南川から聞いた芽衣子の秘密

「ねえ、本当に何でも頼んでいいの?」


 南川理恵子ミナミカワ リエコは、恐る恐るという表情で聞いてきた。


「どうぞどうぞ。全部、経費で落とせますから。何でしたら、旦那さんやお子さんやお友だちにお土産を買っても構いません。もちろん、それとは別に謝礼金もお支払いしますよ」


 工藤は、微笑みながら答える。

 ふたりは今、駅前の喫茶店に来ていた。喫茶店とはいっても、料理の方も評判はいい。特に、ここで出されるスイーツは専門誌にも載ったことがあるくらい有名なものだ。ここで食べるのはもちろんのこと、テイクアウトもOKである。


「じゃあ、遠慮なく頼んじゃうからね」


 そう言うと、南川はメニューに目を凝らす。その顔つきは、真剣そのものだ。どうやら、本気で選ぶようである。


「構いませんよ。好きなものを、好きなだけ頼んでください」


 工藤の言葉に、南川は顔を上げ溜息を吐いた。


「あんたの業界は、ずいぶん景気がいいんだねえ。不景気とかいわれてるけど、あるところにはあるもんだ」


 言った後、彼女はチーズケーキとアイスティーを注文する。周囲には、若い女性客の姿が目立っていた。灰色ずくめの格好をした工藤と中年女性である南川は、若い女性たちからはどのように映っているのだろう。




 南川は、鈴原健介の住んでいたアパートの住人である。当時、鈴原家の隣の部屋に住んでいた。現在五十二歳、背は低く全体的に丸い体つきである。人当たりは良い上に、口も達者で物怖じしない。いかにも近所の噂話が好きそうなタイプである。

 そんな南川は、注文したチーズケーキとアイスティーが来るなり、さっそくスマホを取り出し撮影する。彼女は、ツイッターやインスタグラムといったものも一通りやっているようだ。この画像も、SNSに載せるのだろう。午後の空いた時間を優雅に楽しんでいるマダム、という自己演出をするつもりなのだろうか。あるいは、単に得したことを仲間に報告したいだけなのかもしれない。


「えっと……あんたは、鈴原さんちのことを知りたいんだよね?」


 ケーキを食べながら聞いてきた南川に、工藤は答える。


「はい。行方不明になった鈴原健介さんと、自殺した鈴原芽衣子メイコさんについての話を聞かせていただきたく思いまして……」


「そっか。あの親子がいなくなって、もう十三年も経つんだね。あれは、本当に驚いたよ」


 そう、息子は行方不明になり、母親はそれから一週間後に自殺した。家の中で、大量の睡眠薬を飲み死んでいたのである。

 ここにいる南川は、普段から芽衣子とは親しくしていた。隣の部屋の異変に気づき、管理人に言ったのも彼女である。

 警官が立ち会う中で管理人がドアを開けると、そこには芽衣子の死体があった──


「それにしてもさ、今頃になって健介くんを探そうなんて、変わった人もいるもんだね。依頼人は何者なの?」


「申し訳ないですが、それは言えません。一応、守秘義務があります」


「そう。ま、あんたも仕事だからね。言えないこともある、それはわかるよ」


 特に機嫌を損ねた様子もなく言った。もっとも、彼女はこれから大量の土産を注文する気なのだ。さらに、終われば謝礼金ももらえる約束になっている。金の出所など、何者だろうが関係ないのだろう。


「どうもすみません。ところで、健介くんの自殺未遂の件は御存知でしたか?」


「うん、知ってたよ。あの日は、いきなり連絡がきたみたいでさ。芽衣子さんたら、血相を変えて病院に行ってたからね。何が起きたのかと思ったよ。病院から帰ってきたらさ、泣きながら相談されたからね」


「話を聞いた時は、どう思われました?」


「いや、そりゃ驚いたよ。あたしらも、その日は健介くんの噂でもちきりだったよ。でも、翌日には何事もなかったみたいに退院してきてさ。あれには、違った意味でびっくりしたよ」


 それはそうだろう。だが、聞きたいのはそこではない。


「その……例えばですね、彼に自殺の徴候らしきものはありましたか?」


「そういうのは、よくわからない。あの子、地味なタイプだったからね。でもさ、これだけはわかる。あの芽衣子さんの自殺は、おかしいんだよ」


「おかしい、といいますと?」


「実はね、芽衣子さんは妊娠してたんだよ」


「妊娠!?」


 これは、全く想定外の話だった。眉をひそめる工藤に向かい、南川は声をひそめて語り出す。


「そう。芽衣子さんが、産婦人科から出てくるのを何度か見かけたって人がいたんだよ。凄く嬉しそうな顔してた、とも言ってた。あたしゃてっきり、新しい恋人でも出来たんじゃないかって思ってたんだけどね。ただ、息子さんが微妙な年代だからね……恋人とモメたりしないか心配でもあったけど」


