秋田の告白(2)
工藤は、さらに尋ねる。
「あなたは、鈴原が人を殺すところを見たのですね?」
「だから、見てないって言ってんじゃん!」
その問いに、秋田は怒りをあらわにして言い返した。つまりは、本当のところを突かれたということだ。
「私は警察という組織に所属しているわけではありませんし、警察に通報する義務もありません。あなたがここで何を言おうが、警察には知らせません。それだけは保証します。ただ依頼人は、鈴原さんのことを知りたがっているのです。ですから、あなたの知っていることを教えてください」
冷静な口調で言葉を返した工藤だったが、秋田には聞く気がない。
「何も知らないのに、何を教えろって言うの?」
「そうですか。言わないと、少々困ったことになりますよ」
「ど、どういう意味?」
「私は、いろいろなことが出来ます。あなたが思っているよりも、ずっと……ね。ひとつ例を挙げれば、私の部下をあなたに貼り付かせます。あなたの私生活を、四六時中ずっと監視することとなるでしょう。さらに、監視する過程で見つけた些細な法律違反を、証拠の画像や動画とともにあちこちのサイトへと投稿します。ネットには、正義を愛する方々が大勢いますからね。さぞや、困ったことになるでしょう」
途端に、秋田は顔を歪める。直後、ドンとテーブルを叩いた。
「ふざけないで! あたしを脅迫する気!?」
「はい、脅迫しています。ただ、話してくれれば……」
言いながら、工藤はカバンを開け封筒を取り出す。謝礼金の入っているものだ。ムチの次は、アメを見せる番である。
まず、その封筒をテーブルの上に置いた。さらに、ポケットからマネークリップを出す。一万円札を一枚ずつ抜き、封筒の上に重ねていく。その動きを、秋田は食い入るような目で見ていた。
やがて、封筒の上に十枚が重なる。そこで、工藤は顔を上げた。
「特別ボーナスとして、こちらの十万円を差し上げます。もちろん、謝礼金とは別の扱いです。したがって、あなたはここにある十三万円を手に出来ます。さあ、どうしますか?」
その問いに、秋田は目線を逸らした。迷っているが、落ちるのはほぼ確実だ。
もっとも、ここであまり時間をかけるわけにはいかない。
「私も暇ではありません。次の予定もあります。早く決めてください。でないと、私は帰らせていただきます。その場合、この特別ボーナスは無しです。あと十秒以内に決めてください」
さらなる揺さぶりに、秋田は困惑の表情を浮かべる。しかし、工藤はカウントを開始した。
「十、九、八、七、六、五──」
そこで秋田が動いた。テーブルに置かれた紙幣と封筒を、引ったくるように掴む。耐えきれなくなったのだ。
少しの間を置き、口を開いた。
「本当だね? 本当に、警察には言わないね?」
「はい」
工藤が頷くと、秋田は観念したように語り出した。
「あたしと鈴原は、すぐに仲良くなったんだよ。あいつは喋ると面白かったし、いろんなこと知ってたんだよね。けど、あの時はまだ友だちみたいな関係だった」
あの鈴原が、喋ると面白いという評価をされるとは意外だった。どういう話をしたのかに興味はあったが、それは聞く必要のないことだ。工藤は黙ったまま話を聞いていた。
「その日、鈴原がうちにいたんだよ。あたしと、ゲームか何かやってたのかな。あいつさ、いろんなこと知ってるくせにゲームはド下手で、何十連敗したかなあ。あたしもおかしくて、ゲラゲラ笑ってたんだよ。その時に、武田が予告もなく突然やって来たんだ。いきなりドア開けて入ってきて、鈴原を見るなり顔色が変わってた。お前はこの女の何なんだ! って喚き出したんだよ」
ゲームがド下手? それは妙だ。
中学生の時の友人である秋野は、鈴原は対戦ゲームが上手かったと言っていた。確かに、ゲームの種類により得手不得手はあるだろうが、ド下手と評されるのはおかしな話だ。
などと思いつつも、工藤は話に耳を傾けていた。嫉妬深い彼氏との遭遇とは、世間では有りがちな修羅場である。だが、鈴原なら何とでも出来るだろう。
「そしたら、鈴原が普通の顔して武田に近づいて行ったんだ。武田はブチ切れて、鈴原の襟首を掴んだ……」
そこで、秋田は言葉を止めた。
「何があったんです?」
「わからない。いきなり、バタンて倒れたんだ」
「武田さんが倒れたのですね?」
念のために確認したが、聞くまでもない。おそらくは、喧嘩の時に用いた技だろう。もっとも、鈴原はこの時まで人を殺していないと思われる。ここで、初めて殺人まで踏み込んだのだろうか。
「うん。倒れたまま、ピクリとも動かなくなったんだ。あたしは、てっきり死んじゃったのかと思ったんだよ」
「その後、何がありました? 正直に答えてください」
「鈴原は、あたしに近づいて来たんだよ。で、いきなりあたしにキスしてきた。あたしは、動くことも出来なかったよ。で、あたしの服を……後は、言わなくてもわかるよね?」
工藤は頷いた。
その後に何があったかは、聞かなくてもわかる。だが、鈴原の思考に関しては全くわからない。死体の傍らでセックスしたというのか。これは、もはや趣味や嗜好の問題ではない。
改めて、鈴原の怪物ぶりを知らされた気がした。だが、話はまだこれからだった。
「終わった後、鈴原は何事もなかったかのように倒れてる武田のそばに行った。そしたら、武田がいきなり立ち上がったんだよ」
「立ち上がった? どういうことです?」
さすがの工藤も、表情が歪んでいた。では、気絶させただけだったのか。しかも、意識を失う時間まで意のままのようだ。
