第18話 乙女走る

ギャハハハハハ!と下品な笑い声が響く。

「最高じゃんこの能力!!」

Sクラスの教室で王様のように振る舞うのは澪標さくらだ。

からたちに潰された鼻は、ミハトの治癒術で治したらしく、今は傷跡ひとつない。

そして、教室にはAクラスの女子の中でも可愛らしい女子が数名、下着姿で立たされていた。

その顔に羞恥の色はない、ただぼうっとした表情とうつろな目で突っ立っている。

「サイッテー……」

完全に洗脳にかかっていない薄雲蓮華が涙目で睨みつける。

それでも彼女も逆らえないようで、悔しそうに唇を噛み締める。

本来ならさくらの顎が割れるまで殴りつづけたいぐらいだが、体が動かない。

それどころか、「さくらだから許してあげなきゃ」と訳の分からない感情さえ湧いている。

「イヤイヤ、全裸にしてないだけ、俺優しいよ?なんなら今ここでパンツ脱げって言ってもいいからな?」

「死ね、死ね死ね死ね!!!」

蓮華の罵倒にも、ケラケラとさくらは笑うだけだ。

わざと蓮華は感情を残している。悔しがる顔でさくらの嗜虐心を満たすためだ。

「えっぐいなー。からたちの能力。魅了ってか、ほぼ洗脳じゃん」

さくらの異能『模倣』でからたちの能力を写し取った。これでちょっと女子生徒を魅了できればいいなと思っていた程度だったが、橋姫の『増幅』も手伝ってか、相対した女子はほぼさくらの言うことならなんでも聞くし答えるお人形になってしまった。

