そう考えると僕が勝手に父の部屋に入るのはいかがなものかと思う。父が死んだ息子相手に約束を守っているのに死んだ息子が約束を破るのはいかがなものかと思う。生越考えたが、父もいつかきっと僕の部屋を開けるだろうと思い、父の部屋を開けることにした。幼稚園くらいまでは僕の部屋、父の部屋という概念はなかったが、父が勉強机をあの部屋に置いてからあの部屋は僕の部屋になった。2人暮らしで部屋が2つ。片方の部屋が誰の部屋か決まると当然もう片方の部屋はもう1人のものになる。そんな感じでもう1つの部屋は父の部屋になった。それでも最初のころは父の部屋に行くこともしばしばあったのだが、中学にもなるともうほとんど入ることはなくなった。いつぶりだかわからない父の部屋のドアノブに触れる。そしてそのまま縦に回して扉を押す。

「うわ」

思わず声を出してびっくりした。辺り一面に紙が落ちている。父の部屋にも机といすがあったがそこを中心に紙が散乱していた。とりあえず中に入って扉を閉める。足元の紙を1枚手に取る

『昨日は小学校で蘭の運動会でした。初めての運動会で緊張していたのか、興奮していたのか前日はなかなか寝付けないようでした。迎えた本番。蘭はかけっこで1番を撮りました。1番でゴールをしたときに私の方を向いて満面の笑みでピースをされたときはちょっとうるっと来てしまいました。蘭のダンスはちょっぴり下手くそですがそこもまたかわいいです。運動会の蘭の様子はこの手紙と一緒に置いてあるビデオに撮ってあるのでぜひ見てみてください。また来ます』

それは父が母に当てた手紙だった。ほかの手紙には大学に入ったこと、部活でレギュラーになったこと、友達と喧嘩したこと。大きなことから小さなことまで事細かに書いてあっあった。その手紙のすべてに水滴が落ちたような跡があった。その跡に上書きするように僕の目から水滴が落ちた。こんなにも見ていてくれたんだな、と思うと目からあふれ出したものを止めることはできなかった。

 しばらく父の手紙を読んでいた。父の愛情が1枚1枚から伝わってくるようだった。

ピピピピピピピ

 びっくりして音の方へ目を向ける。父の机の上の時計だ。20時45分を知らせる時計。なぜかは分からないが毎日20時45分に父の時計はなった。確か21時からはドラマを見るからということで15分前にアラームをかけていたんだっけかな。父の机にはその時計と薄ピンクの封筒だげが置いてあった。これまでは落ちている手紙を拾って読んでいた。それが封筒に入っている手紙を読むというだけで少し罪悪感が増す。ただ、もう今更のことだと思い、その封筒の中から手紙を取り出す。

『華に手紙を書くのはこれが初めてになります。なんだか照れくさい気もしますね。蘭が生まれてもう50日経ちます。蘭は1日1日大きくなっていきます。昨日は四十九日でしたね。もう成仏は出来ましたか。もう天国についていたらと願います。

 もし、蘭のことが気になったら一昨日みたいに会いに来てほしいです。鍵は玄関の横の鉢植えの中に入れておくのでもし私が買い物とかで家にいなくてもいつでも開けて入ってください。いつでも待ってます。

 追伸 たまには蘭だけでなく私にも会いに来てください』

意味が分からなかった。母は僕が生まれて少ししてから死んだと父親に聞かされていた。この手紙だと違うじゃないか。僕を生んだせいで母は死んだ。じゃあ、なぜ嘘を僕に教えた。

 玄関の方でガチャリと音が鳴った。父が帰ってきた。びっくりして手紙と封筒を落とした。その拍子に封筒から何かが落ちた。

 1枚の写真だった。病室で2人の男女が写っている。ベッドの横に立っているのは若いころの父だろう。ということはベッドにいるのは母だろう。

「え」

思わず声が出た。ベットにいる人物が母親なわけがなかった。だってそれは。

 父の足音が近づく。しかし、僕はその写真から目を話すことができず、ただただその場に立ち尽くしていた。ドアがガチャリと開いたような気がした。


写真を持っていた僕の手は今は何も持っておらず、写真を持っていた時と同じ形をしている。いつもならかえってきた瞬間にうさぎのおかえりが来るはずなのだが、今日はない。代わりになんだか照れくさそうなうさぎの姿があった。

「私でしたよね。あの写真に写っていたの」

僕はうなずく。写真の中のうさぎはうさ耳はしていなかったものの顔はうさぎそのものだった。

「私の死因が自殺だということはお話ししましたよね」

僕はうなずいた。

「実際なぜ自殺なのかはわかりません。ただ、私は子供を産んで死んだということだけは分かっていました。先ほどの手紙とこの事実を照らし合わせてもやはりあの写真は私。ということは」