これは、本当に魔法かもしれない……そんなバカげた考えが頭を掠めた。
「あたしもわからないよ。とにかく、武田はゾンビみたいな顔で立ち上がったんだ。そしたら、鈴原は武田の手を引いて外に出た。その日は、それきり帰って来なかったよ」
そこで、秋田は言葉を止めた。ふうと息を吐く。この話を他人に聞かせるのは、初めてなのだろう。墓場まで持っていくと決めた話を、工藤に聞かせているのだ。
少しの間を置き、彼女は語りだした。
「それから、武田は連絡してこなくなったんだ。組の事務所にも、顔を出さなくなったみたい。完全に消えちゃったんだよ。あいつの兄貴分だっていうヤクザからも電話が来たから」
おそらく、武田は死んでいるだろう。間違いなく鈴原が殺したのだ。
しかし、武田はどうでもいい。もうひとつ、聞きづらいことを聞かねばならなかった。
「いくつか確認しておきたいことがあります。まず性行為の際ですが……鈴原は、慣れた様子でしたか?」
「はあ? どういうこと?」
秋田の目が吊り上がる。しかし、工藤は怯まず話を続けた。
「すみません、これはどうしても知らなくてはならないことなんですよ。彼は、セックスに慣れていましたか? それとも童貞か、もしくはセックスに慣れていない様子でしたか?。細かく言う必要はありません。はい、もしくはいいえで答えてくださるだけで結構です」
なおも尋ねると、秋田は渋々ではあるが語り出す。
「あれは、確実に童貞じゃなかったね。ただ、変だった」
「変? というと……」
「上手く言えないんだけど、あの年頃の男ってヤリたい盛りだよね。ガッついて来るのが多いんだよ。でも、鈴原は違ってた。妙に冷静で、気持ち悪いくらい。なんか、他に目的があるみたいだった」
露骨に不快そうな表情を浮かべながら、秋田は語った。もっとも、はいかいいえだけで良かったのに、細かく答えてくれたのだ。これで充分である。工藤は、ぺこりと頭を下げた。
「言いにくいことを話していただき、ありがとうございます。あと、彼が自殺未遂をしていたことはご存知でしたか?」
途端に、秋田の動きが止まる。無言で、まじまじと工藤を見つめた。
ややあって、呆れたような表情で口を開く。
「自殺未遂? それ、何かのギャグなんじゃないの。あいつが自殺なんて、有り得ないから。人を殺すことはあっても、自分を殺すことだけは絶対にしない。鈴原は、そういう奴だよ」
大島と同じことを言っている。
十六歳の鈴原は、自殺を試みたが失敗した。これは、疑いようのない事実である。奇跡的にも無傷で済んだが、普通なら死んでいる状況だ。
ところが、それから鈴原の中の何かが変わったのだ。魔法じみた能力を手に入れ、チーマーに接触した。ノトーリアスの人間と交流するようになったのは、果たして偶然なのか。それとも、何らかの考えがあってやったことなのか。
その疑問にヒントをくれるのは、この女ではない。工藤は、別の質問をしてみた。
「鈴原さんは、もう死んでいるのではないかという見方をした人もいますが、どう思います?」
「それも有り得ない。あいつは絶対に死なないよ。世界の人間を皆殺しにしても、あいつは生き延びるから」
「では、十三年もの間どこで何をしているのだと思います?」
「さあ、何してんだか。たぶん外国にいるんじゃない。いつか、外国にも渡るって言ってたから」
「他の人も、そう言っていたそうです。ご存知でしたか?」
そう、殿岡や岸森の前でも同じことを言っていた。その事実を、この女は知っているのだろうか。
「だろうね。いつか、みんなを連れて海外に移住するかもって。今考えるとバカバカしいけど、当時は本気にしてたよ。あいつは、そのくらいやりかねないってね」
「具体的な国名は言っていましたか?」
「それは言ってなかった」
そこで、工藤は頭を下げる。もう潮時だ。聞きたいことは、全て聞けた。
秋田は、岸森とは違う。これまでの生き方を反省し、人生をやり直そうとしている。言葉の端々からも、それは感じられた。しかも、言いにくいこともきちんと話してくれた。
そんな彼女の時間を、これ以上割かせるわけにはいかない。
「ありがとうございました。最後に、何の慰めにもならないでしょうが、ひとつだけ言わせてください。彼の子供を産まなかったという選択は、正しいものだったと思います」
「えっ?」
聞き返す秋田の表情は複雑だった。ひょっとしたら、墮胎したことに対し未だに何かしらの葛藤があるのだろうか。
あるいは、お前なんかに何がわかるんだ……という怒りの感情があるのかもしれない。だが、それについて議論する気はなかった。
「これ以上のことは、知らない方がいいと思います。では、失礼します」
言うと同時に、工藤は立ち上がる。もう一度頭を下げると、部屋を出ていった。
秋田と出会った時点で、鈴原は既に女性との性体験があった。それ自体は、全くおかしなことではない。彼が数人を一瞬で倒した技に比べれば、そんなことは考えるにも値しないだろう……大抵の人間は、そう判断するはずだ。
だが、工藤の考えは違う。彼にとって、そのふたつはくっきりと繋がっている。鈴原にとって、セックスも暴力も必要だったからやった、それだけでしかないのだ。
既に工藤の頭には、ひとつの仮説が立てられていた。その仮説は、様々な人と話をするたびに補完されていく。
その仮説も、結局のところ最大の謎を解くに至ってはいない。
鈴原健介は、今どこにいる?
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