第12話 一つ進みましょう
その日の夜、紫紺は一人考え込んでいた。
薄雲蓮華から聞いた『駒比べ』が本当なら、紫紺のような若輩者には口出しできない問題だ。
多くの一族が、苦言を呈すような事態にならねば『駒比べ』は止められないだろう。
いっそ、つづみを大人しくさくら達に協力させるのも考えたが、すぐさまその案を捨てる。
あれだけ恥をかかされて、内心怒っているであろうさくらに、ここでつづみを差し出したら何をされるかわかったものではない。
さて、どうするか。という時に父親から聞いたあの話。
「俺がしゃしゃり出ても問題ないわけか」
例え、紫紺がさくらを戦闘不能にしても『駒比べ』最中の愉快なトラブルとして六条院は見逃すだろう。
他の『駒比べ』の駒に仲間にしてもらう方法も考えたが、誰が駒なのかわからないし、接触すら難しい状況では現実的ではない。そもそも、他の駒たちが準備を終えていたら意味がない。
なら、俺が、さくらを打ちのめし、つづみに手を出すなと約束させるのが一番早いか?
ーーーそこまで考えた時、誰かが部屋に近づいてくる気配がした。
「紫紺様」
いつもの声より、少しかたい声音だったが、つづみだとすぐにわかった。
きっと今夜も添い寝してくれと駄々をこねるのだろう。
「あぁ、今開ける」
断る理由もないと、紫紺はあっさりと襖を開けた。
「夜分、申し訳ありません、その、どうしてもお話したいことがありまして」
今夜はパステルカラーのパジャマではない。
乳白色の寝巻に、手には枕をぬいぐるみのように抱きしめて伏し目がちにこちらを見てくる。
「あの、お部屋に入ってもよろしいですか?」
いつもなら紫紺の部屋を我が物顔で入り込むのだが、どうも様子がおかしい。
「入れ」
周囲の目を気にするように、するりとつづみが部屋に入る。
紫紺は音が鳴らぬように、ゆっくりと襖を閉める。
ーーーこれは、あれか?アレなのか?
前日のような、ふざけた添い寝希望でなく。
あのつづみが緊張して、俺の部屋に来たと言うことは、アレなのだろう。
『若様がつづみ様を抱けば、さくらも諦める』
この間の要の言葉が頭でぐるぐる巡る。
ーーー俺に、抱かれに来たのか!?
紫紺とつづみ、二人は幼いころから過ごしてきた仲である。
婚約した後も、仲睦まじい様子を見せてきていたが、実はまだ接吻すらしていない。
「結婚までは健全な関係を」と言い訳をしてきたが、自分が意気地なしなだけだと紫紺だってわかっている。
『そういうコトがしたくないわけじゃないんだ。ただタイミングが掴めなくて。
やりたいやりたくないの二択ならすっっっごいやりたい!
ただ、準備!心と体の準備!いやもうこれは受け入れるしかないな!
入れるのは俺なんだが!!入れる……入れる場所わかるかなぁ!?』
紫紺は、全身の血液が煮えたかのように体が熱く、自分の息が荒くなるのがわかった。
「紫紺様?」
襖を閉めたまま固まる紫紺を訝しく思ったのか、つづみが声をかける。
「うぉっ!い、いやなんでもない!」
振り向きたいが、ちょっと股間が元気になりかけてしまって振り向けない紫紺であった。
「その、お恥ずかしい話なんですが、紫紺様に見ていただきたくて」
紫紺様、見てください。と袖を引かれる。
覚悟を決めて、紫紺は振り返る。なるべく平静を装って。
「つづみ、頑張りましたの」
つづみの手には紙の束。
恥ずかしそうに内容が印字された『予知の火』の紙の束を差し出すつづみに、紫紺は自分の勘違いを恥じて、膝から崩れ落ちた。
*****
「最近、未来予知の儀式をしていなかったし、できるかどうか不安だったのですが」
つづみは、あのラノベを再度確認する方法がないか色々考えていた。
夢で見るのはあまりにも運任せになる。
あれが澪標さくらを中心とする予言なら、それを強く視るように意識して『予知』できるのでは?と考えた。
そうして、つづみは、儀式と同じように内容を紙に焼き付けることを思いつく。
「残念ながら、ラノベは無理でしたが、明日、私たちに起きる予知はでてきました。」
「……そうか、すごいな」
明らかに元気のなくなった紫紺は、しょんぼりと紙の束を受け取り、内容に目を通す。
パラパラと読み進めるうちに、紫紺の顔がいつものように険しい顔に戻っていく。
明日の朝から予知が記されている。そして、その情報は紫紺がどう動くべきかの指針にもなった。
「つづみ、これを俺以外に見せたか?」
「いえ、紫紺様だけです」
「そうか、良くやった。これは俺が預かる。あと」
紫紺は険しい顔のまま、つづみに忠告する。
「予知する内容を選べるようになった事は、誰にも言うな」
パチリと不安そうなつづみと目が合う。
「……俺はこれを読み込むから寝るのが遅くなる。先に布団に入るか?」
「よろしいのですか?いつもなら自分の部屋に戻れと言うではありませんか」
