大島が語る健介の裏側

「今日は、来ていただきありがとうございます」


 工藤は、深々と頭を下げた。

 彼の前に座っている男は、鋭い目で彼を睨みながら口を開く。


「いえいえ、どうせ暇ですから」


 吐き捨てるような口調だった。不愉快そうな表情を隠そうともしていない。ここに来たくなかったのは明らかだ。

 にもかかわらず、工藤の求めに応じて指定された場所に来ている……その理由は、おそらく謝礼金であろう。




 工藤と大島文明オオシマ フミアキは、駅近くのカラオケボックスに来ていた。当然、室内にいるのはふたりきりだ。言うまでもなく、ふたりに歌う気配はない。

 例によって灰色ずくめのスーツ姿である工藤に対し、大島はTシャツにデニムパンツというラフな格好である。身長は低いが、体つきはいかつい。Tシャツから覗く二の腕は太い上に瘤のような筋肉がうねっており、日頃の鍛錬を窺わせた。目つきは異様に鋭く、額には大きな傷跡がある。若かりし頃、どのような生き方をしていたかを雄弁に語ってくれている。

 そこいらを徘徊するチンピラなど、比較にならない凄みを感じさせる男だ。高校の時、鈴原健介とは同じクラスであったらしいが、彼とは住む世界が完全に違うように見えた。

 そんな大島に、工藤は会釈し語りかけていく。


「さっそくですが大島さん、差し支えなかったら、教えていただきたいのですが……現在は、どのような仕事をされているのですか?」


 一応、本人に尋ねてはいる。ただし、この男が無職であることは既に調査済みだ。


「それ、鈴原と関係ないですよね。あなた、鈴原のことを聞きに来たんじゃないんですか?」


 大島は、さらに不快そうな表情で聞き返してきた。敬語を使ってはいるが、言葉の奥には怒気がある。かなり気の荒い性格であるのは間違いない。工藤は頭を下げた。


「失礼しました。ところで、あなたは昔いじめを受けていたそうですね。差し支えなかったら、そのあたりの話から──」


「すみません、それは鈴原が行方不明になった件と何か関係があるのですか?」


 話を途中で遮り、聞いてきた大島。工藤は、かぶりを振った。


「いえいえ、もし言いたくないのであるなら、こちらもこれ以上は聞きません。では、話を変えましょう」


「俺はね、内臓逆位症なんですよ」


 不意にそんなことを言われ、さすがの工藤も戸惑った。思わず聞き返す。


「はい? ナイゾウギャクイ? どういうことです?」


「つまり、俺は内臓の位置が全て逆なんです。心臓は右だし、肝臓は左にあります。おかげで、子供の頃はよくいじめられました。毎日、キモいだの何だのと言われていましたよ」


 静かな口調で語ってはいるが、思い出したくもない記憶なのだろう。眉間には皺が寄っており、拳を固く握りしめている。

 いじめた側は、自分のしたことをいとも簡単に記憶から消し去る。しかし、いじめられた側の記憶は、何年経とうとも消えることはないのだ。この大島の記憶からも、いじめに遭い受けた屈辱は消えていない。


「ああ、そうでしたか。失礼しました。不勉強ですみません」


 頭を下げる工藤に、大島は淡々と言葉を返していく。


「いえいえ、知らなくても仕方ないですよ。当時は、本当に地獄でした。他のクラスの奴まで、俺の心臓の音を聞きに来ていましたからね」


 こうなると、いじめという言葉の枠を飛び越えている。今だったら、ネットに投稿すれば炎上しかねない。もっとも、今はその話をしにきたわけではなかった。

 これまでの会話から見るに、この大島という男は確かに気が荒い。だが、己をコントロールする術は心得ているらしい。工藤は、さらなる疑問をぶつけてみた。


「あのう、実は……中学から高校にかけて、あなたは相当に目立つ生徒だったという話も聞いています。それは、本当なのでしょうか?」


「目立つ、というと?」


「具体的には、あなたは相当に喧嘩が強かった、という話を聞きました。中学生の頃には、他校にも知られる存在だったとか。いじめられっ子だったという話とは、完全に真逆なんですが……どちらが正しい情報ですか?」


 工藤は、そっと尋ねる。この大島に関しては、いじめられっ子だったという話を聞いていた。同時に、手の付けられない不良少年だったという話も聞いている。どちらが本当なのだろう。ただし、いじめられっ子からいじめっ子に反転するケースも少なくはない。

 対する大島は、平静な表情で答えた。


「どちらも、間違いではないです。俺は小学生から中学一年生まで、いじめられっ子でした。いじめから抜け出すために、俺は逆襲したんです。いじめていた連中を、ひとりずつ後ろから襲ってボコボコにしましてね。すると、いじめられなくなりました」


