ある男のやったこと(3)

 語り終えた大島は、テーブルの上のアイスコーヒーを飲んだ。長年のモヤモヤが吹っ切れた、そんな顔つきになっている。

 工藤は、今の話に登場した水野という男の末路を知っていた。鈴原の愛人のひとりだった大下千夏の家で、覚醒剤を打ち突然死した男……それが水野である。死んだ後、鈴原と酒井により浴室で体をバラバラにされ始末されたのだ。その死体は、もはや見つかることはないだろう。だが工藤は、そのことに触れる気はなかった。

 やがて、一息ついた大島は再び口を開く。


「不思議なんだよな。俺は人を殺したんだ。なのに、何も感じていないんだよ。あれから十三年、罪の意識にさいなまれることなく普通に生きていられた。でもな、探偵のあんたから連絡があった時、俺は観念したよ。ついに、来るべきものが来たんだってな」


「しかし、あなたは私に会ってくれました」


「ああ。このまんまにしてはおけなかった。いつかは、ケリをつけなきゃならないと思ってたんだよ。けどな、あいつが飛び降り自殺しようとしたけど生きてた……って話を聞かされた時は、本当にビビったよ。一瞬、あんたは全てを知った上で、俺をいたぶってるんじゃねえかとさえ思った。だが、違ってたんだな」


「もちろんです。当時の私は、鈴原が何者かすら、よくわかっていなかった。あなたが、鈴原を殺害したなどとは考えてもいませんでした」


 最初は、本当に参考人のひとりとしか思っていなかった。

 この男が当時、鈴原の自宅周辺をうろうろしていた……南川や、その他の人間に聞いた情報から大島に行き着いた。もっとも、何かを隠しているのは一目で見抜いていた。


「あいつは、本当に死んだのか? ビルの屋上から飛び降りても死ななかったんだろ? どっかで生きてるとか、その可能性はないのか?」


 大島のその問いに、工藤はかぶりを振った。


「それはないですね。断言できます」


「なんでわかるんだ?」


「あの男は、おとなしく死んだふりをしていられる人間ではありませんよ。鈴原は、ノトーリアスという組織を足がかりに、さらなる高みを目指していました。いずれは、銀星会をも乗っ取るつもりでいたものと思います」


 聞いた大島は、ふうと息を吐く。


「鈴原は何者だったんだよ? 俺は、どうしてもわからねえ。あいつが崖から落ちるのを、この目で見た。それなのに、今でも鈴原が本当にいたのかわからなくなる時があるんだよ。悪い夢を見ていたんじゃねえか、そんな風に思う時もあるんだよ」


「正直いいますと、私とて鈴原が何者か完全に解明できたわけではありません。ただ、私の知っている日本語でもっとも適切に鈴原を表しているのは……悪魔、でしょうかね」


「あ、悪魔?」


「そうです。鈴原健介は、周囲の人間を次々と破滅させていました。私は彼の足跡を辿ってきましたが、わかっているだけで十人以上の人間を殺しています。他にも、数多くの罪を犯しているのです」


「なんて奴だよ……」


「まず最初に、鈴原は実の母親と関係し子供を産ませようとしていたのですよ」


 途端に、大島の顔が歪む。


「ちょっと待てよ。それ、本当か?」


「はい。あなたにだけは、特別に教えてあげましょう。鈴原健介の母である芽衣子さんは、妊娠していました。産婦人科から出てくるところを、何度か目撃されています。おそらくは、鈴原健介の子だと思われます」


「あ、あいつは、何のためにそんなことしたんだ?」


「母親に歪んだ欲望を抱く人間は存在します。しかし、鈴原の場合は違いました。彼は純粋に、人間の性交を学ぶ、そして子供を作るという目的がありました。そのため、最も身近にいた異性を利用したに過ぎません。同時に、あの魔法のような能力を試す必要もあった。鈴原は、芽衣子さんに能力を用いて意のままに操り、性交して妊娠させたのです」


「ちょっと待て。性交を学ぶってなんだよ?」


「文字通り、性交のやり方を学ぶためですよ。話を続けますと、鈴原が死んだ後、芽衣子さんにかけられた魔法は解けました。途端に、彼女はようやく自分がしてしまったことのおぞましさに気づいたのです。芽衣子さんは耐えきれなくなり、自ら命を断ちました。これが、芽衣子さんの死の真相です」