 そう、鈴原健介は母子家庭にて育った。母の芽衣子は、健介が十歳の時に離婚している。夫からの度重なる暴力が原因だった。それは、事前の調査でわかっている。

 しかし、その芽衣子に新しい恋人がいたというのは初耳だった。 


「そうでしたか。その話を聞いたのは、いつ頃のことですか?」


「よく覚えてないねえ」


「それは、健介さんが自殺未遂する前ですか? 後ですか?」


 南川の眉間に皺が寄る。どうにか、思い出そうとしてくれているらしい。工藤は無言で待った。

 ややあって、彼女ほ口を開く。


「後……だった気がするね」


「後ですか。ひょっとしたら、芽衣子さんの新しい恋人と健介さんが折り合いが悪くて、それが自殺の原因になったのかと思ったのですが……」


「ああ、なるほどね。その可能性もあるよ。でもさ、あたしが言いたいのはそこじゃないんだよ」


「どういうことです?」


「芽衣子さんはね、すっごく幸せそうだったんだよ。自殺する一週間くらい前だったかな、ちょっとだけ話したんだけど……本当にニコニコしてて、人生楽しくて仕方ないって感じだった。心無しか、前より綺麗になってたしね。さり気なく彼氏のこと聞いてみたんだけど、まさかぁ、なんてトボけてたのを今も覚えてる。あんな人が、一週間後に自殺するとは思えないね」


「そうでしたか」


 そこで、南川の表情が変わる。少しの間を置くと、国家の一大事を語るような顔つきで口を開いた。


「本当のこと言うとね、あたしゃ芽衣子さんは自殺じゃないと思ってる。誰かに殺されたんじゃないか、そう睨んでいるんだよ」


 その可能性はない。警察も死体をきっちり調べ、自殺と断定している。だが、工藤は話を合わせた。


「殺された? それは穏やかでないですね。では、犯人は誰だと思いますか?」


「ここだけの話だけど、おそらくは芽衣子さんの彼氏だよ」


 どうやら、この南川は思い込みが激しいタイプのようだ。陰謀論者かもしれない。しかし、工藤は否定せず相槌を打つ。


「そうでしたか……」


「若い彼氏は、遊びのつもりで芽衣子さんと付き合っていたんだよ。あの人、そこそこ綺麗な顔してたしね。ところが、芽衣子さんに子供が出来た。堕ろすように言ったけど、あの人の方は産む気満々だった。挙げ句に、結婚を迫られて殺した。これが、あたしの推理だけど……あんた、どう思う?」


 完全に探偵気取りである。それに対し、本物の探偵である工藤は、やんわりとした口調で話題を変えた。


「ちょっと待ってください。今、若い彼氏と仰っていましたね。あなたは、その彼氏さんを見たことがあるのですか?」


『いや、見たことはないよ。でもさ、芽衣子さんの彼氏が若い男なのは間違いない」


 自信たっぷりの口調だ。


「どうしてわかるんです?」


「うーん、上手く言えないけどさ……ひと回りも若い彼氏のいる女って、独特の空気を漂わせてるんだよ。ホストに貢いでるとか、そういうのとはまた違った感じなのさ。何ていうか、口では説明できないけど、とにかく若い男なんだよ。これは賭けてもいいね」


「経験があるようですね」


「そうそう、あたしも昔は年下のバンドマン志望に貢いでて……って、何を言わせんだい。あたしは関係ないだろ。とにかく、芽衣子さんが、付き合ってたのは若い男だよ。これは間違いないんだよ」


「では、その若い男が芽衣子さんを殺した……と、あなたは思っているのですね?」


「そうだよ。何度もいうけどさ、あの幸せそうな芽衣子さんが自殺するなんておかしい。ひょっとしたら、健介くんも殺されたのかもしれないよ。邪魔な親子を殺した……いかにもな話じゃないか」


 そこで、南川の表情が変わる。何か思い出したらしい。


「あっ、そういえば……鈴原さんの家に、変な男が来てたんだよ」


「変な男? どんな人です?」


「背は低いんだけどガッチリしてて、目つきが怖くてね……あと、額のところに大きな傷があった。あれは、一度見たら忘れられない顔だよ。一度、芽衣子さんと話しているところに通りかかったんだけど、なんか健介くんの同級生だとか言ってるのが聞こえたね」


「同級生ですか……ひょっとして、その男が芽衣子さんの彼氏なんですかね?」


 言った途端、南川はかぶりを振った。ついでに、右手も大きく振る。


「いやいやいや、ないない、それはない。有り得ないから」


 言った直後、思いついたことがあったらしい。突然、前に乗り出してきた。


「あっ、でも……もしかしたら、あの男は芽衣子さんに横恋慕したのかもしれないね。あいつ、近所で三回くらい見たから。そうだよ、あいつが殺したのかもしれない」


「三回ですか。となると、偶然ではなさそうですね。その男は、何をしていたんですか?」


「アパートの周りを、ふらふら歩いていたんだよ。もしかしたら、あいつが芽衣子さんを好きになって、ストーカーになっていたのかもしれないよ。ストーカーが相手を殺す……よくある話だからね。あいつなら、人ひとりくらい平気で殺せるよ」


 空想の癖が凄い。やはり、南川は陰謀論者と見て間違いないようだ。暇な時間を、陰謀関連の情報収集に当てているのかもしれない。

 もっとも、今の意見をくだらないと切って捨てる気にはなれなかった。なくもない可能性ではある。まずは、そのストーカーらしき男について調べてみよう。


「わかりました。では、そのあたりも調べてみましょう。今日は、ありがとうございました」


 そう言うと、工藤はカバンから封筒を取り出す。と、南川が身を乗り出してきた。


「ねえ、本当にお土産頼んでいいの?」


 恐る恐る、という感じで聞いてきた。工藤は、笑顔で頷く。


「もちろんです。何十万という額にならない限り、好きなだけ頼んでください」


 答えると、南川はさっそく店員を呼び、メニューを指さしながら次々と注文していく。工藤は苦笑しつつ、その様を見ていた。









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