「なるほど、そうでしたか」


「素人同士の素手喧嘩なんか、殴る意思の有無で決まってしまう部分がありますからね。ましてや、こっちは必死でした。やられっぱなしでは、この地獄が続く……そう思っていましたから。それこそ、死にものぐるいで立ち向かっていきましたよ。おかげで、いじめられなくなりました。クラスの連中も、俺を恐れるようになりましたし。その代わり、ヤンキーたちの仲間入りをする羽目になったんですよ。他校との喧嘩の時、頼まれて助っ人として駆り出されることもありました」


 大島は、淡々と語っていく。殴る意思の有無、などと言っているが……それだけではないだろう。この男の筋肉の付き方や拳などを見るに、長らく体を鍛えてきたのは間違いない。そして学生ではなくなった現在も、ハードなトレーニングをこなしているのは見た目からも窺えた。過去、いじめに遭った記憶が、今も大島をトレーニングへと向かわせているのだろう。

 この男が、どんな人間なのか少し見えてきた気がした。もっとも、本題はここからである。

 

「なるほど。ところで、あなたは鈴原さんの自宅を何度か訪問されているようですね?」


 その言葉に、大島の目つきがさらに鋭くなった。完全に、工藤を睨みつけている状態だ。


「いいえ、訪問はしていません。そもそも、俺とあいつは接点なかったですからね」


 嘘だった。この男が、鈴原の家の周囲を徘徊しているのを見たのは南川だけではない。これだけ特徴ある人間だ。見間違い、ということはないだろう。


「いや、あなたの姿を見たという人がいるのですが?」


「いい加減にしてくれねえかな。俺は、知らねえって言ってるじゃん。だったら、その俺を見たって奴を連れて来いよ。それとも、いっそ警察にでも言うか? 逮捕状でも取ってくるか?」


 口調が、がらりと変わっている。態度も、こちらを威嚇するようなものへと変わっていた。この態度の変化から読み取れるもの、それは何かを隠そうとしているということだ。やはり、この男は芽衣子のストーカーだったのか。あるいは、別の理由があって鈴原宅を訪れたのか。

 だが、工藤はあえてそこには触れなかった。別の角度から攻めてみる。


「わかりました。あと、もうひとつ。鈴原健介さんについてですが……実は十六歳の時、ビルの屋上から飛び降り自殺を試みています。あなたは、ご存知でしたか?」


 途端に、大島の表情が変わった。口が半開きになり、目が丸くなっている。驚いているらしい。

 少しの間を置き、大島は答えた。


「はあ? 鈴原が? 誰かに落とされたんじゃないか? それとも事故じゃないのか?」


「いいえ。飛び降り自殺で間違いありません。奇跡的に、無傷で済んだようでしたがね。何か心当たりはありますか?」


 その問いに、大島は絶句した。お前は何を言っているのだ、とでも言いたげな顔つきである。この表情を見るに、鈴原が自殺未遂をしていたことは知らなかったらしい。だが、それだけには終わらない何かもありそうだ。工藤は、彼の次の言葉を待ってみた。

 ややあって、大島は語りだす。


「ないよ。というか、あいつが自殺なんて有り得ないから。これは断言できる。賭けてもいい」


 呟くような口調だった。だが、言葉の奥にあるものは重い。こうまで自信満々に語れるのはなぜだろう。


「はい? どういうことです?」


 聞き返した工藤に向かい、大島は大げさに溜息を吐いて見せた。直後、笑いながらかぶりを振る。


「どういうことって……その様子だと、あんた何もわかってないんだな」


「あのう、私は鈴原健介さんについて様々な人から情報を得てきました。中学の時に仲の良かった方は、鈴原さんを地味で目立たない生徒だと言っていましたよ。それは、間違いなのでしょうか?」


「間違いじゃないよ。あいつは、確かに目立たない生徒だった。ただ、あいつには裏の顔があったんだよ。ヤンキーなんて言葉が生ぬるく思えるくらい、とんでもねえワルだったんだ。知った時は、マジでビビったぜ」


 裏の顔、ときた。

 昼間は目立たぬ高校生、しかし夜になると繁華街にて喧嘩三昧の不良……いかにも、漫画やアニメなどにありそうな設定だ。事実、八〇年代後半から出現した「チーマー」という人種の中には、学校では普通だが街に出ると私服に着替え派手に暴れていた……というタイプがいたらしい。

 もっとも、鈴原がそのタイプだとは思えない。工藤は、さらに聞いてみた。


「裏の顔? どういうことです?」


「言葉の通り、裏の顔だよ。鈴原は、とんでもないことをやらかしてた。あいつのやってきたことを知ったら、ヤクザもチビるくらいさ。鈴原はな、他人を殺すことはあっても自分を殺すことはない。これだけは断言できる」


 自信に満ちた口調で語った。その言葉に、嘘はなさそうだ。

 大島の口ぶりから察するに、鈴原という男はかなりの不良だったらしい。高校生になって、急に不良の仲間入りをするようなタイプは、高校デビューなどと呼ばれ甘く見られるものだ。しかし、鈴原はそちらのタイプではないらしい。現に、大島は今も鈴原を恐れているようなふしがある。


