半グレたちの接触

「驚きましたよ。鈴原健介なんて名前を聞いたのは久しぶりでしたからね。正直いうと、忘れかけていました」


 伊藤光一イトウ コウイチは、感慨深げに語った。

 この男は、工藤がこれまで話を聞いてきた中でも異色の存在である。中学高校と、妙な存在感を発揮していたそうだ。不良たちとの付き合いはなかったが、誰とでも仲良くなれるタイプのため、特に敵視されたりということもなかったらしい。

 現在は、定職に就いておらずアルバイトで生計を立てている。金がある程度貯まると、バックパックひとつで海外に旅行に出る……そんな生活をしているのだ。自身のブログで、旅行記を書いてもいる。

 実際の話、伊藤の見た目は今まで会った者たちとは異なるタイプだ。肌はよくやけており、顔の造りも濃い。国籍不明という印象を受ける。もともと不良少年というタイプではなかったらしい。かと言って、平凡な高校生でもなかった。今の印象は自由な旅人といったところだが、高校生の時から既に自由人であったようだ。




 ふたりは、寂れた商店街の端にある喫茶店にいた。伊藤から指定された場所である。静かな雰囲気だが、店はさほど広くない。そのため、声をひそめて話さないと、マスターに聞かれてしまう恐れがある。

 もっとも、この伊藤から核心に迫る話が聞けるとは思っていない。あくまで、他の者から聞いた話の裏付けを取るためのものだ。


「あなたは、鈴原健介さんの同級生だったそうですね。彼について、何か印象に残っていることはありますか?」


「いや、全くないですよ。俺のいたクラスは、他のクラスに比べると平和でしたが、それでも悪そうな奴が多かったですからね。そんな中で、鈴原は本当に存在感のない奴でした。教室にいるのかいないのか、それすらわからない男でしたからね」


 即答である。ノトーリアスのメンバーだった殿岡とは、完全に真逆の評価だ。


「そうでしたか。鈴原さんの出席状況はどうでしたか?」


「はい? シュッセキジョウキョウ?」


「あっ、すみません。鈴原さんの遅刻が多かったとか欠席が多かったとか、そうしたことは記憶にありますか?」


「ああ、そういうことですか。いや、なかったですね。影は薄いですが、ちゃんと登校してたみたいです」


「そうでしたか。では、非常に眞面目な生徒だったのですね」


「はい。眞面目で、おとなしい奴でした。ただ、ちょっと変なところもありましたね」


「変なところ?」


「今もはっきり覚えているのですが、廊下で鈴原とぶつかったことがあったんですよ。そしたら、いきなり吹っ飛んでいったんですよ」


「吹っ飛んだ? どんな感じですか?」


「俺が廊下を走ってたら、あいつがふらふら歩いてて、いきなりぶつかったんです。そしたら、派手に吹っ飛んでいって……廊下の真ん中で、大の字になって倒れていたんですよ」


 妙な話だ。

 鈴原は、喧嘩慣れした不良少年たちを一撃で倒していた。ノトーリアスでも、未だに恐れられているような存在だ。そんな男が、廊下で伊藤とぶつかり吹っ飛ばされ、大の字になって倒れたというのだ。

 伊藤は、さほど大柄な体格ではない。ラグビーやアメリカンフットボールのような、激しいコンタクトスポーツの経験もないように思われる。そんな人間と、偶然にぶつかり倒れた……にわかには信じがたい。


「それは普通ではないですね」


「そうですよね。俺もさすがに不安になって、大丈夫か? って声をかけたんです。だけど、あいつは動かないんですよ。無表情で、じっと天井を見てるんです」


「ひょっとして、頭を打ったのですか?」


「俺も、そう思ったんですよ。でも何秒か経ったら、鈴原はいきなり体を起こしました。で、あっちこっちをキョロキョロしたかと思うと、パッと立ち上がったんです」


「首をぐるぐる回したり、腕を左右に振ったりして……見てる俺は、唖然となってましたよ。しばらくしたら、やっと俺に気づいたみたいでした。ごめん、とか何とか言って去っていったんです。で、変な奴だなぁ……と思ったんですよ」


