岸森の話

「えっと……す、鈴原のことを聞きたいんだよね?」


 岸森雅美キシモリ マサミは、怯えたような顔つきで聞いてきた。

 その体はガリガリに痩せており、Tシャツの袖から伸びる腕は棒のように細い。短パンから伸びた足も棒きれのように細く、ろくに動いていないように見える。

 その上、よく見れば腕の血管に添って虫刺されのような傷痕があった。顔立ちは悪くないが、頬の肉は削げ落ちており肌も青白い。スレンダー、というよりは痩せこけていると言ったほうが正確だろう。落ち着きのない態度で、工藤の顔をちらちら見ている。

 この様子から察するに、薬物依存である可能性が高い。だが工藤は、そこには触れず答える。


「はい。あなたは昔、鈴原さんと仲が良かったと聞きました」


「ねえ、前にも言ったけどさ、鈴原にはあたしのこと絶対に言わないでよ。絶対だからね」


 なおも、不安そうな様子で言ってくる。確かに、事前の打ち合わせの時、岸森ははっきり言ってきたのだ。もし鈴原が見つかったとしても、絶対に自分のことを言わないで欲しい……と。

 よほど鈴原のことを恐れているようだ。もっとも、薬物依存に特有の「勘繰り」という症状なのかもしれない。この勘繰りとは、物事を何でもかんでも悪い方に受け取る心理状態のことで、一般人にも見られるものだ。

 ただし、薬物依存症の場合はまた話が異なる。目の前にいる人間の何気ない言葉や仕草から、とんでもない妄想を抱いてしまう。挙げ句、殺傷事件にまで発展することもあるのだ。

 そんな人間から聞けた話を、どこまで信用していいのかは難しいところだ。




 両者は、岸森の自宅近くにあるカラオケボックスに入った。大島のケースもそうだったが、この岸森も他の人間に聞かれたくないらしい。

 つまりは、それだけ秘匿性の高い話を聞けるのだろう。


「はっきり聞きましょう。あなたは当時、鈴原さんと男女の仲だった、と聞きました。本当ですか?」


 いきなり核心に迫る話を切り出した工藤に、岸森はビクリと反応する。

 少しの間を置き、口を開いた。


「あたしたちが付き合っていたかどうかは、わからないよ。鈴原には、あたし以外にも女がいたし」


「えっ、鈴原さんはそんなにモテていたのですか」


 意外だった。あの地味で影の薄い鈴原に、同年代の女性を惹きつける魅力があったとは思えない。

 

「そうだよ。あいつには、他にも女がいた。あいつの女は、あたしだけじゃないんだよ」


 冷めた口調で答える。そこには、かつて愛した男との思い出を語るようなロマンチックな雰囲気はない。かと言って、嫌で嫌でたまらない男を悪し様に言うような雰囲気でもない。

 やはり、彼女は今も鈴原を恐れているのだ。


「鈴原さんの魅力は、何なんでしょうね?」 


 さらに聞いてみると、岸森はかぶりを振る。


「わからない」


「はい? わからない、と言ったのですか?」


「だから、本当にわからないんだよ。あいつの、どこが良かったのか……ただ、あの時のあたしは、あいつのことを本気で好きになってた。鈴原のためなら何でもする、そんな気分だったよ」


 真顔で答える。その言葉に、嘘はなさそうだった。

 人を好きになる、これは理屈ではないのだ。頭脳明晰な美女が、どうしようもない駄目男とくっついているケースは珍しくない。その逆もまた、よくある話だ。

 ただし、この場合は別だ。鈴原は、地味で目立たないオタク系の少年である。顔も、こけしを擬人化させたような感じだ。全てにおいて薄い印象である。クラスの中では、女子の視界にすら入っていないようなタイプだ。そんな底辺男子が、複数の女子と同時に付き合いハーレムを形成してしまう……少年マンガにありがちな展開ではあるが、現実には有り得ない話だ。

 その上、当時の岸森はギャルと呼ばれるようなタイプであった。オタクと付き合うギャル……これまた、マンガやアニメでは有りがちなシチュエーションだが、現実には有り得ない話である。

 しかし、岸森が続けて発した言葉が謎を解く鍵になった。


「ただ、当時の鈴原が凄い連中とツルンでたのは間違いないよ。あの時のノトーリアスは、本当に凄かったから。ヤクザですら、道を空けてたからね。そんな主要メンバーの中に、鈴原も混じってたんだよ。すっごくダサい格好してたのに、誰も突っ込めない空気を出しててさ。みんな密かに、あいつは何なんだろうって噂してたんだよ」


