては殺したりも出来るのです」


 決定的だったのは、酒井の一言だった。自身の体内に流れているマナ……あの男は、そんなことを言っていた。

 マナとは、原始的な宗教において神秘的な力の源とされる概念だと言われている。人や物などに付着して特別な力を与えるが、それ自体は実体性を持たないとされていた。

 鈴原は、マナと呼ばれる何かを他人に注入し体内の気の流れを操作するのだ。結果、相手の心と体は鈴原の意のままになる。リモコンから電波を飛ばすように、鈴原はマナを注入し相手の肉体を操作した。


「ところが、あなたにはその能力が通用しなかった。なぜなら、あなたが内臓逆位症だからです」


 そこで、ようやく大島は口を開いた。


「ちょっと待てよ。意味がわからねえ。俺が内臓逆位症だから、なんだって言うんだ?」


「内臓が全て逆の位置にあれば、体内の気の流れも全て逆になります。つまりは、能力の使い方を変える必要があるのですよ。ところが、当時の鈴原には、それがわからなかった」


 その瞬間、大島の顔に奇妙な表情が浮かぶ。口は半開きで、呆然と工藤の顔を見つめていた。何か、思い当たる点があったのだ。

 やはり、この推理に間違いはなかった。


「鈴原の最大の武器は、その能力です。しかし、あなたにはそれが通じなかった。となれば、必然的に自らの肉体で戦わざるを得ません。そうなった場合、鈴原に勝ち目はないでしょう。あの男の肉体はひ弱で、喧嘩に関しても経験不足ですからね。一方、あなたは喧嘩慣れしており腕力も強い。素手でも、あの男を殺せたでしょう」


 鈴原と同じクラスにいた伊藤光一は、こんなことを言っていた。軽くぶつかっただけで、鈴原はふっ飛んで倒れた、と。

 そこから推察するに、あの男の身体能力はかなり低い。超能力なしで大島と闘ったら、拳銃でも持たない限り勝ち目はないはずだ。

 その大島は顔を歪め、視線を逸らしている。思い出したくない記憶なのだろう。

 だが工藤は、真実を知らなくてはならないのだ。


「もう一度言います。私は、あなたのしたことを警察に言うつもりはありません。法的な解決を望んでいるわけでもありません。ただ、真実を知りたいだけです。もし、何があったかをお話ししてくれるなら、あなたには特別ボーナスをお支払いしましょう。ですから、何があったのかを語ってください」


 その時、大島の口から溜息が漏れる。犯した罪を悔いるというよりは、やっと楽になれる……そんな表情を浮かべていた。

 ややあって、彼は語り出した。


「俺が本当のことを言う保証はないだろう。金目当てに、あんたにベラベラと嘘を言う可能性だってある。あんたは、俺の言ったことの裏を取る手段はないだろうからな」


「ということは、鈴原の死体は完璧に始末したのですね」


「いいや、俺は始末してねえ。そもそも、死体を見てないからな。でも、死体が出てくることもないと思う。現に、今まで出てきていないわけだからな。それでも、金を払ってくれるのか?」


「あなたは、嘘のつけない人です。それに、ゼロから話を作り出せるタイプでもない。せいぜい、本当にあったことに尾ひれを付ける程度でしょう。構いませんよ。話を聞かせてくれるなら、特別ボーナスをお支払いします」


「なんかバカにされてるような気もするが、まあいいや」


 大島は苦笑しつつ、言葉を返した。だが、次の瞬間に真剣な表情へと変わる。


「わかったよ。あんたに、全てを話そう」










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