 その時、工藤の頭にある考えが浮かんだ。


「すみません、それはいつ頃の話ですか?」 


「いつ頃って……さすがに、詳しい日時までは覚えていないですね」


「いえ、大雑把でいいんです。一学期か、それとも二学期だったか程度で構いません」


「一学期だったのは間違いないですね。まだ衣替えをしていなかったので、六月の頭だったと思います」


 またしても即答する伊藤。この男の記憶力は大したものだ。鈴原のことも、ちゃんと覚えていた。

 六月の頭となると、自殺未遂を起こした後ということになる。やはり、あの自殺未遂をきっかけに鈴原は変化したのだ。工藤は、さらに質問を続けた。


「それから、鈴原さんと話したことはありましたか?」


「全くないですね。それ以前に、あいつが人と話してるところを見た記憶がないんですよ」


「それから一年ほどした後、鈴原さんは行方不明になるわけですが……何か思い当たることはありますか?」


「正直な話、あいつが行方不明になっていたことすら知らなかったです。なんかトラブって、学校に来れないんだろうな……くらいにしか思ってなかったですよ。クラスでも、話題にすらならなかったです」


 これは当然の反応だろう。鈴原は、クラスで完全に孤立しており誰とも接点がない。そんな人間がいきなり来なくなったとしても、気に留める者はいないだろう。


「話は変わりますが、在学中に鈴原さんが自殺未遂をしていたことは御存知でしたか?」


 途端に、伊藤の目は丸くなった。


「えっ、本当ですか。知らなかったですね。いつ頃ですか?」


「五月ですね」


「いや、全く知らなかったです。さっきも言った通り、あいつが学校で誰かと喋っているところ自体みたことがなかったんですよ。だから、誰かと揉めたとかいじめられてたとか、そうしたことはなかったと思います。ただ、自殺してもおかしくはなさそうな感じではありましたね。あいつ、暗い奴でしたから」


 不思議な話だ。

 夜の街で鈴原と出会った者たちは、口を揃えて「あいつは自殺するような男じゃない」と言っていた。一方、伊藤は自殺してもおかしくないと言っている。

 この差は、鈴原の裏の顔を知っているか否か、という理由なのか。工藤は、念のため聞いてみた。


「鈴原さんが、当時チーマーと呼ばれていた不良少年たちと仲が良かったのを御存知ですか?」


「えっ、本当ですか?」


「はい。これを見てください」


 言いながら、工藤はタブレットを取り出した。タッチパネルを操作し、画面を伊藤に見せる。


「こちらは、鈴原健介さんに間違いないか?」


「ああ、はいはい。これ鈴原ですね」


 次に工藤は、隣の人物を指差した。


「こちらは酒井清人さんといいまして、当時ノトーリアスというチームに所属していた人です」


「そうなんですか? いやあ、全く共通点のないふたりですね……もしかして、この酒井っていう人にいじめられてたとか、そういうパターンなんじゃないですか? 金を出させられてたとか、部屋を溜まり場にさせられてたとか」


 伊藤の言っていることは、世間ではよくある話である。不良少年が、目立たない生徒を仲間に引き入れ利用する……有りがちな状況だ。結果、気がついたら重大な事件の関係者になっていたことすらある。


