第2話 過保護ですよね
「厚芝守希です、急に押しかけちゃってすみません、お世話になります!えと、フリーのライターやってます。家事は一通りできるので、お手伝いできることがあれば言ってください!」
守希がひとしきりはしゃいだ後、居住まいを正して自己紹介をしていた。ハキハキとした明る声が事務所に響く。和太がおう、とそっけなく返すと、その後ろから幸喜が呆れたように先輩、と声を掛けた。
幸喜に窘められた和太は、そう言えば守希とは初対面になるのか、と頭を掻く。会ったことがある相手が初対面というのはどうにもやり辛いな、などと考えながら、ばつが悪そうにひとつ咳払いをし、改めて口を開いた。
「あー、すまん。波木和太だ、ここで探偵やってる。まあ狭いとこだが、好きに使ってくれていいからよ。ここの事は、幸喜に聞いてくれ」
簡単に自己紹介を済ませると、和太は幸喜に目配せをする。幸喜は満足そうに一層目を細めにっこりと微笑むと、続いて自己紹介を始めた。
「平和島幸喜です。先輩のお世話や、仕事の手伝いをさせてもらってます。苗字は長いですし、幸喜と呼んでください。よろしくお願いしますね」
「音蒔司、羽星署で巡査をやってるわ。よろしくね」
幸喜に続いて、司がコーヒー片手に簡潔に。三者三様の自己紹介が終わると、幸喜がそれではお部屋にご案内しますね、と言ってまた微笑んだ。
丁寧にこちらです、と手で指す姿は、さながらホテルマンのよう。にこやかなホテルマンは、2人が立ち上がり荷物を持つのを見て歩き出そうとするが、あっ、という声と共にその足ははたと止まった。
「先輩、そういえば寝具足りないですよ。ソファーベッドが1台だけ空いてますが……」
どうしましょう、と、困った顔で振り向く幸喜。和太も失念していたようで、あー、と声を漏らす。そもそも和太としてはこの事務所に複数人が泊まる事など想定していない。
司であれば床でも寝るから良いと言い出してもおかしくないが、などという考えが頭を過ぎるも、それでも一応女性相手にじゃあ床で寝ろと言うのは憚られる。ある物でどうにかするしかないが、となるとーー
「僕のベッドなら空けられますけど、良かったら使われますか?」
幸喜がそう提案をした。
和太も同じことに思い至ったが、幸喜のベッドの方が綺麗にしてあるしそっちの方が良いか、と言い損なったままにした。とはいえ、それはそれでまたひとつ問題がある。
なんでもいいけどね、床でも寝るし、などと言っている司と、いやいやいやいや!そんなの悪いです!と手と首をぶんぶんと横に振る守希。
和太は司に対し本当に言いやがったこいつ、と思いながら、横に立つ幸喜に尋ねる。
「いいけどよ、お前どうすんだ?」
呆れたような声の和太に、幸喜は苦笑いを浮かべながら、困った様にそうですよね、と返す。幸喜の事だからソファーで寝るとでも言い出すだろうし、その時はベッドを使わせて自分がソファーで寝るか、などと和太が考えて、コーヒーをひと口啜っていた矢先、
「そうだ。先輩、一緒に寝ましょうか?」
幸喜から予想外の一言が発せられた。和太がんぐふっ、とむせ、口元を抑えて咳き込む。にこにこしている幸喜をこの野郎、と言わんばかりに睨んだ和太は、息が落ち着くのを待って、そうだじゃねえよ、とため息をつく。
「野郎と一緒のベッドで寝るとかどんな拷問だよ……ったく、俺はソファーで寝るから、お前ベッド使え」
あはは、冗談です。と、してやったりという様子で楽しそうに笑う幸喜。
「大丈夫ですよ。僕がソファーで寝ますから、先輩は気にしないでください」
ただ和太の提案に対しては、ありがとうございます、と言いながらやんわり断った。
そこからいやいや、いえいえ、と。堂々巡りの譲り合いを展開する2人。お互いがお互いを大事に思っているからこそ、一度こういう事になると話がまとまらないのはままあることだった。
ただ大抵は幸喜が折れて、分かりましたよ、という幕引きになるのだが、今回はどうも話が終わらない。
「はぁ、仲のよろしいことで。ほんと気にしなくていいわよ、私慣れてるし」
「いや、あの、朝起きたらリビングで倒れてんのホントやめようね司姉……」
終わりが見えず、少しずつヒートアップしていく譲り合いを眺めながらため息をつく司に、隣の守希が呆れ顔でツッコミを入れていると、そこで。