 何となく見えてきた。

 当時、不良の主流はツッパリや暴走族からチーマーへと移っていた。揃いの特攻服を着る暴走族に対し、チーマーは全員が私服で集まる。そのため、服選びのセンスが問われる部分もあった。また、チーマーは従来のリーゼントやパンチパーマという髪型のツッパリをバカにしていたし、暴走族のように改造したバイクで暴走したりもしない。

 ただし、ファションにはこだわりが強かった。昨今のように通販サイトが発達した時代と違い、お洒落な服を扱う店に通えるかどうかが問われる部分もある。はっきり言えば、当時のチーマーというスタイルは、都会に住む少年でないと成立しなかったのである。そのため、暴走族のように全国区では広がらず、二〇〇〇年代には廃れていた。

 もっとも一九九八年から一九九九年は、まだチーマーが健在だった時代である。鈴原が、ノトーリアスの主要メンバーと交流していたのは間違いない。地味な風貌の彼は、明らかに浮いた存在だったであろう。だが同時に、メンバーの中でも上位にいる者たちから一目置かれる存在であった。そのギャップが、女性たちを惹きつけたのかもしれない。


「鈴原さんは、ノトーリアスの正式なメンバーではなかったと聞きましたが、そのあたりはどうなのでしょう?」


「わからない。一度、殿岡トノオカって奴に聞いてみたんだけど、鈴原は別格だから……みたいな言い方してたのは覚えてる。とにかく、あいつには何も言えなかったんだよ」


 その名前は初耳だ。いったい何者だろつ。


「その殿岡さんという人は、何者ですか?」


「ノトーリアスのメンバーだよ。はっきり言って、パシリよりマシって程度の雑魚だった。けど、あいつが鈴原をノトーリアスに入れたんだってさ」


「確認ですが、その殿岡さんが鈴原さんをチームに入れたのですね?」


「入れたっつーか、推薦みたいな感じだったらしいよ。殿岡は、そのことを自慢してた。俺が、鈴原をノトーリアスに入れたんだってね」


 岸森から聞いた話から推察するに、ノトーリアスというチームはかなりいい加減な組織のようだ。チームの正確なメンバーを把握しきれていないらしい。となると、集まったとしても顔と名前が一致しない恐れがある。町でメンバー同士が出会っても、わからない可能性もあるだろう。そこまで巨大な規模の組織なのか、あるいは単なるサークル程度のものなのか。

 それより、もっとわからないことがある。


「私にはわからないのですが、鈴原さんはノトーリアスの正式なメンバーではないのですよね? しかし、今の話を聞くとメンバーであるかのような言い方ですね。鈴原さんは、どういった立場だったのでしょうか?」


「そのへんは、あたしもよくわからなかった。当時、ノトーリアスのアタマだった村川ムラカワは、そのことに一切触れなかったしね」


 どうやら、この女はノトーリアスの内情については、ほとんど知らないようだ。

 なら、話題を変えよう。


「ところで、あなたと鈴原さんの馴れ初めについて聞かせていただきたいのですが……そもそも、どちらから声をかけたのですか?」


 一瞬の間が空いたが、岸森は答える。


「向こうからだよ」


「鈴原さんから、ということですね。そこから、付き合いが始まったと。鈴原さんは、どういった感じの人でした?」


「どうって……冷たい奴だったよ。あたしの家には、もっぱらヤるためだけに来てるって感じだった。ふたりでどこかに行ったりとか、そういうことはない。何考えてるか、全くわからない奴だったよ」


 聞けば聞くほど、鈴原のイメージがおかしくなっていく。中学生時代の友人だった秋野から聞いた鈴原と、いま岸森から聞いている鈴原は、全くの別人としか思えない。工藤は黙ったまま、彼女の話に耳を傾ける。


「しかもさ、あいつ毎回ゴムなしでヤるんだよ。そのせいで、あたし妊娠デキちゃったわけよ」


 ゴムなし、ときた。その行為が最終的に何をもたらすかは、小学生でもわかることだ。にもかかわらず、その時のノリでやってしまう……よく聞く話である。あるいは、鈴原の要求を断れなかったのかもしれない。