お人形といえば、あの篝火だ。

あの糸目デブの仲間だとあっさり吐いたのは、笑ってしまった。

異能の実験としてちょっと強めにかけたら、壊れそうになっていた。

捨てるついでに、罰としてあのデブとその仲間たちを倒してこいとは言ったが、さてどうなることか。


「そうだ、蓮華」


穢らわしいとしか言いようのない笑顔で、さくらが蓮華を見る。


「シコンサマの相手してこいよ」


ーーーーー



「この騒ぎでも他の駒どもは潜伏する気のようだな。」

さくらの脱落を予想して傍観を決め込むつもりか、と、紫紺は舌打ちをする。

「篝火さんには、洗脳に近いような異能を使った形跡がありました。」

百多郎が声を上げる。そんな異能をここまで派手に使ってしまうなんて。

「これだけ能力でやらかしたら、封印処分ものですぞ」

異能封印。能力者が異能をコントロールできない、もしくは危険と管理局が判断した場合。

能力を使えないよう『管理』そして場合によっては『処理』される。

「もちろん、澪標がどうなろうとどうでもいい。問題は俺たちの評価に影響が出ると言うことだ」

これだけの騒ぎを起こした一人の少年の能力に、選ばれた異能持ちの生徒全員が手が出せなかった。それは、全員が澪標に対抗できなかった、劣っていた、と言う評価となる。

「俺たち全員が、澪標の異能を過大評価するための、かませ犬になりかねん」

全く腹立たしいと、紫紺はもはや苛つきを隠さない。

「そこまで評価されてしまえば、澪標を庇う上層部も出てくるだろう」

澪標の能力を利用できると、判断する大人たちは必ずいる。

「ここで僕らが、この騒ぎを鎮圧すれば、『澪標の過大評価』も抑えられるということですな?」

そこまで理解しているも、百多郎は大きなため息をつく。

「あとは、後で女子から恨まれないかが心配ですなぁ」

そう呟いた側から、支配された女子生徒が物陰から飛びかかってくる。

その顎を、頬を、鳩尾を、要の「見えざる6つの手」が少しばかり容赦しながら殴り飛ばす。

「悪いのは、こんな騒ぎを起こしている澪標ですよ。見つけ次第肋骨を全て折りましょう」

「そのめちゃくちゃ骨を折りたがるの何ですぞ!?」

何が怖いって、怒っている紫紺に対して、要はニコニコ笑顔なのだ。

それはもう、キラキラとした満面の笑顔である。

「いいですか?百多郎君」

その整った笑顔で、彼は諭すように優しく、穏やかに語る。


「自分はあの吐瀉物のような彼に対してずぅぅぅぅぅっと怒っていました」

「吐瀉物!?」

「紫紺様のために我慢していただけです。いやーここまで騒ぎを起こしてくれれば鎖骨肋骨肩甲骨は壊してもいいでしょう」

晴々としたとしか言いようのない、要はとてもとてもいい笑顔だった。

「ふふふ、彼のケツをドラムロールしてやりますよ。太鼓持ちらしくね!!!」

かつてそう呼ばれたことを根に持っていたらしい。

太鼓持ちってドラムロールするもんだっけ?と紫紺も百太郎も思ったが怖くて何も言えなかった。


ふと、紫紺は自分たちの目の前の人物に気づく。

「先に行け」

要はなぜ、と言いたげな顔を一瞬するが、立ち塞がる人物を見て、あぁ、と納得する。

「手加減間違えて怪我しないでくださいよ。つづみ様に泣かれます」

目の前に立ち塞がるように向かってくるのは、下着姿の薄雲だった。

その表情は羞恥と怒りで泣きそうな目で顔は真っ赤だ。

おそらく、紫紺を直接妨害するよう命令されたのだろう。そして、薄雲との戦闘で対等に渡り合えるのはこの三人の中では紫紺ぐらいだ。下着姿なのは、きっと薄雲への辱めだろう。

