第3章 メイド男爵、ドラゴンと対峙する

13.王兄殿下、めっちゃ怒られるも、怪しい人物が近づいてきましたよ


「兄上、メイドに砦を任せて撤退するなど、ありえませんよっ!」


 トルカ王国の女王、シュトレインは声を張り上げた。

 

 それは彼女の兄のスウォルツがしでかした、とんでもない出来事が原因だった。

 

 さかのぼること、数日前。

 スウォルツは国境の視察と称して、辺境の砦を訪れた。

 実際の話、その目的は愛人とバカンスを過ごすためという、全くもって軽薄な目的だった。


 次の日の朝、見張りの兵が森の異変に気づく。

 モンスターが大量発生し、こちらに向かってくる気配があるというのだ。


 これに恐れをなしたのはスウォルツその人である。

 そもそも、危険な辺境への旅だったにもかかわらず、アバンチュールの邪魔だと、連れて行った守護兵はわずかなものだった。


 結果、彼は一切戦うことをせず、全ての兵士を連れて逃げ帰ってしまう。

 たった一人のメイドを残して。


 非戦闘員のメイドを最前線に置いてけぼりにするなど、言語道断であり、騎士道どころか人道にさえもとる行為である。

 

 このことが国民に知られれば、スウォルツどころか王室までが笑われてしまう。


「兄上、あなたには王族としての自覚がないのですか!?」


 シュトレインは相手が兄であっても、毅然とした態度でしっ責する。


「だがな、シュトレインよ。あのメイドは言ったのだ。『私にこの砦をお任せください! クマサーン家の意地を見せてやります』と」


 当のスウォルツはどこ吹く風の様子で弁明をする。

 いわく、メイドが勝手に砦を守らせてくれと言ったとのこと。


「だから私も言ったのだ。『その意気やよし。お前に男爵の地位を与えよう。そして、この砦を守るように』と。まぁ、正直、私も勝てるとは思わなかったが、メイドが言い出したのだ。私の責任ではない」

 

 スウォルツは自分の行動はすべてメイドのことを慮ってのことであると力説する。


 これらの話、もちろん、全て噓である。

 嘘であるが、彼の配下には口裏合わせをしていた。

 そのため、メイドがそのように申し出たというのは「本当のこと」として扱われているのだ。


「し、しかし、です。よりにもよって、あの家の娘を男爵にするなど……」


 シュトレインは眉間にしわを寄せて、はぁと溜息をつく。

 彼女はメイドの出自に心当たりがあったのだ。


 砦に一人残された哀れなメイドは、クマサーン伯爵家という、数年前に取り潰しになった家の娘だったからだ。

 クマサーン伯爵家は長年、国に貢献してきた貴族であったが、隣国の栄光国との取引に失敗し、多額の損失を計上。

 結果、領地を借金のかたに取り上げられてしまい、爵位を剥奪されることとなった。

 クマサーン伯爵家の旧領地は、複数の貴族によって分割統治されている。


 それは先王が病に伏せていた混乱期の出来事である。

 このクマサーン家の取り潰しには色々と不明な点が多く、未だに陰謀なのではないかとささやかれることもある。

 女王が調べた範囲によると、伯爵家の面々は散り散りとなり、当主とその夫人は早々に亡くなり、一人娘はメイドとして奉公に出ていたという。

 おそらくはもう生きてはいないであろうそのメイドに、女王は運命の残酷さを感じる。

 


「とにかく、今回の失態は王室の尊厳と威信を低下させることにも繋がります。本来であれば王室の騎士団を出したいところですが、砦は兄上の軍を使って取り戻すように、お願いします」


 女王は咳払いをすると、スウォルツに鋭い視線を送る。

 その瞳は力強く、例え兄が相手であっても甘い判断はできないことを示していた。


「ぐ、了解した……」


 スウォルツはカツカツと足音を立てて王宮を出ていく。

 彼の頭の中には、自分の妹である女王シュトレインへの罵詈雑言が渦巻いていた。



◇ 


「スウォルツ様、ロンド伯爵がいらしておりますが、いかがいたしましょうか?」


 自分の屋敷に戻ると、彼のもとに部下が知らせをもって現れる。


 スウォルツは王族、それも現国王の兄だ。

 通常、予約のない客は追い返すのが通例である。

 

 しかし、相手はジュピター・ロンド伯爵だった。


 ロンド伯爵家は新興ながら、近年、力をつけてきている勢力だ。

 特に、現当主のジュピター・ロンドが跡を継いでからというもの、その勢いは貴族の間で話題になっていた。

 ロンド伯爵家は貴族の後ろ盾が欲しいスウォルツにとっては欠かすことのできない勢力だ。

 様々な計算の後、王兄はロンド伯爵を部屋へと通すことにした。


「スウォルツ様、お久しぶりにございます」


 執務室に現れたのは、ジュピター・ロンド伯爵。

 豪奢な衣服に身を包んだ美少女である。


 輝くような青い髪に大きな瞳。

 可憐な外見をしているが、それだけで侮ってはいけない。

 彼女の瞳の奥には鷹のような鋭い光が備わっていた。


「この度は大変な目に逢われたと聞いておりますっ。今、国境の砦付近はモンスターに占領されていると! なんといたわしいことでしょう!」


 形式的な挨拶もそこそこに、ロンド伯爵はスウォルツの今回の事件を話題にする。


 スウォルツにとって、その事件は決して面白いものではない。

 正直言うと、話題にすら出してほしくない出来事である。


「スウォルツ様のお命に別条がなかったことだけが救いです! あぁ、よかった」


 しかし、ロンド伯爵の口調に王兄を責める様子はない。

 それどころか、スウォルツを励ますような素振りさえ見て取れる。

 それを受けて、スウォルツの心はどんどん軽くなっていく。

 もっともスウォルツが美人に弱いだけ、という可能性も大いにあったが。


「全く、女王陛下もお人が悪いですよねっ。危険な場所を攻め込んで取り戻せなんて、スウォルツ様のような高貴な身分のお方へのお言葉とは思えませんっ」

 

