東野たちの暗躍

 都内のとある地区に建っているマンションに、『無尽企画』という表札の出ている部屋があった。ここは、表向きにはイベントを企画し運営する有限会社ということになっている。業界でも、そこそこ知られている会社だ。

 もっとも、その実態は……半グレの団体『真幌会マホロカイ』に所属する者たちが経営している。つまり無尽企画は、いわゆるフロント企業なのである。

 この無尽企画の代表取締役は東野幹雄だ。かつてはノトーリアスに所属しており、若者たちの間でも有名な男だった。当然ながら、鈴原健介とも因縁浅からぬ人物である。

 そんな彼は椅子に座り、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 事務机を挟み、東野の前に立っているのは山下成徳ヤマシタ シゲノリだ。今年二十歳になったばかりで、二年ほど前に裏の世界に足を踏み入れた。一応、彼も半グレのメンバーではあるが暴力的な雰囲気は微塵もない。軽薄そうな顔立ちと小柄な体、そしてフットワークの軽さが特徴である。他の者たちと違い、人相も悪くない。むしろ、人当たりは良い方である。

 そのため、一般人にも警戒されることがない。老人だろうが女子高生だろうが、誰とでも簡単に打ち解けられるのが強みだ。

 この山下は、実のところ鈴原と会話したことはない。それどころか、顔を合わせたことすらない。ただし、鈴原がどんな人物であるかは東野から聞かされている。今回、その東野から命令されて工藤淳作なる私立探偵のことを調べたのである。




 そして今、山下は工藤について調べた情報を報告しているのだが……それは、あまりに奇妙なものだった。


「ここ一ヶ月くらい、工藤って探偵のこと調べてみたんですが……あいつ、むちゃくちゃ変ですよ」


 山下の言葉に、東野は眉間に皺を寄せた。


「変? どういうことだ?」


「まずは、ネットで調べてみました。工藤探偵事務所と工藤淳作の両方を、ネットで検索してみたんですよ。しかし、ぜんぜん出てこなかったんです。いろいろ言葉を追加して検索したんですが、結局なんにも出てこなかったんですよ。どうやら、ネットには広告出してないようですね。探偵やってるにしちゃあ変ですよ」


 確かに、それはおかしい。今どき、ネットに広告を出していない業者などあるのだろうか。百歩譲って、広告を出していなくともネットで調べれば何らかの情報は出てくるはずだ。


「全くヒットしねえのか? そいつは変だな」


 思わず、そんな言葉が漏れていた。すると、山下は頷く。


「はい。それに、名刺に載ってた事務所にも行ってみたんですが、誰もいないんですよ。三回くらい人を行かせましたし、自分も二回ほど行ってみたんですが、いつ行っても留守なんですよね。電気は消されていて、扉も鍵がかけられてて閉めっぱなしなそうなんですよ。ブザー鳴らしても、誰も出なかったんです。おかしいですよ。あれ、もしかしたら幽霊会社かもしれないですね」


「ちょっと待てよ。幽霊会社? そんな奴が、なんで鈴原を調査してんだよ?」


 東野は、呻くような声を出した。山下に向けられたものではなく、ひとり言に近い。

 幽霊会社とは、名前だけで営業実態のない会社のことである。裏社会に生きる人間ならば、幽霊会社はごく身近なものだ。税金対策やマネーロンダリングなど、使い道は様々である。

 だが、この場合は違う。幽霊会社だというのに、実際に探偵が動き調査をしているというのだ。


「ですよね。幽霊会社でないとすると、工藤はその鈴原探しにかかりっきりになって、他の仕事を入れる余裕がないのかもしれませんね」


 山下の言葉に、東野は頷いた。


「それなら、あり得るな」


「ただ、もうひとつおかしなことがあるんですよ。工藤は、話を聞いた人全員に謝礼金を配っているんです。それも、ひとり三万ですよ。わかっているだけでも十人近くに話を聞いているみたいですから、総額で三十万を超えているはずです。そんな額の金を支払えるって、よっぽどのことですよね。あんな零細企業の探偵に頼む仕事とは思えません」