 その時、大島の表情が暗くなった。なにがしかの責任を感じているのだろうか。だが、工藤は構わず語り続ける。


「鈴原健介は、その後にノトーリアスと接触しました。初めの出会いは、ただの偶然だったようです。夜の街を歩いていたら、たまたま殿岡が菊田さんに叩きのめされて入る場面に遭遇してしまいました。鈴原は、殿岡を助けるために動いたのです」


「あいつは、なんで殿岡に味方したんだ?」


「おそらく、菊田さんの方を強者だと判断したのでしょう。その強者である菊田さんを、自分の力で倒せるか……いわば、喧嘩の練習だったのではないかと思われます」


「待てよ。じゃあ、あいつはあんな凄いことが出来るのに、それまで喧嘩したことがなかったのか?」


「はい。これもまた、私の仮説ですが……鈴原は今まで、喧嘩をしたことがなかった。しかし、あの能力は持っている。彼は、能力を用いたらどうなるか、事前に何度か訓練をしたのでしょう。もっとも、喧嘩で本格的に用いたのは、殿岡と出会った時であると思われます」


 ひょっとしたら、母親である芽衣子を実験台にした可能性もある。その上で、菊田に対し本格的に使ってみたのだろう。

 鈴原にとって、全ては計画の一部でしかなかった。


「その後、鈴原はノトーリアスという組織を利用し様々なことを学習していった。下の人間の動かし方、集団になった時の力、組織の運営などなど……そういったものを学んでいったものと思われます」


 当時の鈴原にとって、ノトーリアスはまたとない学習の場であっただろう。集団の持つ力を学び、群れを上手く治めるコツを理解していった。結果、ノトーリアスは渋谷でも最大のチームへと膨れ上がっていったのだ。


「また、酒井は鈴原に心酔していました。彼は、他の者たちとは根本から異なっていたのです。酒井の中には、この世界を滅茶苦茶にしたい……という願望がありました」


「どういう意味だ?」 


「ノトーリアスのメンバーたちは、基本的に自分たちの利益しか考えていません。しかし、酒井だけは根本から異なっていたのです。彼は、この世を憎んでいました。出來ることなら、日本という国を破壊したい。そのためなら、自分の命が失われても構わない……そんな破滅願望に憑かれていたのです。その願望を、鈴原は見抜いていました。だからこそ、彼は側近として酒井を選んだのです」


「哀れな奴だな」


「哀れではありますが、その思想は鈴原と重なる部分がありました。放っておいたら、鈴原は確実に日本を滅茶苦茶にしていたでしょう。現に、彼は銀星会に入り込もうとしていました。ノトーリアスを掌握した後は、銀星会を支配するつもりだったのではないかと思われます。日本最大の暴力団を支配した後は、巨大な組織の創設ではないかと……まあ、全ては私の想像ですがね」


 そこで、工藤は言葉を止めた。大島を、じっと見つめる。その射抜くような眼力に、大島は思わず目を逸らした。

 少しの間を置き、工藤は再び語り出す。


「あなたが、自分のしたことをどう考えているかは知りません。ですが、ひとつだけ言えることがあります。あなたは、大勢の人間の命を救ったのですよ」


「そ、そうなのか?」


「はい。あなたは言っていましたよね。鈴原は、害毒を垂れ流す奴だと。その通りなのですよ。鈴原の歩いた後には、死体の山が築かれていきます。これは、疑いようがありません。その殺されていたはずの人たちの命を、あなたは救ったのですよ」


 その時、大島はくすりと笑った。


「世の中ってのは、おかしな具合に出来てるんだな。俺は小さい頃から、自分の体がずっと嫌で嫌で仕方なかった。内臓が、全て逆の位置に付いてるんだぜ。みんな気持ち悪がったし、俺自身も気持ち悪いと思ってた。でも、その体がまさか世のため人のためになるとはな」


「そうですね。では、世のため人のためになることをしたあなたには、特別ボーナスを差し上げましょう」


 そう言うと、工藤は足元のアタッシュケースをテーブルの上に置く。

 中を開けた瞬間、大島は唖然となっていた。アタッシュケースには、札束がぎっしり詰まっていたのである。おそらく何千万という額だろう。いや、億に達する額かもしれない──


「お、おい……なんだよこれ!?」


「今いった通り、特別ボーナスです。全て本物ですので、どうぞ受け取ってください。それと、注意していただきたいことがあります。まず、急に大金が入ったからと言って、バカな使い方をしないでくださいね」


 あくまで態度を変えず、淡々と語る工藤。だが、大島は何も言えなかった。想像もしていなかった状況に呑まれ、ただただ唖然となっていた。


「次に、私のことは他言しないでください。このお金の中には、口止め料も入っている……そう解釈しておいてください」







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