 ロンド伯爵はスウォルツが砦を奪還するために動かなければならないことも知っていた。

 その瞳は涙でうるみ、王兄のことを本気で心配しているかのようである。


 事実、王兄は「この娘、自分のことを好きなのでは?」と勘違いしそうになる。

 もちろん、好きなはずがない。

 断じて、ない。

 

「それでぇ、スウォルツ様、折り入ってご相談なのですがっ、例の砦のモンスターを私めに掃討させて頂けないでしょうか」


「ロンド伯爵に?」


「えぇ、私、万死の森の調査が趣味でしてっ、今度、栄光国と共同調査を行う予定があるんです。掃討後は数か月ほど砦を使わせて頂くとありがたいのですが」


 ロンド伯爵から提案されたのは願ってもみないものだった。

 なんせ自分たちの代わりに砦を取り戻してくれるというからである。


 スウォルツは意気地のない男で、いくら女王に責められようとモンスターと戦いたくはない。

 また、そんな彼の率いる軍隊は訓練が足らず、弱兵ぞろいだった。


 一方のロンド伯爵家と言えば、モンスター討伐で名を上げるほど強い軍団を有することで知られる。

 特にここ数年の活躍は目覚ましく、王国の守り神とも言われるほどだ。


 精強であることで知られるロンド伯爵の軍隊が動いてくれるというのなら、これほど頼もしいものはない。

 また、彼女の言う栄光国というのは、トルカ王国の北に位置する大国のことだ。

 ちょうど万死の森を挟んだ位置にあり、共同調査を行うというのも自然な話だった。

 


「いいだろう。許可を与える。ぜひ、やってくれたまえ! あの砦にはもう誰もおるまい、好きに使ってくれ」


 スウォルツは二つ返事で、提案を受け入れることにした。

 見返りとして彼女が示した、数か月の滞在許可というのも不自然ではない。

 もっともそんな期間をかけてまで調査をすべきものが現地にあるとは思えなかったが。


「スウォルツ様、ありがとうございますっ! さすがは聡明さで知られる偉大なるお方!」


 スウォルツの言葉にロンド伯爵は満面の笑みで喜びを示し、彼の手をぎゅっと握りしめる。

 未婚のロンド伯爵がこのような真似をするのは、はしたないと言える。

 しかし、ロンド伯爵は使えるものはなんだって使う女である。

 野望のためには王兄の手を取ることなど朝飯前なのだった。


「スウォルツ様、私たちは常にあなた様の味方です。不当な遺言で王位から外されたこと、心ある貴族はみんな不服に思っておりますよ」


 それから彼女はスウォルツの耳元に近づくと小声で伝える。

 甘ったるいような吐息とあいまって、それはスウォルツの脳に直接響く。


「お、おぉ……!」


 ロンド伯爵の言葉はスウォルツにとって、最も聞きだしたい言葉だった。

 スウォルツは先王の遺言によって、王位を妹へと譲らなければならなかったのだ。

 誰もが王位継承者であると自分を認めていたのに、一晩にして覆った。

 一晩にして、大勢の貴族が自分から離れていった。


 君主になると育てられてきたのに、妹の配下となってしまった。


 その時の屈辱をスウォルツは忘れてはいない。


 そして、もしものことがあれば、妹に成り代わって自分が王位について見せるのだという野望さえ、彼は持っていたのだ。


「ふふふ、それはありがたいことだ。ロンド伯爵、頼りにしているぞ」


 スウォルツはロンド伯爵とがっちりと握手をかわす。

 その握手が国を左右する事態につながるなど、スウォルツはまだ知らない。


 スウォルツはその後、お茶でもどうだとロンド伯爵を誘うのだが、彼女は残念そうな顔をして、その場を離れる旨を伝える。

 それでも、美人で聡明で有能な人物が自分を支えてくれると、王兄スウォルツはつい笑顔になってしまうのだった。




「王兄様はオッケーだって! うふふ、ちょろいちょろい!」


 王兄の屋敷から出たジュピター・ロンド伯爵は馬車の中で上機嫌だ。

 その笑顔を見るだけで、多くの男性は勇気をもらえるだろう。

 しかし、彼女は腹に野望を携えていた。

 王兄への申し出もただの善意ではないことも明らかだった。


「伯爵様、先ほど入って来た情報によりますと、王兄様は砦にメイドを一人残していったとのことです!」


 屋敷に着くなり部下の一人が追加の情報を持ってくる。

 それは王兄の臆病さゆえに砦に置いてけぼりにされた哀れな少女についての話だった。

 

「ふん、そんなの死んでるに決まってるじゃない。ゴブリンとかのエサにされて、髪の毛一本残ってないわよ。あ、うちのドラゴンちゃんに食べられたかもしれないけど」


 ジュピターは美しい顔を少し歪めて、くすくすと笑う。

 その笑みは明らかにサディストのものであり、部下は血の気が引いていくのを感じる。


「メイドなんかどうでもいいから、次は栄光国に行くわよ」


 メイドの話を早々に切り上げ、ジュピターは次の予定を部下に伝える。

 それは先ほどの王兄との話題にも出てきた栄光国に赴き、「とある提案」をすることだ。

 ジュピターは自分の描く未来予想図が着実に完成に近づいているのを感じるのだった。


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