 工藤はそんなことを思いつつ、岸森の話に耳を傾けていた。


「でもね、あん時は凄かった。あいつ、あたしの家に来て顔を見るなり笑い出してさ。お前、子供が出来たのか! なんて言ってきたんだよ。あたし、一言もいってなかったのにさ。どうやって知ったのか、未だにわからないんだよ」


 どういうことだろう。

 顔を見ただけで妊娠を知った……鈴原が、そんな超能力者のごとき真似をしたというのか。とても信じられない話だ。江戸時代の熟練した産婆の中には、女の顔を見ただけで妊娠しているか当てられる者がいたそうだが、たかだか十七年ほどしか生きていない少年には不可能な芸当であろう。

 もっとも、今はその謎を考える時ではない。


「その後、どうなったのです?」


「あいつは、あたしに産むように言ったんだよ。しかも、百万円をポーンと置いてった。あの時は、さすがに目が点だったね」


 百万円といえば、十代の少年少女にとって大金である。鈴原は、その金をどうやって手に入れたのだろう。知れば知るほど、鈴原という人間に対する疑問が湧いてくる。

 だが、工藤は別の疑問をぶつけた。


「それは凄いですね。で、おふたりは籍を入れたりは……」


「もちろん入れてないよ。それ以前にさ、そんな話にはならなかったしね」


「その後、鈴原さんが行方不明になりましたが、お子さんは結局どうしたんですか?」


「堕ろしたよ。いきなり鈴原が姿を消して、ひとりで産み育てるなんて無理って思ったから」


 事もなげに答える。この急な心変わりは何なのだろう。どうにも引っかかるが、工藤は別の質問をした。


「鈴原さんは、今どこで何をしていると思います?」


「さあね。いつか外国に渡るとか言ってたからさ。もしかすると、外国に行ったんじゃないの。あいつ、自分の予定とか一切言わないで行動するからさ。全部いきなりなんだよ」


「十三年も音沙汰がない以上、死んでいるとしてもおかしくないですよね。誰かに殺された可能性も考えられるのではないでしょうか?」


 工藤が聞いた途端、岸森は笑った。笑いながら、首を横に振る。


「鈴原が死ぬ? そんなこと、絶対に有り得ない」


「どういうことです?」


「あんたも一度、あいつに会えばわかるよ。あれはね、崖から親を蹴落としてでも生き延びるタイプだよ。完全なる自己中。しかも、生命力はゴキブリ並だからね。そういう奴は、確実に長生きするよ」


 吐き捨てるような口調だったが、その奥には恐怖もある。彼女は鈴原に、十三年経った今も消えることのない恐怖を植え付けられているのだ。


「わかりました。今日は来ていただき、ありがとうございます」


 言いながら、謝礼金の入った封筒をテーブルに置く。と、岸森は引ったくるような勢いで封筒を掴んだ。中身を確認すると、顔を上げにっこり笑う。


「ねえ、これから何か予定ある? 暇だったら、ちょっと飲みに行かない? いい店知ってるから」


 誘うような表情を浮かべ、岸森は言った。

 その誘いの言葉の行き着く先に、何があるのかは考えるまでもなかった。この岸森がモグリの売春婦をしているらしい、という噂は事前に聞いている。

 だが、あえて気づかぬふりをした。


「はい、用事はあります。では、失礼します」


 一切の感情を表すことなく一礼し、工藤は部屋を出ていった。




 彼女は、おそらく今もらった謝礼金で覚醒剤を買うのだろう。だが、それは工藤の預かり知らぬところだった。

 それよりも、鈴原がモテていたという情報には驚かされた。さらに、親を崖から蹴落としても生き延びるタイプ、とまで言われている。

 地味で友だちもなく、しかも飛び降り自殺を試みて失敗した鈴原健介。今、岸森から聞いた少年像とは、どうにも結びつかない。先日会った大島は、鈴原にはにはとんでもない裏の顔があると言っていた。しかし、これは裏の顔などという甘いものではない。

 しかも、鈴原は岸森に子供を産ませようとしていたというのだ。百万円という金をポンと置き、産んでくれとまで言っている。十七歳の少年がすることとは思えない。

 これは、どういうことなのだろう。鈴原は、本気で産まれてくる子の父親になるつもりだったのか。だが、籍は入れなかった。やることに矛盾が多すぎる。


 工藤の裡に、ひとつの仮説が生まれていた。あまりにもバカバカしく、非常識な内容である。しかし、その仮説を捨てることも出来なかった。






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