藤田浩介という男の人生
「すみませんが、俺に何の用ですか?」
この男は、鈴原健介の同級生であり同じクラスにいた。と同時に、ノトーリアスのナンバー2といわれていた藤田
兄は身長百九十センチ、体重は百十キロという日本人離れした体格の持ち主だ。当然ながら喧嘩は強く、ひとりで五人を半殺しにしたこともあったという。ノトーリアス内でも恐れられており、喧嘩ならリーダー格である村川より強いのではないかと噂されていた。
その弟はというと、身長百七十センチそこそこだろうか。体重も六十キロから七十キロほどだ。兄とは対照的に、クラスでも目立たぬ存在であった。
成績の方も悪かったらしく、中学卒業後は寿山院高校に入学し鈴原健介と同じクラスになる。高校の三年間を、可もなく不可もなしといった状態で過ごした。
その後は、ずっと夜勤のアルバイトで生計を立てている。表情は暗く、全体的に覇気の無さが目立つ。正直、魅力的とは言い難い人物だ。わざわざ彼と友達になりたがる者など、まずいないだろう。
この陰気な青年と工藤は、繁華街のカラオケボックスにいる。外のきらびやかな風景と違い、室内にはお通夜のごとき空気が漂っていた。
会話の口火を切ったのは、工藤だった。
「鈴原健介という人物を知っていますか?」
その問いに、健次郎はかぶりを振った。
「鈴原? いや、知らないですね。何者ですか?」
「あなたと同じクラスだった少年ですよ。この人です」
そう言うと、工藤はタブレットを取り出した。パネルを操作し、画面を見せる。
健次郎は、その画面をじっと見つめた。少しの間を置き、ウンウンと頷く。
「ああ、はいはい。わかりました。途中から来なくなった奴ですよね。思い出しました」
その態度に、嘘はなさそうだった。本当に忘れていたらしい。
「はい。実はですね、彼は十三年前より行方不明になっているのですよ。知っていましたか?」
「そうだったんですか。全く知らなかったです。そもそも、話したことすらなかったですからね。なんか嫌なことがあって、学校を辞めたんだろうと思っていましたよ」
「彼は、あなたのお兄さんと交流があったのですが、御存知でしたか?」
「はあ? 兄と?」
健次郎の表情が、一気に険しくなった。しかし、工藤は話し続ける。
「はい。当時、ノトーリアスというチームがあったのは御存知ですよね。鈴原は、浩介さんや村川さんといったノトーリアスのメンバーと大変に仲が良かったそうです──」
「俺は、兄が嫌いでした」
工藤の話を遮り、健次郎が言い放つ。その目には、はっきりとした憎しみの感情があった。それは工藤に向けられたものではない。
「はっきり言います。兄は、外では偉そうなことを言っていたようですね。喧嘩最強のチーマーだとか何とか。けどね、家では暴君そのものでしたよ。俺は小さい頃から、何度も殴られてきました。殴られて、気を失ったことも何度かありましたからね。病院に運ばれたのも、一度や二度じゃありません」
どんなに仲のいい兄弟でも、喧嘩をすることはある。しかし、殴られて気を失うとは尋常ではない。兄弟喧嘩では済まないレベルだ。もっとも、浩介の体の大きさを考えればあり得る話ではある。
いや、それ以前に両親は止めなかったのだろうか。そっと聞いてみた。
「あの、両親は止めたりは──」
「するわけないでしょうが。うちの親父もお袋も、見て見ぬふりでしたよ。あいつと喧嘩しても勝てないし、俺の身より近所の目や世間体を気にしてたんですよ。むしろ、暴力が自分たちに向けられなくてホッとしていたんじゃないですかね」
なるほど、両親でも浩介のことは止められなかったのか。こうなると、もはやDVと言っていい。兄弟間のDVは、かなり陰湿なものになるだろう。今なら、虐待として児童相談所が動く話だ。
そんな環境で育ってきた健次郎は、憎しみをあらわにした表情で語り続ける。
「挙げ句に、あんな死に様を晒すことになったんですからね」
そう、藤田浩介は十年以上前に亡くなっている。
午前三時、車を降りて自宅に向かい歩いていたところを、待ち伏せていた数人の男に襲われた。不意を突かれ刃物で滅多刺しにされ、出血多量により死亡したとのことだ。当時の現場には、罵声や悲鳴が響き渡っていたらしい。
警察が駆けつけた頃には、血まみれで倒れていた浩介の姿があるだけだった。既に意識はなく、すぐさま病院に運ばれたが間に合わなかった。
「俺はタイマンじゃあ誰にも負けねえ、なんて言ってたけど、死ぬ時は呆気なかったよ」
いつの間にか、健次郎の口調が変わっている。どうやら、兄に対し抱いている感情が、そのまま言葉遣いに出てしまっているらしい。
「そうでしたか。では、ノトーリアスの内情について浩介さんと話したことはないのですか?」
「あるわけないだろ。俺は、あいつとはほとんど喋らないし、ましてやチーマーなんかに興味はなかった。あんな連中、最低だよ」
健次郎の表情も変わっていた。工藤を睨みつけるような目で見つめながら、思いを吐き出す。
「俺は、あいつのことが死ぬほど嫌いだったよ。俺は毎日、奴隷みたいにこき使われていたんだ。菓子やジュースを買いに行かされたり、AVを借りに行かされたり……チーマーになって家に帰らない日が多くなって、やっとまともな生活が出来るようになったんだ」
確かに、藤田浩介の評判は良くない。喧嘩の強さゆえに恐れられてはいたが、尊敬されてはいなかった。弱い者をいたぶる癖があり、陰では嫌われていたらしい。