 話を聞いた東野は、思わず頭を抱えた。確かに、山下の言う通りだ。情報の見返りとして、ひとりに三万は異常とも思える金額である。個人で経営しているような、小さな探偵事務所の出せる金額ではない。

 ようやくわかってきた。その工藤という探偵の依頼人は堅気ではない。おそらく、裏の世界の住人だ。でなければ、そんな額の金を払ってまで鈴原を探そうとするはずがない。

 となると、工藤の方も堅気ではないのか……いや、その可能性はなくもないが、常にひとりで動いているという点が引っかかる。裏社会の人間で、完全な一匹狼というケースは稀だ。彼らは横の繋がりを重視する。世間一般からはぐれてしまった者同士、協力しないと生きてはいけない。

 考え込む東野に向かい、山下はさらに語り続ける。


「あと、次は伊藤光一イトウ コウイチって奴に話を聞くらしいです」


「伊藤光一? 何者だそいつは?」


「よくはわからないんですが、鈴原さんの元同級生らしいです。今は、あっちこっちでアルバイト生活をしてるらしいですが……鈴原さんとは、何の接点もなかったみたいですよ」


「そんな奴にまで、話を聞くのかよ……どこまでしつこい探偵なんだ」


 低く唸った直後、東野は立ち上がった。凄まじい形相で壁を思い切り蹴飛ばす。ドスン、という音が響き渡った。

 山下はビクリとなるが、東野は彼のことなど見ていなかった。蹴りを入れた部分を、じっと睨み付けている。まるで、諸悪の根源がそこにあるかのようである。

 山下は、そっと声をかけた。


「だ、大丈夫ですか?」


 今のは、冷静な東野らしからぬ行動である。普段のクールな態度が消え失せ、怒りに任せ動いているのだ。そんな姿に、山下は不安を感じたらしい。顔が青くなっている。

 すると、東野は顔を上げた。


「大丈夫だよ。つーか、ブチ切れてる場合じゃねえんだよな。すまねえ」


 そう言うと、再び椅子に座り込む。少しの間を置き、思い詰めた表情で口を開いた。


「お前だから言うがな、これは非常にヤバいんだよ」


「どういうことです?」


「マジでヤバいんだよ、鈴原は。あいつはな、パクられたら死刑すら生ぬるいようなことをしでかしてるんだ。鈴原のやったことがひとつでも明るみに出たら、俺らにも影響があるんだよ。しかも、キレたら何をするかわからねえ。だから、あいつは表に出すわけにはいかねえんだ。おとなしくしといてもらいてえんだよ」


「鈴原さんて、やっぱり凄いんですね」


 感心しているような口調で言った山下に、東野は頷いた。


「ああ、本当にとんでもねえ奴なんだよ。まあ、鈴原なら大丈夫だとは思うが、万が一ってこともあるからな……」


 言った後、東野は天を仰いだ。鋭い目で天井を睨み、口を真一文字に結び頭の中で考えを巡らせる。

 ややあって、東野は山下に視線を移す。


「お前、ふたりくらい連れて行って軽くカマしてこい」


「カマすって、工藤をボコるんですか?」


「バカかお前は。そこまでやれとは言ってねえ。鈴原に関する調査をやめさせるんだよ。デカい探偵事務所じゃないし、脅せばすぐに引くだろう。あいつが何者だろうが、やめさせちまえば関係ねえ。とにかく今は、鈴原を刺激するわけにはいかねえんだよ」


 そう、まずは調査から手を引かせなくてはならないのだ。目的など、こちらの知ったことではない。どうせ、ひとりで動いている探偵など大した者ではあるまい。


「わかりました。じゃあ、さっそく行ってきます」


 言うと同時に、パッと背中を向け立ち去ろうとする山下だったが、東野が声をかけた。


「ちょっと待て。もし、どうしても引かないようだったら、工藤をヤれ」


「えっ!? ヤれって、殺すんですか!?」


「違う。とりあえずボコるんだ。ふたりで、二週間くらい入院させる程度に痛めつけときゃいい。その間に、こっちで鈴原を何とかする」


「何とかするって、どうするんですか?」


「あいつが表に出ないよう、こっちでなだめておく、だから、お前は探偵の方をおとなしくさせとけ」







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