「行け」

紫紺の言葉に二人は薄雲を無視して走って進む。

なるべく見ないようにしてくれたのが、操られ、ふわふわと意識が混濁する蓮華にもわかった。

「来い、薄雲」

悲痛な呻き声を上げる蓮華に、紫紺は、哀れむように声をかける。

なるべく、人の目につかない場所をと周囲を見渡す。

近くに美術室があったな、あそこならまだ誰もいないはずだと紫紺はそちらに向かう。

「待ちなさい!!」

逃げたと思ったのか、悔しそうな声をあげて蓮華が追う。

美術室の前までくると施錠された扉の鍵を焼き溶かし、紫紺は力づくで蹴り飛ばして中に入る。

『蓬生家に請求来るだろうな』

と、つい先日家庭科室の鍵も壊したことも思い出す。

「あああああ!!!」

ついてきた蓮華。その蹴りが、近くにあった机を叩き割った。

「うっ、ううう!逃げなさいよ!バカじゃないのこんな場所に!あんた私に殺されたいの!?止められないのよ!見ないで!見ないでよ!!!」

下着姿で紫紺を殴ってこいとでも命令されたのだろう。品性下劣なさくらが考えそうな事だ。

「わかっている。薄雲蓮華。逆らえないんだろう?」

紫紺は正面から蓮華を見据える。

「大丈夫だ。後で澪標も気が済むまで殴らせてやる」

それは、絶対に復讐させてやるということだった。

「骨の一つや二つ、くれてやるから気にするな」

強烈な蓮華の蹴りを受けつつ、紫紺はそう断言する。

「ばか!バカじゃないの!?バカ!!!」

どうにか紫紺への攻撃をそらそうと支配に反抗して、近くにあった石膏像を殴り、粉々にする蓮華。

「私に反撃しない気!?死んでも知らないからね!?」

「死にはしない」

だから、と、紫紺は続ける。

「悪いのは澪標だ。気にすることは何もない」

再度、蓮華の蹴りを受ける紫紺。身体強化で硬化した体でも臓腑が震える威力だ。

いつぞやの訓練人形とは比較にならない。

それでも、紫紺は、彼女の目をまっすぐに見据える。

女とは見ていない。弱者とも見ていない。ただ、『薄雲蓮華』を見ている目だ。

「こちらとしてもいい訓練だ」

それは、彼女の人生を、努力を、研鑽けんさんされた技術を賞賛していた。

元々、彼女には小さいながらもライバル意識もあった。紫紺はまたとない機会だと思うことにする。

「ははっ」

蓮華は呆れたように、しかし少しだけ楽しそうに笑った。

「そんなに言うんなら耐えなさいよね!蓬生紫紺!!」

魅了された頭は『さくらのために紫紺を痛めつけろ』と響く。

その一方で心が叫ぶ『決して壊すな』と。それは薄雲蓮華のプライドだ。


紫紺はふぅ、と息を吐いて覚悟を決める。

『つづみが来るまで耐えねば』

許嫁は、きっと自分に会いに来るだろう。予知を使って、最善の方法をとってくれるはずだ。


ーーーーー


「今!!!紫紺様がつづみ愛してる会いたいって!思ってますわ!」

「あらそう」

つづみの絶叫に、極めて冷静に桐子が返す。

ようやく学園についたが、なるほど、本来なら授業中で静かなはずだろうに、そこらじゅうから悲鳴や怒声が聞こえる。

「おそらく教師陣が暴れている生徒を抑えているのでしょう」

生徒に対し、教師の数が足りないのだろう。それもそうだ。この学園でまさか生徒が異能を使って大集団で騒ぎを起こすなんて想定はされていない。

「お義母様」

つづみは運転席の桐子に改まって頭を下げる。

「此度は有難うございます。このつづみ、紫紺様のためにも此度の騒動、必ずや蓬生家の利にいたしますわ。吉報をお待ちください」

「つづみさん」

桐子が静かに答える。

「私は、蓬生家の利よりも、紫紺と貴女が健やかに過ごしてくれるならそれが一番なの」

小さな頃から息子と面倒を見てきた可愛い娘だ。情は間違いなくある。

「だから、蓬生家のことなんて、優先しなくていいのよ」

当主の妻としては許されない回答だろう。

それでも、この異能に振り回された少女にはただ幸せになってほしいと、桐子は素直に思った。


「はい、言質取りました!!!それならお義母様も学園に行ってもらいますわ!」

先ほどのしおらしい態度が嘘のように、意気揚々と話すつづみ。

うーん、この強かさ。紫紺の嫁に欲しい。と、桐子は表情を変えずに思う。

「まさか『現当主の妻』が『学生同士の騒ぎ』に巻き込まれたら『子供のお遊び』じゃすまなくなって『犯人の罪がさらに重くなる』だろうなー!なんて考えてませんことよ!!!」

嬉々として、未来の旦那様の母親を、生贄に捧げる勢いのつづみである。

こういう娘のことを、人は外道と呼ぶ。

「まぁ、とりあえず!『学園側が生徒を管理できていない』と当主奥方が実際目にしたら後々のお話し合いで蓬生家、異能管理局にとって有利になりますわぁ!!!」

それはすなわち、愛しい恋しい紫紺のためになるのだ。

「じゃあ、私は一応関屋さんと合流しておくわ。巻き込まれる準備しなきゃね」

つづみの策に「行けたら行くわ」ぐらいの緩いテンションで乗る桐子。

「ほら!行きますわよからたちさん!!!」

つづみはからたちの腕を引っ張ると、意気揚々として校舎に向かった。

「ど、どこに、行くの?」

からたちは考える。藤袴くんは、彼は、大丈夫だろうか?

彼は優しいからこんな騒ぎでも自分から動いて面倒に巻き込まれているんじゃないだろうか。そんな心配をするからたち。


を、つづみは考慮しない!!一切!!!


「紫紺様の元ですわ!!!」


ーーーーー


ふと、音が聞こえにくい事に気づいた。あぁ、鼓膜をやられたか、と紫紺がぼんやりと考える。右か左か、どちらかまでは判断がつかない。


薄雲蓮華の攻撃を凌ぎ続けるのは、無理があった。

相手に発火能力で攻撃することもできず、どうにかして自分の身体技術だけで蓮華を止めようとはしたのだが。


「ちょっと、助けを呼ぶなりしなさいよ!!」


蓮華は紫紺の両手を掴んで、壁に押さえつけていた。

これ以上紫紺を殴打しないようにと、さくらの支配に逆らった結果、どうにかこの状態で耐える事になった。

「すまん」

喋るたびに鉄錆の味を感じ、何度も殴られ、クラクラする頭で紫紺は謝罪する。

蓮華にもわかっていた。

紫紺は下着姿の蓮華をなるべく人に見せないよう、一人だけで止めようとしてくれたのだと。

謝るのは蓮華の方なのに、と彼女は血が出るほど自分の唇を噛み締める。


「えぇー、もう、蓮華ちゃんったら!まだ終わってなかったの?」


能天気な声がした。

「はしひめぇぇぇぇ…」

憎悪と怨嗟が混じり合った声で、蓮華はその名を読んだ。

砂糖菓子でできたような可愛らしい少女、橋姫ミハトがとてとてと歩み寄る。

「もう!そのキモイ男をボコボコにしてって言ったじゃない」

ぷんぷんと怒る仕草をするミハトに、射殺す勢いで蓮華が睨みつける。

「あ、なんのために来たとか思ってる?」

ミハトが笑ってスマホのカメラレンズを二人に向けた。

「薄雲家の娘と、蓬生次期当主のスキャンダルだよぉ」

くすくすとミハトが笑う。

「下着姿の蓮華ちゃんと、それを組み敷く男の写真が欲しかったんだけど。まぁいいや。あはは、まるで蓮華ちゃんが男の子襲ってるみたい」

ほら見て、ひどい写真だと、ミハトは可愛らしく笑って見せた。

「覚えてなさいよ……」

あ、そういう事言っちゃう?とミハトはくすくすとわざとらしく笑う。

「脳筋薄雲のお嬢さんったら、橋姫家に楯突くの?いいのかなー?お怪我してるお兄さんの治癒の時に、なんか起きちゃうかもよ」

その脅しに、その顔を潰してやると、蓮華は呪詛じゅそを吐く。

「しーこーんくーん、反撃しないの?できないの?なんだ、意外とよわっちいんだね。

やっぱり一対一だったらさくらが勝ってた!うん!ミハトは間違ってなかった!