「うるせぇ。いいからお前はちゃんと寝ろ」
和太がにわかに語気を強めた。途端に事務所内が静まり返り、3人が驚いた様子で和太に視線を送る。
まずったな、と思いのほか大きくなってしまった声を悔いつつ、和太は誤魔化すようにコーヒーカップに手を伸ばし、口元に運ぶ。幸喜は顎に手を当て、少しだけんー、と考えるような素振りを見せると、口を尖らせて。
「なんか先輩、ここ最近過保護ですよね」
と、彼にしては珍しく、不満そうに呟いた。
それを聞いた和太の体がピクッと強張り、口元からごふっと音が漏れる。それと同時に向かい側に座る司が、口を結んでふいっと横を向いた。
幸喜は続けて、心配してくれるのは嬉しいんですけど、と前置きした上で、
「いいですか?毎日あちこち動き回って疲れてるのは先輩の方でしょう?生活リズムだって僕の方がちゃんとしてますし、第一忙しいってなると朝も昼もろくに食べなかったりするじゃないですか。休みの日だって、僕が用意出来ずに出掛けたりしたらカップ麺とかレトルトとかそんなのばっかり。僕も僕で先輩の事心配してるんですよ?」
少し眉間にしわを寄せながら、ここぞとばかりに捲し立てた。
助手からの耳が痛くなる指摘に、そこまで言わなくても、と和太が体裁悪そうにしていると、向かいのソファーから、くくっ、という声がする。
和太が声の方を見ると、苦笑いをしている守希の横で、顔をそらし口に手を当てて、ぷるぷると身体を震わせる司の姿があった。
「……おいおめぇ、笑ってんじゃねえよ」
顔を強張らせ、恨めしそうな様子で呟く和太。それを聞き、ぷふっ、くくく、ふふふっ、と耐え切れず堰を切ったように吹き出す司。
隣で苦笑いしている守希が小声で呟いた、その上お酒飲んで床で寝るし朝起きない人も居るんだけどねー……という声も耳に届くことなく、一度出た笑いはなかなか引っ込まない。
「くっ、ふふっ、形無しね、波木さん、ふふふふっ」
喋る間にも笑いを堪えられないという様子の司。その横で守希が、今の話を司と重ねて苦笑いしているとも知らず。
「おい幸喜、いいからさっさと部屋案内してやれ」
和太は恥ずかしさを誤魔化すように舌打ちをすると、そっぽを向いてしまう。
幸喜はまた小さく笑って、はい、と朗らかに返事をし、ではこちらです、と改めて手で指して歩き出すと、応接室のドアを開け、2人を待つように立ち止まる。
2人も立ち上がって荷物を持ち、幸喜の後ろをついて応接室を出た。
パタン、と閉まるドア。1人残った和太はドアの方を一瞥すると、なかなか飲むに至らなかった残りのコーヒーを飲み干し、何かを考えるように数瞬目を伏せた後、煙草に火をつけるのだった。
「……過保護、ねぇ」
ため息交じりにふぅ、と煙草の煙を吐き、自嘲気味に呟く和太。
彼もまた、実害こそ無かったものの、あの事件以来変わってしまった事があった。気にしないようにと思っても、あんな体験をしてしまっては全身の細胞すらそれを許さない。特にこうして当事者達の顔を見ると、嫌が応にも考えてしまう。
ーーーー先輩……ごめんね
声が聞こえる。声が消えない。
バイクの排気音、風を切る音、地鳴り、銃声、悲鳴、破壊音、緊急放送の声。様々な音が錯綜し混沌とした世界で、届かずに掻き消えてさえしまいそうな、背中から聞こえた、弱くか細い声が。
いつまでも耳に、頭に、はっきりと残って、消えないのだ。
ーーーーありがとう
霊憑き病と呼ばれるものに苦しみ、精神を蝕まれて尚、幸喜は自分を先輩と呼び、ごめんね、と。ありがとう、と言った。
一体どんな顔で、どんな気持ちで、そんな事を言ったのか。どれほどの強い意志で、あの言葉を伝えてくれたのか。あんな状況になった時、自分は果たしてあんな事が言えるのだろうか。
それを考える度に、和太の鼓動は大きくなった。
「うるせえよ……馬鹿野郎」
頭に残る声に向けてか、過保護という指摘に対してか、或いはそのどちらにもか。人の気も知らねえで、と、不貞腐れるように小さく吐き捨てた言葉は、共に漏れ出た白煙と共に、誰に届くこともなく消えていった。
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