「いや、そうでもなさそうなんですよ。実は、この鈴原さんの方が立場が上だったそうです」


「本当ですか? あの鈴原がねえ……信じられないですよ。学校では、いるかいないかわからないような奴でしたから」


「ちなみに……この酒井清人さんの顔ですが、見覚えはありませんか?」


「いや、ないですね。まさか、寿山院にいたんですか? 俺なんかは、当時そういう連中とは関わらないようにしてましたからわからないですけど」


「いえ、寿山院の生徒ではありません。実は、九九年に起きた渋谷通り魔事件の犯人なんですよ。覚えてらっしゃらないですか?」


 途端に、伊藤の目が丸くなった。


「えっ……ああ! あの事件ですか! はいはい、覚えてますよ!」


 叫んだが、マスターの冷たい視線を浴びていることに気づき慌てて口を閉じる。だが、すぐに声をひそめ聞いてきた。


「じゃあ、鈴原は事件と関係あったんですか?」


「わかりません。ただ、鈴原さんが彼と交流があったのは確かです。そして鈴原さんが姿を消した後、酒井が事件を起こしたのも間違いありません」


「いやあ、知りませんでしたね。だいたい、酒井の名前すら忘れていましたからね」


 ここまでのようだ。これ以上、伊藤から聞けることはない。工藤は、カバンから封筒を取り出しテーブルの上に置く。


「今日は時間を割いていただき、ありがとうございました」





 工藤は店を出た。まだ日は高いが、人通りはほとんどない。喫茶店が、商店街の裏通りに位置しているせいもあるだろう。

 駅に向かい、寂れた商店街を歩き出した時だった。向こうから三人の男が現れた。彼らは足早に接近したかと思うと、工藤の周囲を取り囲む。

 みな若い。全員、十代後半から二十代前半だろう。礼儀正しい好青年タイプはひとりもいない。いずれも、一癖も二癖もありそうな雰囲気である。


「あんた、工藤淳作さんだよね?」


 中のひとりが声をかけてきた。唯一のスーツ姿であり、顔立ちは今風の若者だ。軽薄そうな雰囲気を漂わせている。


「そうですが、何か?」


 答える工藤に、スーツの男は顔を近づけてくる。途端に、顔つきが変わった。チンピラが、堅気の人間を脅す手口である。


「あんた、最近あちこちの人から話を聞いてるみたいだね。あんたのせいで色んな人が迷惑してんだわ。そういうの、わかってるの?」


 低い声で聞いてきた。これまた、チンピラのよくやる恫喝だ。しかし、工藤は表情ひとつ変えず聞き返す。


「どういう意味でしょうか? 具体的に言ってくれませんか?」


「探偵だか何だか知らねえが、余計なことすんなって言ってんだよ」


「余計なこと? それは何でしょうか。先ほども言いましたが、具体的な話をお願いします」


 平静な態度で聞き返す工藤。すると、今度はスーツ男の後ろにいる者が進み出てきた。背は高く、百八十センチを超えるだろう。がっちりした体格で、Tシャツから覗く二の腕は太い。頭はスキンヘッドで顔もいかつく、凄みのある風貌だ。


「あんたさあ、俺らをナメてんの? バカにしてんの?」


 スキンヘッドが低い声で凄んだ。今にも殴りかかっていきそうな雰囲気だ。が、スーツの男が彼を制した。


「やめねえか」


 その一言で、スキンヘッドはあっさり引き下がる。この一連のやり取りは、反社の脅し方のテンプレートと言っていいだろう。怖そうな人相の男が暴力を匂わせ、リーダー格が止める……よくある手口だ。

 スーツの男は、自信たっぷりな態度で工藤に語りだした。


「いいか、あんたのやってることが気に入らねえっていう人がいるんだよ。はっきり言うとな、鈴原健介を探すことを止めて欲しいと思っている。しかも、そう思っている人はひとりじゃねえんだ。中には、頭がブチ切れてる奴もいるらしいんだよな」


「つまり、どういことです?」


 すました表情で、工藤は聞き返す。さすがの三人組も、だんだんと我慢できなくなって来たようだ。苛立っているのが、表情や態度の端々に現れている。正直、今すぐ暴力を振るいたいのだろう。

 しかし、この場で暴力を振るってはいけないこともわかっているのだ。


「このまま仕事を続けてると、何が起きるかわからねえぞ。最近、車の事故とかも多いしな。電車を待っている時、後ろから誰かに押されて線路に落ちる、なんてことも起きるかもしれねえしな」


 スーツの男の言葉に、スキンヘッドがうんうんと頷く。


「そうそう。頭のおかしい奴に、いきなり襲われるなんて事件もちょいちょい起きてんだろうが」


 そんなことを言った直後、大げさな動きで右手の拳を握ってみせた。

 その岩のような拳を、己の左手のひらに思い切り叩き込む。バチンという音が響いた。重いパンチであることは、こちらにも伝わってくる。一般人相手なら、充分に脅しになっただろう。

 しかし、工藤は意に介していなかった。


「何を言っているのかわかりませんね。申し訳ないですが、急ぐので失礼させていただきます」


「じゃあ、俺たちの言うことは聞けねえってことだな? あんたに手を引く気はないと、そういうこなんだな?」


 低い声で聞いてくるスーツの男に、工藤は頷いた。 


「ええ、ありません。このまま続けます」


 そう言うと、工藤は彼らの横をすり抜ける。スキンヘッドが動こうとする素振りを見せたが、スーツの男がそれを制した。


「そうか。よくわかったよ。これから、夜道を歩く時には気をつけな」







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