「差し支えなければ、あなたの知っていることを詳しく教えていただけませんか?」


 工藤の問いに、大島はプイッと横を向く。


「あんた探偵なんだろ? だったら、自分で調べな。俺の口からは、これ以上なにも言いたくない」


「で、では……他に、鈴原さんの裏の顔を知っていそうな方をご存知ないですか?」


「だから、そいつは自分で調べろって言ってんだろうが。話はここまでだ。悪いけどよ、そろそろ帰らせてもらう」


 不快そうな顔で答える。どうやら、言いたくないことがあるらしい。それも、かなり重大なことだ。

 工藤はカバンを開け、謝礼金の入った封筒を取り出しテーブルの上に置いた。大島は、ちらりと封筒を見たが、すぐに目を逸らす。

 すると。工藤はポケットから何かを取り出した。マネークリップだ。彼は一万円札を一枚外し、封筒の上に乗せる。

 途端に、大島の目つきが変わった。だが、工藤は彼のことを見もせず、さらに一枚乗せる。

 顔を上げ、口を開いた。


「ここには、あなたに払う謝礼金が入っています。中には三万円入っていますが、ここに特別ボーナスを上乗せしましょう」


 言いながら、一万円札をもう一枚乗せる。食い入るような目で見つめる大島の前で、また一枚乗せていく。もう一枚を乗せ、さらに一枚……。

 積まれた紙幣は、五枚になった。計五万円だ。封筒の中身と合わせれば、八万円になる。

 しかし、工藤はそこで手を止めた。


「私も暇ではありません。あと十秒以内に決めてください。でなければ、私は帰らせていただきます。その場合、こちらの特別ボーナスは無しです。十、九、八、七、六──」


「そのカウント止めろ!」


 数えていた工藤の声を遮り、大島は怒鳴りつけた。直後、ふうと大きな息を吐く。

 少しの間を置き、口を開いた。


「わかった、教えてやるよ。あんたさあ、探偵よりも詐欺師とかヤクザの方が向いてるんじゃねえのか」


「それよりも、情報を聞かせてください」


 あくまで冷静な工藤を、大島は憎々しげな目で睨みつつ語り出した。


「昔、ノトーリアスっていうチームがあったの知ってるか?」


「えっと、暴走族ですか?」


「違う。ノトーリアスってのは、学校も住んでる地区もバラバラな連中が集まって出来たチームだ。最初は、仲のいい連中がただ渋谷に集まって駄弁だべってただけだった。ところが、つまらない理由から、とある有名なチームとモメちまったんだよ。最終的には、相手のチームが解散させられることになったらしい。それから、武闘派のチームとして知られる存在になっちまったんだよ。ノトーリアスに潰されたチームや暴走族は、ひとつやふたつじゃねえ。やられた連中のほとんどが、ノトーリアスに吸収されちまったって話だ。一時は、渋谷で一番でかいチームだって言われてたこともあったらしい」


「鈴原さんは、そのノトーリアスのメンバーだったのですか?」


「いや、正式なメンバーじゃないと思う。だが、あいつは一時期ノトーリアスの上の連中とツルんでた。当時ノトーリアスの幹部クラスだった連中に聞けば、鈴原のことを知ってると思うぜ」


 そこまで語ると、大島は言葉を止めた。何やら、ためらうような仕草をしている。言いたくても、事情があって言えないことがあるのだろうか。工藤は、黙ったまま彼の次の言葉を待った。

 ややあって、大島は再び語りだす。


「あいつが生きてるか死んでるか、俺は知らない。けどな、ひとつだけ言えることがある。あいつはな、生きてるだけで害悪を垂れ流す化け物だ。もし生きてたら、あんたらの手で何とかしてくれ」


 何とかしてくれ、とは穏やかではない。警察に引き渡してくれ、ということだろうか。

 それにしても、この男は変だ。そもそも、何のために鈴原家の周囲をうろついていたのだろう。しかも、そのことに触れようとすると、しらを切り知らぬ存ぜぬで押し通そうとした。

 大島は、もっと重要な何かを知っているのは間違いないだろう。しかし、それを聞くのは今ではない。工藤は、神妙な顔で頭を下げる。


「わかりました。ありがとうございます」


「もうひとつ言っとくぞ。当時ノトーリアスの幹部だった連中は、今も裏社会にいるのがほとんどだ。大物になってる奴もいる。そいつらは、俺みたいに甘くねえぞ。下手なこと聞いたら、マジで殺られるかもしれねえよ。気をつけるんだな」


 その顔つきは、真剣そのものだった。どうやら、こちらの身を心配しているらしい。

 大島もまた、かなりの悪人なのは間違いない。何かを隠しているのも確かだ。しかし、根は善人なのだろう。工藤は、思わず微笑む。


「あなたは、顔に似合わず親切な人なんですね」


「一言余計だ」









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