「いつもならな。枕も持ってきてるし、どうせ寝るつもりだったのだろう?」
「まぁ、そうですけど……」
枕で自分の顔を隠して、恥ずかしそうにするつづみ。
実際、まるで怖い夢を見たから一緒に寝てくれと、子供みたいなことを言いにきたみたいで、つづみは自分を恥ずかしく思っていた。
「そばにいろ」
執着を孕んだその声と言葉に、きょとんとする。
「不安そうな顔のお前を見るのは辛い」
滅多に言ってもらえない類の言葉に我慢できずに、見る見るうちに顔を真っ赤にするつづみ。
「……疲れただろう、もう寝ろ」
「紫紺様のばか、寝れるわけないじゃないですか!」
「そうか、じゃあ起きていろ。明日の朝はお前の『予知の目』を頼ることになるかもしれん」
俺はこれを読んでおくからと、あっさり言う紫紺。
「ばかばか、しぃちゃんのばか」
「しぃちゃん言うな」
「お布団!もう入れてあげませんからね!」
紫紺の布団に勢いをつけて潜りこみ、亀のように丸まるつづみ。
「俺の布団なんだが」
布団を奪われた紫紺は諦めて近くに座り込み、物語を読み進めるのであった。
*****
ーーー朝の登校。いつものように彼は教室に向かってた。
片手にはスマートフォン、お気に入りのゲームをちょっとだけ起動して、アイテム回収に夢中になっていると。
「歩きスマホ危ないよっと、やほやほー藤袴くん」
「か、篝火さん」
藤袴百多郎は呼びかけられたことに、目に見てわかるほど狼狽えていた。
スマホの画面を見せないように、慌てて胸元に引きよせる。
「なんだいなんだい、そんな熊にあったみたいに驚かなくても」
「あ、あのね、ミハトたちちょっとお話ししたいだけなの」
巴の後ろから可愛らしい少女が顔を覗かせる。
「な、なんのようですかな?」
周囲の目を気にしつつ、百多郎が嫌そうに返事をする。
「ここじゃなんだから、移動しよっか!」
「家庭科室、むつむちゃんに開けて貰ってるからそこでお茶しよう!」
ウサギのように飛び跳ねて喜ぶミハトに対して、百多郎はスマホを乱暴にポケットに押し込み、「いや、教室にいかないと」と逃げようとする。
「大丈夫!むつむちゃんがそこは上手く話してくれるから!」
「だってさ。ほら、悪い話じゃないから!」
ぷくぷくした百多郎の手を二人の少女が握って懇願してくる。百多郎は否応なしに引っ張られてしまった。
「藤袴さんに助けてほしいの!!」
ミハトのお願いは直球だった。
『駒比べ』という異能者同士の腕比べ。
それに参加しているさくらはどうしても、蓬生つづみを仲間にしたいのだという。
「さくらを中心にしてね。私と蓮華ちゃんと巴ちゃん。それにつづみちゃんが仲間になれば揃うの。藤袴くんには、つづみちゃんとあの人を引き離すお手伝いだけしてくれればいいから!」
「あの人?」
「ほら!あのこわーい顔した人!」
言わなくてもわかるでしょ!?とミハトが頬を膨らませる。
「あぁ、紫紺くんですか。その、あの二人を引き離さないで、きょ、協力だけお願いすればいいのでは?」
「それはだめ」
めっ、とミハトが再度頬を膨らませる。
「あの人はとにかくつづみちゃんから離すべきだよ。ほんとサイテーな人なんだから!」
嫌悪感たっぷりに、ミハトは吐き捨てた。
「さくらがね、女の子をたくさん集めるのはいいの。
つづみちゃんはさくらのものになるんだから、さくらだけを考えてもらわなきゃ」
「……は?」
「ミハトはね、さくらの良さをつづみちゃんにもわかってほしいの。ほら、みんなで分け合うと、みんな幸せでしょう?」
とってもいいことをしていると、信じて疑っていない目だった。
百多郎の額に冷や汗が浮かぶ。助けを求めるようにチラリと巴を見るが、彼女は困ったように微笑むだけだ。
「藤袴くんにも悪い話じゃないよ!ミハトね。お薬作るのとっても得意なの。
だから、藤袴くんの異能をより目覚めさせるお薬や、気になる女の子の気をひくお薬だって作れちゃうよ!!」
「し、しかし、それは困りますぞ」
僕に紫紺くんを裏切るなんてできそうにないです。と泣きそうな声で断ると、その場から逃げ出そうとする。
「ダメダメ」
家庭科室にあらかじめ潜めていたのだろう。巴の操作する訓練人形が出入り口に立ち塞がる。
「もー、素直じゃないんだから」
またもや可愛らしく、ぷぅと頬を膨らませるミハト
「じゃあ、こうしよう。さくらが『駒比べ』に勝てば、ううん、『駒比べ』の間はさくらに女の子を貸してもらえるようにしよう!」
「……はぁ?」
「うん、うまく行けば、からたちちゃんは譲ってくれるかも!ね、これならどぉ?」
まるで、おもちゃを譲るかのようにとんでもないことを言い出すミハト。
「何を、言ってるんですか?」
「えー、だって、君こうでもしないと女の子と接点なんてないでしょ?
