14.メイド男爵、初心を思い出し、領地・領民を守ることを決意する



「サラ、領地とは貴族だけのものではない。領民と一緒に作り上げていくものなんだよ」


 何年も前のことだ。

 私がまだ幼く、普通の伯爵令嬢だった時代のこと。

 私のパパ上こと父はいつもそんなことを言っていた。


「ほら、ごらん。この時間になると皆が料理の支度を始める。今日も領民たちはご飯にありつけるんだ。こんなに素晴らしいことはないんだよ」


 私の屋敷の裏には、大岩がゴロゴロしている小高い丘があった。

 夕食時になると、私と父はよくそこに赴いて、民家の煙突から立ち上る煙を見ていた。

 それは領民の人々が食事のためにかまどを使っている証だった。


 何の変哲もない風景だけど、それを見守る父の瞳は優しくて私は大好きだった。


 実際、父親は領民のことを思って領地を運営していたのだと思う。


 日照りが続いて不作が続いたら、税金を減らす。

 貧しい人や孤児のために率先して炊き出しを行い、食事をふるまう。

 領民が豊かに暮らせるように灌漑を整え、治安を守る。

 兵士たちを率いて魔物を討伐する。

 そんなことをひっきりなしにやっていたから、うちにはそんなにお金はなかった。


 クマサーン伯爵家はトルカ王国の西の端を治めており、それなりに長い歴史を誇る家柄だ。

 普通に考えたら、ある程度、左団扇で暮らすこともできたのだろう。

 伯爵家ともなれば可愛くて美味しいお菓子に、美しいドレス、それに豪華なお屋敷に溺れることだってできる。

 しかし、私の場合、お菓子は芋や果物がメインだったし、ドレスは母親から受け継いだものだったし、屋敷も質素だった。

 ついでに言うと、メイドも最低限しかいなかったので、私たちだってある程度の家事をやっていたぐらいだ。

 

 貴族だなんて言ったら、笑われてしまうような暮らしかもしれない。

 だけど、領地の治安はよく、餓死者はゼロ。

 領民は父のことを尊敬していた。


 私だって、そんな父のことを尊敬していたのだ。


 ある時までは。




「……お前達、クマサーン家は取り潰しとなった。すまない、私が不甲斐ないばかりに」


 私の社交界での事前披露目、プレデビュタントとかいうのを控えた14歳の誕生日近くのことだ。

 父は顔面蒼白になって帰ってきた。

 そして、彼は言葉少なく、私と母にクマサーン家の終焉を告げるのだった。


 当然、頭の中が真っ白になる私。


「なんでっ!? どうして!?」


 私は叫ぶ。

 どうか悪い冗談であってほしいと願いながら。

 伯爵家は王国の中でも長く続いてきた伝統ある家系だ。

 裕福ではないけれど、領民は飢えることなく暮らしている。

 クマサーン領には飢饉なしと言われていて、それを誇りに思って生きてきたのに。


 いったいどうして領地がとりあげに!?


「私が栄光国との取引で失敗し、負債を作ってしまったのだ。途方もない負債を…」

 

 父は苦々しい表情でそれだけ言うと、あとは首を横に振るだけだった。

 負債を抱えすぎた貴族は家を取り潰しにされるなんて言うことを聞いたこともある。

 しかし、まさかそれが自分の家に起こるなんて。


 父は私を子ども扱いしていたのか、ことの経緯を話してくれはしなかった。

 その態度に余計に腹が立った。

 

 いつも領民のために領主がいるんだなんて言っていたくせに。

 領地を取り上げられたら、貴族でなくなったら、何の意味もないじゃん!


「パパのバカ! 大っ嫌い! 偉そうなことを言ってたくせに!」

 

 泣きながら叫んで、自分の部屋に戻った。

 大嫌いだ、顔も見たくないって。


 今思えば、落ち込んだ父親を非難した私は子供だった。

 ただの世間知らずのお嬢様にしかすぎなかった。


 私は後で知ることになる。

 世の中にはどうにもならないことが沢山あって、父もまたそれに巻き込まれたにしかすぎないってことを。


 もしも神様がいるのなら、時計の針を巻き戻してほしいと願った。

 もう一度、貴族に、領主に戻してほしいと。

 善良な父と母がどうして、そんな目に遭わなければならなかったのか。



 だけど、だけど、だけど。


 現実は変わらない。


 私たち一家は母親の実家へと居候することになるも、意気消沈した父と母は次第に体力を失っていった。


 そんな二人を見るのが辛かったし、世を捨てた没落貴族としてぼんやり日々を過ごすのはやりきれなかった。



 だから、私は決めたのだ。


 家を出て働きに出よう。


 この不条理な世界の中でも手に職をつけて生き抜いてやろう。


 そう思ってメイドの養成所に入ったのだった。

 長くて自慢だった髪の毛はざくっと切ってしまって、お金に変えた。

 

 それは私が十四歳になりたての頃の話。

 

 デビュタントなんていうおめでたい言葉はもう頭の片隅にすら残ってはいなかった。

 

 そして、私は自分にメイド職に適性があることを知る。

 スキル鑑定士のところで王立メイド学院に推薦されると鬼教官からは褒められたし、天職だと思った。

 掃除も洗濯も食事の準備も、何もかもが楽しかった。


 だけど、私の中でくすぶり続けているものがあった。

 メイドの仕事は楽しいし、やりがいはあるけど、だけど、心の中にひっかかるものがあった。


 私は領民思いの父が好きだった。

 その父のもとで、少しずつ発展していく領地を眺めるのが好きだった。

 父のことを尊敬し、慕ってくれる領民の皆さんも好きだった。


 私は父の後を継いで領主になれるものだと固く信じていたし、傲慢な話、いい領主になれると思っていたのだ。


 メイドになったなら基本的には一生メイドだ。

 領主になることなど、叶わない夢である。


 違和感はあったけれど、私は現実を選んだ。

 生きていくことを選んだのだ。


 それでも旧クマサーン領がいくつかの貴族に割譲された噂を聞いた時、私の中の領主という言葉は露と消えた。

 クマサーン領はもうどこにも存在しないのだ。

 あの素晴らしくかっこいい熊のマークの旗も、民家を眺めた小高い丘も、何もかも。


 私の領主生活は始まらなかった。

 

 そう思っていた。

 

 だけど、私の夢は唐突に姿を現した。

 最低最悪なタイミングだったけど。


 私は手に入れたのだ、自分の領地を!

 手を取り合って高めていく領民を!


 朝の光の中、私は背伸びをしてメイド服に着替える。


 そして、鉄格子の窓から外の明るい光を味わうのだ。


 さぁ、この砦を最高に素敵な領地にしてみせるよっ!



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