そこまで言った時に僕の体は無意識に母を抱きしめていた。

「お母さん」

父に母親が欲しいといったことはなかったがやはり小さいころから父親しかいないことで少し寂しい思いもしてきた。20年以上の思いが止められなかった。

「なんかちょっとこそばゆいですね。お母さんなんて」

えへへと笑ううさぎの目には涙があふれていた。

 死んだら母に会えるかなと考えたことはあった。半分冗談で。まさか本当に会えるなんて。少し経ったら冷静さが戻ってきて母から離れた。

「遠慮せずにもっとくっついてもいいのよ。親子なんだし」

もううさぎはいつもの笑顔に戻っていた。親子であることは間違いないと思うのだが死んだときから成長していない母は僕とほとんど同じくらいなので冷静に考えるとちょっと恥ずかしくなる。

「何か思い出したこととかある」

普通よくある映画とかだとこういうことがきっかけで記憶が戻るなんてことはよくある話だ。

「いいえ。というか四十九日を過ぎたものは記憶を忘れるのではなく消されるのです。なので思い出すということはあり得ません」

「そうか。あともう敬語やめない?親子なんだし」

「そうですね」

「まだ、敬語だけど」

「うーん。ずっと敬語ばっかり話してきたので急にやめろと言われましてもなかなか難しいですね。このまま敬語でしゃべらせてください」

「まあ、母さんがそれしか無理ならそれでいいよ」

「あと、母さんって呼ぶのもやめてください。なんかそれこそばゆいんで。いつも通りうさぎでお願いします」

「母さん」

「やめてください」

と言いながら両手で二の腕のあたりをこすりながら体をくねらせた。それから僕らは笑い合った。母と子がどんな会話をするかは分からないがこうやって笑い合うことも少ないのだろうと思う。笑い合った後急に静かになった。

「死世に行くとさ今日の記憶も消えちゃうんだよね」

「そうですね。消えてしまいますね」

「うさぎの記憶はさ残るの?」

「すべて消えるわけではないですね。こんな人を担当したという記憶は残ります。現世に関係する記憶はすべて消えてしまします。私と蘭様が親子だったというのは現世からのヒントを得た結果わかったことです。そのヒントの部分の記憶が消えてしまうのでおそらく記憶としては残らないのではないかと思います」

「そうか」

少し視線を下に向けた。

「残念がらないでください。消えると確定したわけではありませんし。私にとって今日ほどうれしい日はないのです。なので今日の記憶は絶対に忘れません」

そう言ったうさぎの顔は笑顔だったが僕にはどこか寂しそうにも見えた。





それからは思い出せることを思い出せる限り、話した。この二十年余りの僕の出来事を母に語るのにこの場にいるだけの時間ではあまりに短かった。うさぎは僕の話を気にしながらもしきりに時計を見ていた。それは単に僕の話がつまらないということではなく仕事として時間を守る必要があるからだろう。今は母と子であると同時に死者と担当官という仕事上の立場もある。

「そろそろ時間だよね」

僕は時計を見ながら言った。

「そうですね。また帰ったら・・・続き聞かせてください」

「ああ」

僕は曖昧な返事で返した。

 いつものように椅子に座る。今日が現世に帰れる最終日。どことなく元気のないうさぎ。それもそうか。

「リスポン地点を決めてください」

「昨日父さんとあってないから父さんの場所がわからないんだけど」

「親族の位置ならポイントを使えばお探しできます。されますか?」

ポイントか。こうなるならもっと使えばよかったな。僕はうさぎに向かってうなずく。父は焼き鳥屋にいた。昔はよく二人で来ていたあの焼き鳥屋。さすがに焼き鳥屋のトイレからいきなり出てくるのはまずいので近くのイルミネーションの公園のトイレをリスポン地点にした。

「それでは目を閉じてください」

目を閉じるとうさぎのカウントアップが始まった。

1,2,3,4,5,6,7、8、9,10

今日は10の後に小さくさよならという声が聞こえたような気がした。




 ゆっくり座っている時間はなかった。トイレのドアを開け外に出て焼き鳥屋へ向かう。今日もまだイルミネーションは光り続けている。たぶん明日も明後日も光り続けているのだろう。

 焼き鳥屋の前に着いた。ここに父がいる。そして始まる。僕とうさぎ、母の賭けが。

 ドアを開けるとカウンター席の一番奥に父は座っていた。奥からお好きな席どうぞという声が聞こえる。

「隣いいですか」

父が驚いた顔をするのも無理はない。父以外座っていない夕方5時のカウンターで隣座るやつなど珍しい。父はちらっと僕の顔を見てどうぞと言った。隣に座ってとりあえず生ビールを頼んだ。父の前には生ビールと串が2本おいてあった。生ビールは数秒で出てきた。見るからにキンキンに冷えたビール。僕はそれをごくりとのどに流す。今の僕には目で楽しむのが限界のようだ。

 次に豚バラと軟骨とねぎまを頼んだ。焼き鳥はビールほど早くは来なかったがそれでもいつもよりは早く来た。僕はそれを串から外して箸で食べる。小さいころに父が危ないからと言って串からとってくれていた。その名残として僕はいまだに串のまま食べない。それにしてもビールにしろ焼き鳥にしろそれを見ておいしそうとも感じられなくなったのはいよいよ人間らしさがほとんどなくなっていってしまったなと感じる。

