とある半グレの事務所
「おい、どういうことだよ! もういっぺん言ってみろ!?」
午後三時、都内のとあるマンションの一室。
落ち着いた雰囲気の部屋だが、中にいる男の表情は、その雰囲気にそぐわないものである。座っていた事務用の椅子から立ち上がり、今にも殴りかからんばかりの勢いで怒鳴りつけた。
「だから、鈴原の行方を探してる探偵がいるらしいんだよ」
「本当か? 探偵が、鈴原を探してんのか?」
「ああ、そうらしい。どっから聞きつけたのか、昔ノトーリアスにいた連中に聞き回っているって聞いたぜ。こないだ、岸森のところに来たらしいんだよ」
答えを聞いた東野は、思わず顔をしかめた。いったい、どこの何者が鈴原のことを調べているのだろう。
この東野と士田は、都内を中心に活動している半グレ集団『真幌会』の幹部である。
半グレとはいっても、両者の見た目は一般人とさほど変わりない。繁華街をうろつく二十代の若者、という印象を受けるだろう。ふたりの年齢は三十を超えているのだが、巷の三十男と比べると確実に若く見えていた。
彼らの今いる場所も、一見すると中小企業の事務所という雰囲気だ。裏通りのマンションの一室に、事務用の机と椅子が並べられている。机の上には、パソコンが置かれていた。さらに、ブランドもののスーツで身を固めている東野に対し、士田はラフな服装である。繁華街を歩いている兄ちゃんという雰囲気だが、昨今はスーツ姿を強要しない企業も珍しくはない。
ふたりは、一般社会に完璧なまでに溶け込んでいる。昔のように、見るからにアウトローというような風貌では、一般の人から引かれるだけなのだ。また、ヤクザのように見栄は張らないし、面子にもこだわらない。あくまで実利を優先している。結果、ヤクザよりも大金を稼いでいた。この辺りの繁華街を歩けば、裏社会の住人たちが道を譲るほどの顔役になっている。
そんな彼らではあるが、今は明らかに動揺していた。探偵と称する男が、彼らの仲間である鈴原健介を探しているというのだ。様々な人間に、話を聞いて回っているらしい。
「クソが……いったい何のつもりだ? よりによって鈴原を探すなんざ、正気じゃねえぞ。あいつのことを、全くわかってねえんだな」
呟くように言った東野。百八十センチの長身を折り曲げて椅子に座り込み、深刻な表情で頭を抱えている。その額には汗が滲んでいた。冷房の効いたオフィスなのだが、その涼しさをも上回る何かに襲われているらしい。
そんな東野に、士田がためらいながら尋ねる。
「なあ、マジな話だけどよう、鈴原ってどこにいるんだ? 俺もたまに聞かれんだけどよ、どう答えりゃいいのかわからねえんだよ」
その問いに、東野は顔を上げた。じろりと睨みつける。
「お前はな、知らねえって言っときゃいいんだ。居場所は俺が知ってるし、連絡も取ってる。何の問題もねえんだよ」
「実はよ、鈴原はもう死んでるんじゃねえかって言ってる奴もいるんだけどよ……」
案じるような顔で言った土田だったが、東野は鼻で笑った。
「知らねえってのは恐ろしいな。あいつが死ぬわけねえだろ。お前らはな、鈴原の怖さを知らねえから、そんなことが言えるんだ。地球が滅びたって、あいつだけは生き延びるよ」
そう、東野は知っている。
鈴原は、恐ろしい怪物なのだ。彼の周りで、何人の人間が消えていったのだろう。また、いくらの金が動いたのか……間近で見てきた東野でさえ、現実だったとは思えないようなことが起きていたのだ。東野が今の地位にいられるのも、鈴原のおかげである。
探偵が、なぜ今になって鈴原を探しているかはわからない。だが、わかることもある。鈴原は十三年前、何の前触れもなくいきなり彼らの前に現れた。以来、様々なことをやってきた。あの男のやった悪事のいくつかに、東野も深くかかわっている。万一、