大丈夫!さくらは優しいからそういうのちゃーんとわかってくれるよ」
百多郎にはもはや、ミハトが何を言っているかわからない。
にこにこといつもの可愛らしい笑顔で、こちらの返事を待っている。
その笑顔に、気味悪さしか感じない。
明らかにおかしな言動をするミハトに、それを止めない巴。
「嫌です」
百多郎は嫌悪感を隠しもせず、ミハトに首を振ってみせた。
ミハトのぱっちりとした目が、さらに驚きで見開かれる。
「なんでぇ?とってもとってもイイ話なのに?」
帚木さんをモノ扱いしておいて、と侮蔑と怒りを飲み込み、百多郎は卑屈な笑みを浮かべる。
「……藤袴の人間として判断しても、僕個人としても、澪標君に付く利はないですからね」
「じゃあ、蓬生には付く利点があるのかなぁ?」
「……まぁ」
百多郎はすっとぼけた顔を作って答える。。
「紫紺君は、澪標君より優れてると判断します」
ミハトの顔が一瞬で怒りの形相に変わる。
「巴」
うって変わって冷たい声で隣の巴に声を掛ける。
と、同時に百多郎の身体が激痛と共に壁に叩きつけられた。
篝火家の人形にそのまま首根っこを押さえつけられ、ぐぅと息を吐く。
「やっば、生きてる?」
明るい声で巴がこちらを見る。手加減はしてるんだけどな?とでも言いたげな顔だ。
「さくらは勝つよ」
目を見開き、ミハトはそう囀る。
「……でしたら証明してくださいよ。僕が澪標君側に付く利点をね」
まぁ、こんな暴力で脅す時点で底は知れている、と、冷静に百多郎は考えていた。
藤袴家としては、有力家系に睨まれたくはない。
橋姫ミハトの言動を考えると、神輿であるの澪標を壊すのは、何も自分である必要もない。
「そうですねぇ。まぁ、その駒比べで一度は勝ってもらわないと」
百多郎の苦し紛れの言葉に、ミハトはヒステリックに言葉を吐き捨てる
「だからそのために!つづみちゃんが必要なんじゃない!」
「おや、紫紺君ならそんな事は言わないでしょうねぇ」
細い目をさらに細めて、百多郎はミハトを挑発する。
「君たち、目的と手段がぐちゃぐちゃなんですよ。駒比べに勝ちたいから仲間を集めてる?僕から見ればそれを理由に澪標君が女性を侍らせたいようにしか見えないんですよねぇ」
ミハトの顔がまたも豹変するが、巴の表情は変わらない。
先ほどと変わらず、困ったように笑うだけだ。
「澪標君はつづみさんと帚木さんに評価されていない。それを認めて、これからいかに彼女達の信頼を得るかが大事でしょうに。それすらご自身でできないような方の傘下に?」
ハッ!と大袈裟に百多郎は鼻で笑って見せる。
「いやー、それは博打がすぎます。あいにくこれでも僕も次期当主で……」
そこまで言った時、ううぅーー!と獣のような唸り声が聞こえてぎょっとする。
顔をしかめてだんだんと、ミハトは地団駄を踏む。
「なんでみんな邪魔するの!さくらはさっさと次にすすまないといけないのに!!つづみちゃんはさくらとミハトのものなのに!!あんなキモい男がいるせいで!!かわいそうだから、ミハトが助けてあげるって言ってるのに!つづみちゃんが頑固で臆病でわからやずやだから先にすすまないじゃない!!あの男もなんなのよ!きもいきもいきもいきもい!バカバカバカバカばっかり!!」
突然の子供のような癇癪に、百多郎も巴も目を丸くしてミハトを見る。
「ミハトちゃん、落ち着きなよ。やっぱさぁ、別の子を探そっか?」
巴の言葉に少し落ち着いたものの、ミハトの目はまだ狂気じみた光があった。
フーッフーッと息を必死に整える。
「……藤袴君がそーゆー事ならもういいや。うん、気が変わったらいつでも言ってね」