そんな浩介も、村川と酒井に対してはおとなしかった。村川はノトーリアスのリーダー格であり、喧嘩の強さもなかなかのものだ。怒らせたら立ち向かってくる人間だし、立場も上である。
酒井はといえば、いざとなったら本当に人を刺す男である。本物の狂気を秘めた男だ。こいつだけは、キレさせたらヤバい……そういう意識が働いたのだろう。
強い者には下手に出て、弱い者にはとことん強い。それが藤田浩介という男の実態だ。
「それだけじゃないよ。俺は高校に入ってから、バイトを始めた。一刻も早く家を出たかったからね。けど、そのバイト代も半分以上はむしり取られていたよ。あいつは、俺の通帳やカードも取り上げていたんだよ」
凄まじいまでの憎しみを込めた口調で、健次郎は語り続ける。しかし、工藤が聞きたいのは藤田浩介の悪行ではない。鈴原のことだ。申し訳なさそうに口を挟む。
「すみません。では、あなたは鈴原さんとは接点がなかったのですね?」
「ないよ。はっきり言って、俺は役に立てないと思う。鈴原なんて男の記憶は全くないし、兄のこともほとんど知らない。あんたは、俺をひどい人間だと思うかもしれないけど、兄が死んでくれて心底からホッとしたんだよ」
「それは、仕方のないことだと思いますよ」
確かに、仕方のないことだ。
藤田浩介は、その恵まれた体格と凶暴さで、他の者たちから恐れられる存在となった。
少年時代は、クラスでも帝王として君臨していたという話も聞く。誰も浩介には逆らえない。その絶対的な権力は、弟が相手でも変わらなかったらしい。浩介は、学校にいる時は同級生を顎で使っていた。家に帰れば、弟である健次郎を奴隷として働かせていた。
普通、兄が有名な不良だと、弟も影響を受けて悪くなるものである。ところが、健次郎は違っていた。浩介という不良少年の嫌な部分を、これでもかというくらい見てきたのだ。
結果、健次郎はそちらの世界には足を踏み入れなかった。代わりに、陰気で無気力な青年になった。これは、浩介による絶え間ないDVのせいもあるだろう。幼い頃から身近にいた兄に暴力を受け続け、両親は見て見ぬふり……これで、人格が歪まない人間などいないだろう。
暴力により健次郎の人生を変えてしまった浩介だが、彼の人生を終わらせたのもまた暴力であった。殺される日の数日前、浩介は村川や東野や数人の手下たちと共に、都内のバーで酒を飲んでいた。その時、隣の席にいたグループと言い合いになる。そのグループというのが、裏社会の新興勢力(当時)である『
言い合いはヒートアップし、挙げ句に浩介と相手側でもっとも威勢のいい男が表に出て殴り合ったのだ。
勝負は、一瞬でついた。浩介が、相手を一方的に叩きのめしてしまったのだ。最終的に相手は、鼻が砕け、前歯が折れ、変形した血まみれの顔で土下座する羽目になる。
普通なら、どちらかの優勢が決まった時点で終わりだろう。だが、浩介は終らなかった。相手が負けを認めた後も、散々殴り続けて顔面をボコボコに変形させてしまった。さらに衆人環視の中で、相手に小便をかけたのだ。土下座までで止めておけばよかったのだが、浩介という男は止まらなかった。既に勝負はついていたのに、サディスティックに敗者をいたぶった。
結果、余計な恨みを買い大河のメンバーに刺殺されたのである。どんなに強い人間でも、刃物で刺されれば命はないのだ。現場では「やめてくれよ!」「助けてくれえ!」という浩介の叫び声が響き渡っていたという。ノトーリアス最強と言われていた男だったが、死ぬ時は実に呆気なかった。
藤田浩介は、己の生き様に裁かれたのだ──
もっとも、そんなことは工藤には関係ない。彼が知りたかったのは、鈴原健介の行方である。結局、今回もまた完全に無駄足であった。浩介の弟であり、寿山院の同級生であった健次郎も、鈴原の裏の顔は知らなかった。
鈴原は、表と裏を完璧に使い分けていたのだ。その裏の顔を、健次郎は全く知らなかった。
「わかりました。今日はお話を聞けてよかったです。こちらは、謝礼金です」
言いながら、工藤は封筒をテーブルの上に置いた。
健次郎は、ちらりと封筒を見る。少しの間を置き、ペコリと頭を下げた。
「お役に立てなくて、すみません」
また態度が変わっている。おそらく、こちらが彼の素なのだろう。工藤は会釈し、立ち上がった。
「私は、そろそろ失礼します。その前に、ひとつだけ……あなたは、カウンセリングを受けた方がいい」
「どういう意味です?」
訝しげな表情の健次郎に、工藤は憐れむような表情で答える。
「あなたの兄である浩介さんは亡くなりました。しかし、彼の亡霊は今もあなたに取り憑いています。その亡霊を祓うために、カウンセリングを受けるのです」
「はあ? 亡霊?」
「そうです。あなたの裡には、今も浩介さんに対する複雑な感情が渦巻いている……私には、そう見えます。その感情が、何かの拍子に外に発露された場合、恐ろしい事件を引き起こすかもしれません」
途端に、健次郎の顔色が青くなった。ひょっとしたら、身に覚えがあるのかもしれない。
「お、俺はそんなことしない──」
「ええ、しない可能性が高いでしょうね。しかし、絶対にしないとも言えません。それに、話せば楽になることもあります。まずは一度、専門医のカウンセリングを受けてみてください」
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