しかも、当時ノトーリアスの上にいた連中は、大なり小なり鈴原とかかわっている。直接の交流を持った者は少ないが、鈴原の本当の恐ろしさを知っている人間は十人近くいるだろう。
幸か不幸か、ここにいる士田は鈴原と話したことすらない。彼は当時、ノトーリアスのメンバーではあったが、加入したのは一九九九年になってからである。したがって、鈴原がノトーリアスを動かしていた頃のことを知らない。士田が幹部クラスになったのは、鈴原が表に出なくなってからである。
そんな士田とは対照的に、かなり深く鈴原とかかわっているのが東野だ。鈴原のやったことの後始末をしたこともある。したがって、東野は鈴原の怖さを知り尽くしていた。
そんな男に言われれば、士田は頷くしかない。
「そ、そうなのか」
間の抜けたような返事に、東野は溜息を吐いた。この土田は、何もわかっていない。
「万が一、鈴原がパクられたとする。そしたら、俺たちも終わりなんだよ」
「えっ、本当か?」
「はっきり言うぞ。ノトーリアスがここまでデカくなったのは、半分以上が鈴原の力だ。銀星会とモメた時も、あいつが出ていって丸く収めたんだ。ジャンキーズとの戦争の時なんか、鈴原がひとりで乗り込んでいって収めちまったんだよ」
そう、当時のノトーリアスの勢いは尋常ではなかった。
もともとノトーリアスは、他のチームと比べると歴史は浅い。はっきり言えば、チーマーに憧れていた連中が集まり、チームの真似事をしていた……最初のうちは、その程度のものでしかなかったのだ。規模も小さく、九八年の時点の総メンバー数は十人にも満たなかっただろう。少なくとも、東野が入った当時はそんなものだった。
ところが、鈴原健介の出現とともに全てが変わる。ノトーリアスというチームは、凄まじい勢いで肥大化していった。最盛期には、ヤクザや不良外国人グループの方からノトーリアスの主要メンバーに挨拶しに来ていた。渋谷で行われるイベントなどにも、深くかかわっていたのだ。
その時に築き上げた人脈やネットワークにより、ノトーリアスの幹部クラスだった者たちは表と裏の両方の世界で頭角を現していく。今や、半グレの世界はノトーリアスOBが最大勢力となっているのだ。
しかし、ここで鈴原のやったことが全て公になれば……ノトーリアスOBは、次々と逮捕されるであろう。時効になっていない悪さは、いくつもある。東野のみならず、他の人間たちも芋づる式だろう。おそらく、二十人近い人間が逮捕されるだろう。しかも、東野を含めた何人かは死刑になる。
不安は他にもある。今のところ、鈴原はその探偵のことを知らないはずだ。知っていたら、ただでは済ませていないだろう。鈴原は、伸びてきた髭を剃るような感覚で人を殺す男だ。
仮に今、どこの何者かも知らない探偵が、自分のことを調査しているなどと知ったら……確実に、とんでもないことになる。なにせ、鈴原が何をやらかすか誰にも予想できないのだ。たとえるなら、野生の猛獣と同じである。放っておけば害はない。だが、奴のテリトリーに下手に踏み込めば、確実に死人が出る……鈴原は、そういう男なのだ。
それだけではない。万が一、探偵が奴の居場所を突き止めたら、何が起こるか想像も出来ない。ひょっとしたら、自分にまでとばっちりが降りかかるかもしれないのだ。
まずは、その探偵を止めなくてはならない。東野は指示を出した。
「とにかくよ、その探偵とかいうのを調べるんだ。暇そうな奴らには、工藤探偵事務所まで行かせよう。場合によっては、そいつが余計なことを嗅ぎつける前に殺さねえとならねえからな」
「わかった」
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