紫紺くんなんて、『選ばなくてよかった』!」

自分が正しい、正解したんだと、ミハトは喜びのあまり、両手を広げて、くるくると回る。

「蓬生の縁談がダメになった後。お父様もお姉様も冷たいの。私を役に立たない子だっていうの。全部、全部、紫紺くんのせいだったんだ!」

とんでもない話に紫紺はいつものように眉根を寄せる気力もなく、目を丸くする。

「何を、バカなことを」

紫紺が痛みに耐えながら、訳のわからないことを言うミハトを睨みつける。

「そうだよね、本当にばかな話だよね。じゃあ!なんで私がこんな目にあうのよ!」

紫紺の態度が逆鱗に触れたらしい、ミハトはその小鳥のような声で叫ぶ。

「お母様が蓬生への縁談を持ってきた!あんたみたいな男と結婚なんて死んでも嫌だった!!私がちょっと嫌がったら!そしたら!蓬生家も!あっさり断って!それだけなのに!

何で私が役立たず扱いなの!何で姉様は私を嫌うの!?」

紫紺はふらつきそうになるのをどうにか堪えて、ミハトの話している意味を理解しようと思い出す。

確かに、つづみと婚約を結ぶ前に、橋姫から縁談はあった。

「く、くくく、なんだ、見合い前に逃げ出した娘はお前だったのか」

当日に相手が逃げ出したものだから、見合いが流れた事があった。

橋姫側が全員青い顔をして、こちらに頭を下げていたのを思い出す。

見合いを申し出ていながら、その娘が逃げ出し、泣くほど嫌がっていると知れば、流石に蓬生側だって見合いを止めようと考えるものだ。

「っははは、そうか、お前が逃げたから、俺はつづみと結婚できるのか」

元々、蓬生側ではつづみを本家に迎え入れる予定はしていた。

紫檀の養女として迎え入れるか、紫紺の妻とするか。

つづみと紫紺の仲の良さから、後者で進めようかという時に、懇意にしている橋姫家からの見合い話である。

むげに断る事できず、仕方なしに見合いに臨めば、あのザマである。

蓬生側としてはこちらに非もなく断れたのだ。ミハトには感謝しかない。


が、ミハト側はそうではなかったようだ。


「そうだよね、私が逃げたからつづみちゃんが生贄になっちゃった」

とってもとってもとーってもかわいそうなつづみちゃん。と、ミハトは続ける。

「つづみちゃん、こんな男と婚約させられて、好きだって思いこんじゃって。知ってるよ。ずぅっと蓬生のお家に閉じ込めてたんでしょう?最低だね」

ミハトが軽蔑した目で、紫紺を嘲笑う。

「他の男がいなければ、つづみちゃんが自分を好きでいてくれると思った?自分だけがつづみちゃんの味方だと、理解者だと思ったの?」

ホントに気持ち悪い、とミハトは笑いながら吐き捨てる。

「そうだな」

紫紺は初めて、泣きそうな顔で笑った。

つづみは本当に俺が好きなのか。俺がたまたま、ずっと、いたからなんじゃないかと、気がついたら疑っている。

つづみを信じきれないのは、自分の弱さだ。

あんなに大好きだと言ってもらっているのに、いつだって不安で、言い訳を用意している。

都合のいい話だ。自分はつづみを疑っているくせに。

「俺が、つづみの側にいたいだけなんだ」

今、つづみがいないからこそ、紫紺は素直にそう笑って、言う事ができた。


純粋な紫紺の言葉に、ミハトはカッと怒りで顔を赤くする。

こいつはいつもそうだ。つづみちゃんだけを見て、つづみちゃんを大事にして、幸せそうに。

何で!何で私が選ばなかったお前が!幸せそうなんだ!!

私に選ばれなかったんだ!私より!幸せになるなんて!不公平じゃないか!!


それは、もしかしたら、つづみの場所には『自分』がいたんじゃないかという、小さな小さな後悔。

あの日、見合いから逃げ出さなければ

自分は大事されて、愛されて、蓬生家からも橋姫家も『愛してもらえた』んじゃないかというどうしようもない、逆恨み。


その妄想を、後悔を、ミハトはかき消すように怒りに任せて叫ぶ。


「貴方みたいな男、誰も好きにーーー」


ミハトが最後まで言う事は叶わなかった。

なぜならその背後から、つづみが、鬼の形相で飛びかかったからだ。

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