大山の印象

「あんた、いったい何が目的なんですか?」


 大山尊オオヤマ タケルは、訝しげな表情で聞いてきた。その顔は温厚そうで、物腰も柔らかい。一見すると、気のいい中年男という印象だ。

 ところが、この男には前科がある。かつては筋金入りの不良少年であり、あちこちで悪名を轟かせていた。今の姿からは、想像もつかないだろう。


「私は私立探偵の工藤淳作です。あなたに、是非ともお聞きしたいことがあったので連絡させていただきました。こんなところまで来ていただいて、ありがとうございます」


 答える工藤。こんなところ、などと言っているが、ふたりが今いる場所は駅近くにあるカラオケボックスの一室だ。周囲からは、時おり騒がしい声が漏れ聞こえてくる。もっとも、この部屋だけは真逆の雰囲気だ。

 言うまでもなく、どちらにもマイクを手にする気配はない。両者の間には、何とも言えない空気が漂っている。




「あなたは、かつてジャンキーズというチームのリーダーでしたね」


 いきなり切り出した工藤に、大山はビクリと反応した。だが、平静を装い口を開く。


「はい? 何を言っているのですか?」


「十三年前、あなたの名前は小島コジマ尊でした。今も言った通り、ジャンキーズなる若者グループのリーダー格です。当時、渋谷界隈では相当に有名だったようですね」


 工藤の言葉に、大山の表情は強張っていく。

 そう、この男はチームのリーダー格だった。当時、渋谷にて一大勢力となっていたジャンキーズと呼ばれる集団をまとめていた男である。

 そんな男に、工藤は語り続ける。


「そんな時に、ノトーリアスとの衝突が起きました。当時の規模から判断すれば、両者は比べものになりません。あなたの率いるジャンキーズが、相手方を蹴散らして終わり……のはずでした。ところが、ここで予想外のことが起きました。鈴原健介の存在です──」


「いい加減にしてくれねえかな。俺は、何も言わねえぞ」


 工藤の言葉を遮り、大山は凄んだ。その目には、凶暴な光が宿っている。今にも殴りかかりそうな顔つきだ。

 しかし、工藤は慌てていなかった。


「そうですか。となると、困ったことになりますよ」


「どういう意味だ?」


「あなたの勤めている会社に、あなたの過去やったことを全てバラします。その中には、れっきとした犯罪もありますよね。テレビや新聞などで報道された犯罪が」


「なんだと……」


「あなたは昔、強盗をして逮捕されました。刑務所に五年入っています。その事件の記録は、今もネットで調べれば出てくるはずです。そのため、あなたは名字を変えた」


 その瞬間、大山は動いた。立ち上がったかと思うと、座っている工藤の襟首を掴んだ。そのまま、力任せに立ちあがらせる。

 が、そこまでだった。次の瞬間、大山の顔に異様な表情が浮かぶ。と同時に、彼の動きは止まった。

 一方、工藤は涼しげな顔つきで語りだす。


「ここで私に暴力を振るっても、何もなりませんよ。むしろ、あなたをさらなる苦境へと追い込むことになるだけです。それは、あなたもよく御存知のはずですよね?」


「お、お前……何者だ?」


 大山は、それしか言えなかった。彼は、体格はさほど大きな方ではない。だが喧嘩慣れしており、闘争心と強い腕力は生まれつきのものだ。今も肉体労働に従事している。そこらの中学生や高校生相手なら、苦もなく捻り潰せるくらいの強さは維持しているはずだった。

 にもかかわらず、今の大山は怯えていた。体を震わせながら、工藤の襟首から手を離す。


「以前にも申し上げた通り、私は私立探偵の工藤淳作です。それ以上でも、それ以下でもありません。私の目的は、十三年前に姿を消した鈴原健介さんを探すことです。あなたに迷惑をかけたくはありません。が、あなたの知っていることを話していただくためには、手段を選ぶつもりもありません」


 対照的に、工藤はあくまで冷静であった。表情ひとつ変えず、大山を見つめている。その冷静さが伝染したのか、大山は再び腰を下ろした。

 下を向き、そっと語りだす。


「俺は、その鈴原健介とかいう奴のことは何も知らねえんだよ。だから、話せることは何もねえ」


「では、ジャンキーズの解散には鈴原はかかわっていないのですね?」


「そうだよ。俺は、みんなの見てる前で村川にやられた。それも一発でだ。そっから、みんなジャンキーズを抜けていった。本当に早かったよ。バタバタといなくなった」


「では、ノトーリアスの面々が乗り込んできて解散を迫った……という話は、デマなのですね?」


「それはない。はっきり言うなら、自然消滅だよ。みんなで集まって、解散を宣言したわけじゃない。気がついたら、みんないなくなってたんだよ。しかも、ノトーリアスに入った奴もかなりいた。あれは辛かったな」


 そこで、大山は顔を上げた。昔を懐かしむ……そんな表情で、再び語りだす。


「最初は、気の合う連中が集まってただけなんだよ。けど、気がついたらデカくなってた。そうなると、揉め事も出てくる。最初は下町の暴走族みたいな、ダセー連中をボコッてたんだよ。けど、だんだんとツルむ人数が増えてきた。そうなると、揉める規模も大きくなる。で、喧嘩を繰り返してたら……いつの間にか、ジャンキーズが出来てたんだよ。あん時は、本当に有頂天だったな。街を歩けば、いろんな奴が俺に頭を下げてきたよ。小島さんのためなら、何でもしますから……そんなことを言ってた奴も大勢いた」