にっこりと微笑むミハト。はははと乾いた笑いしかでない百多郎。
正直まだまだ言い足りないが、狂人を無駄に煽る必要などないだろう。
「じゃ。またね!」
ミハトは軽やかに、何もなかったかのように家庭科室を出て行ってしまった。
巴がそれを見て大きなため息をついて百多郎を解放する。
「またね。だってさぁ」
巴はミハトの気配が完全に無くなったのを確認してから、百多郎の胸元を指差す。
「じゃ、そっちともお話ししよっかな」
実を言うと、百多郎は家庭科室に連れて行かれる前、スマホを仕舞い込むふりをして、関屋要に電話をかけていた。
「出してみたら?お返事聞こえるかもよ?」
ニコニコと、巴がスマホを出すようにジェスチャーしてみせる。
「……」
言われた通り、スマホの画面を見ると、まだ通話中のままだ。
つまり、要は百多郎からの電話に気づいていた。
パッと、巴がスマホを取り上げて「もしもーし!!」と能天気な声をあげる。
「ひどいねー、お友達が助けを求めているのに何もしないなんて。スピーカーモードじゃなくてもちょっとはやりとり聞こえたでしょ?」
『篝火さんですね。藤袴君は?』
意外にも、要の声は冷静だった。
「いるよー、朝のホームルームにも問題なく参加できそう!」
『そうですか』
「蓬生さん達はそこにいる?せっかくだからお話したいなぁ」
『いません。私だけです』
「あ、そうなんだー。それで?どうするのー?」
『あなたの予定通りでしょうね。これを機に若様は澪標と敵対する事でしょう』
その言葉を聞いて巴はにこりと笑った。
が、次の言葉に凍りつく。
『ご主人様にも伝えなさい。望み通りになったとね』
一瞬、ではあるが、巴の思考が固まる。しかしすぐさま道化になって笑う巴。
「んー、さくらちゃんにぃ?」
要の返事はなく、ただくつくつと笑う気配がした。
『それでは』
それを最後に電話は切れてしまった。
と、同時に。
一瞬、肌が焼けるかのような熱風と共に、ごうと音を立てて巴の訓練人形が崩れ落ちた。
力を失った人形の腕が大きな音を立てて床に『落ちる』
「え、えぇ…」
自らの人形が百多郎を押さえ込んでいた腕を残して、黒い消し炭にされている様を見て巴はひきつった笑みになる。
「どうした、篝火」
巴の背後から、長髪の男が極めて不機嫌そうに声をかける。
「俺の能力は知っていただろう」
蓬生紫紺がいつの間にかそこにいた。
「無事か、藤袴」
「ひどいなあ、まるで私がいじめでもしているみたいじゃないか」
「抜かせ、篝火」
これまた不機嫌そうに紫紺が吐き捨てる。
「俺がここにいる意味と、理由がわからぬ女ではあるまい」
そう、『いつの間にか蓬生紫紺が現れた』『いつからいたのか』『どこまで聞かれた』
『どこまでわかっている』『どうしてここにいる』
『そんな事ができるのは』
巴のその疑問に、紫紺は全て答えてやるつもりもないし、必要もない。
「ちょっと、ちょっとぉ、待って、流石に『私たち』は帚木まで敵に回すつもりはないって」
ひどく狼狽えた様子で巴が両手を上げて、降参のポーズをとる。
その様子を見ても、不機嫌そうに腕を組み、巴を睨め付ける紫紺。
そして、その後ろで『紫紺様』『焼き尽くして』とキラキラとデコレーションした、どでかいうちわを持つ蓬生つづみ。
満面の笑顔である。緊迫した空気を嬉々としてぶち壊している。
「いや、状況!状況がわからない!!!」
悲痛な百多郎の悲鳴が、朝の家庭科室に響いた。
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