 その時、大山の顔に笑みが浮かぶ。だが、それはほんの一瞬だった。


「けど、あの日に全てが変わっちまった。俺の周りにいた連中は、みんな離れていったよ。いつの間にか、ジャンキーズはなくなっちまったんだ。以来、俺は何もかも嫌になっちまったよ。あれだけ俺に調子いいこと言ってた連中が、一斉にいなくなったからな。あん時、俺はやっとわかったよ。薄っぺらい人間関係の中で生きてたんだ、ってことをな」


「それが、あなたをドラッグへと向かわせたわけですね?」


 工藤の言葉に、大山はビクリと反応する。顔をしかめ、壁を睨みつける。おそらく、彼にとって思い出したくない記憶なのだろう。

 少しの間を置き、大山は答えた。


「そうだよ。昔の俺はシャブでトチ狂った挙げ句、強盗でパクられた。けどよ、留置場にいる時に酒井の事件の話を聞いたんだ」


「酒井というと、酒井清人ですか? あの渋谷通り魔事件の……」


「そうだよ。酒井のことは知ってたからな。驚いたよ。まさかあいつが、あんなことをするなんてな」


 妙な話だ。

 先ほど大山は、鈴原のことを知らないと言っていた。だが、酒井のことは知っているらしい。どういうことなのだろう。


「あの、あなたと酒井はどういったお知り合いだったのでしょうか?」


「あいつが、俺にシャブを売ってたんだよ」


 答えた大山の前で、工藤はタブレットを取り出した。画面に触れ、ある画像を映し出す。酒井と鈴原が映っているものだ。


「では、この男のことは知っていますか?」


 言いながら指で差したのは、酒井の隣にいる鈴原だ。

 大山はちらりと見て、すぐに頷いた。


「ああ、知ってるよ。こいつ、いつも酒井の横にいた。変な奴だとは思ってたけど、こっちはシャブ買うのが目的だろ。だから、気にもしていなかった」


「あなたは、酒井さんから覚醒剤を買っていた。その時、彼の横にはいつも鈴原さんがいた……これで間違いないですか?」


「ああ。当時は、酒井がシャブをさばいていたからな。渋谷をうろうろしてた不良外国人たちは、酒井に話を通してから商売してたって話だ。それに、酒井に直接話をすれば、格安で売ってくれたんだよ。確か、グラム一万くらいだったかな」


 どういうことだろう。

 酒井は、ノトーリアスという組織ではそれほどの大物ではない。鈴原とは仲が良かったようだが、他の者たちからの評価は高くなかった。キレると、すぐに刺す……そんな評判であった。その酒井が、ドラッグ売買を取り仕切っていたというのか。

 それに、覚醒剤がグラム一万は安い。最末端では、グラム六万というケースもあるのだ。ところが酒井は、その値段で降ろせる……つまり、大物ということか。


「酒井は、それほど凄い人物だったのですか?」


「そうだよ。ヤクザですら、酒井には気を遣うって聞いてたんだ。だから、あの事件を知った時は驚いたよ。まさか、あんなことをやらかすとは思わなかった」


「そうですよね」


「俺は、あの事件を見て思ったよ。このままだと、俺も酒井みたいになるってな。だから、刑務所を出ると同時に名前を変えた。事件の記録がネットに残っていたせいもあるが、生まれ変わりたいという気持ちもあったんだよ」


 そう、ネットには個人の犯した罪に関するニュース記事が記録されている。デジタルタトゥーと呼ばれるものであり、半永久的に残ってしまうのだ。名前を検索すれば、犯した罪の記事もワンセットで出てしまう。

 だからこそ、この男は改名せざるを得なかった。小島の名前を捨て、大山として生まれ変わったのだ。


「その選択は、間違っていなかったようですね」


 工藤の言葉に、大山は苦笑した。


「だといいんだけどな。やめてから十年近く経つのに、何かの拍子にシャブをやりたくなることがある。シャブってのは、本当に怖いんだよ。だから、俺は今でも精神科に通っている。薬物依存のカウンセリングを受けているんだ」


 大山は、今も薬物への欲求と戦っている。

 この戦いに、終わりはないだろう。彼が生きている限り続くのだ。長く、厳しい戦いである。しかも、その戦いに決定的な勝利はない──


「そうでしたか。思い出したくもないことを思い出させてしまったようで、申し訳ありません」


 そう言うと、工藤はペコリと頭を下げた。


「いや、いいよ。それより、あんた本当に探偵なのか?」


「ええ、探偵ですよ」


「探偵ってのは、みんなあんたみたいな人間なのか?」


 尋ねる大山。その質問には、畏敬の念がこめられていた。

 彼は若い頃、喧嘩に明け暮れていた。その回数は百を確実に超える。勝率はといえば、確実に八割を超えているだろう。

 そうした経験により、培われた勘は確かなものだ。相手が強いか弱いかは、実際にやり合わなくてもある程度は判断できる。先ほど工藤の襟首を掴んだ時、大山の勘は告げていたのだ……こいつは強い、と。


「さあ、どうでしょうね。では、そろそろ行くとします」


 そう言うと、工藤はカバンから封筒を取り出した。テーブルの上に置くと、再び口を開く。


「最後に、これだけは言わせてください。私は、かつてノトーリアスのメンバーだった者たちに会いました。ほとんどが、ろくでもない生活をしていました。しかし、あなたは違います。彼らと違い、真っ当な生き方をしています。過去にあなたのしてきたことは、客観的に見て褒められたものではありません。しかし、今のあなたは世間に対し何ら恥じるところはありません。少なくとも、私はそう思います」


 工藤の言葉に、大山の表情が綻ぶ。目つきも、柔らかいものになっていた。こちらの顔が、本当の彼なのかもしれない。


「そうかね。そう言ってもらえると嬉しいよ」







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