 ここまで無口とはいえ父と飲むのはいつぶりだろうか。たしか最後は成人式の前日にちゃんと育ててくれたことの感謝を伝えたかったけどしらふだと恥ずかしいと思ってここに誘ったんだっけかな。もう2年も前のことか。もともと家でお酒を飲まない僕らが一緒に酒を飲むことはなかった。

「明日だね」

ぼくがぼそっとつぶやく。父が僕の方を見た。僕もちらっと父の方を見た。

『華のこと』

そんな父の心の声が聞こえたような気がした。父は僕と目が合うと表情は変えずに残っていたビールを飲み干し、熱燗を頼んだ。おちょこもついでに2つ頼んだ。

運ばれてきた熱燗を2つのおちょこに入れ、1つを僕の前に置いた。

 父は一口に1杯を飲み干した。僕も1口で飲み干す。父よりも先に熱燗を掴んで今度は僕が父のおちょこに注ぐ。親指と人差し指と中指でおちょこを持ち上げる。それを口元に運んで一気に飲み干す。父がこんなに酒を飲んでいるのは初めて見る。

「久しぶりだな」

僕のおちょこへお酒を注ぎながらそう言った。

「うん」

注がれたお酒を僕も一口に飲み干す。

「母さんには会えたか」

「会えたよ」

「そりゃよかった」

さっき僕に注いだ分が最後だった。前を向いて右手で空のおちょこを触りながら続けた。

「母さん、きれいだろ」

「華って呼ばないのか」

というと父はちょっと顔を赤らめた。

「手紙呼んだのか」

「勝手に読んだことは謝る。でも、母親がどんな人か知りたくて」

少しの沈黙の後父は話始めた。

「華はもともと体が弱かった。でも、絶対子供が欲しいって言ってた。お間がおなかの中にできたときもすごく喜んでたよ。でもな、医者に言われたんだよ、生むのは難しいかもしれないって。正直俺は自分の子供なんてあったこともない存在より目の前にいる華に生きていてほしかった。でも、華はそうじゃなかった。もしこの子を産んで私が死んじゃっても私はそれでもいいって。だからその時はこの子をよろしくねって」

父のおちょこに1滴2滴と水が増えていた。

「その時に1つだけ約束したことがある。もし私が死んでもこの子にはそのことは黙っておいてほしいと。この子が大人になってもしそのことを知ってしまったらこの子は自分を責めるかもしれない。そんなことはさせたくない。これは私のわがままなんだからと、笑顔で言っていた」

そしてその約束を父は守った。僕が死ぬまで。

 父は話し終えると熱燗を頼んだ。頼んでいる間に1度トイレに立った。顔を洗ってきたようだ。

 運ばれてきた熱燗を持って父のおちょこへと注ぐ。涙と混じったそのお酒はさっきより少ししょっぱいかもしれない。

「あの日さ、なんで電話かけたの」

僕が死んだ日。めったにかけてこない父親から電話があった。食堂で恵たちと話しているときに。

「なんでだろうな」

予想外の答えが返ってきて驚いた。めったに電話かけない人がかけてくるというのはそれなりの理由があると思っていたのに。

「なぜかは分からないが、あの日蘭に電話しなきゃ。気を付けて帰れって言わなきゃって思った。今思えば勘みたいなものだったのかな」

そういいながら僕のおちょこにお酒を注いだ。

「母さん。手紙ありがとうって言ってたよ」

「そうか」

「でも、全部はちょっと理由があって読めないって」

「いいよ別に。でも、これからはもう書くこともなくなるな」

「たまには自分のこと書いたら?」

「それはいいよ。蘭の思い出話でも書いていこうかな」

「今度は僕も読むんだよ」

「じゃあ隣で華に細かいところ説明してやってくれ」

それはうんとうなずけなかった。そんなことはできないから。

その時、リュックから着信音が鳴った。うさぎからだろう。そろそろ限界か。

「父さん」

僕は父の方を向いた。父も僕の方を見た。

「今までありがとうございました」

そう言い切ったところで目の前が真っ暗になった。





真っ暗だった。目を開けているのか閉じているのかも分からないような黒。

「お久しぶりですね」

聞いたことのある声だった。

「うさぎの上司か」

「ええ、神様と呼んでいただいても結構ですよ」

「で、どうするんだ?」

「何がですか?」

「僕はルールを破った。担当官になる覚悟はできている。うさぎとも話し合った結果だ」

「それがあなたたち親子の選んだ結果なんだね」


11月28日 午後9時32分

「一つだけお願いがあります」

うさぎは言った。この5日間うさぎにお願いすることはあってもされることはなかった。

「父さんのこと?」

「最後の1日。お父様に蘭様として会ってもらえないでしょうか」

僕もそれは思っていた。蘭として父に会って、うさぎが元気でやっていると伝えるだけでも喜ぶかもしれないと思った。だが。

「うさぎはどうするんだ。僕は別に死世とか行ったこともないようなところに行けなくなるのはいいとしてうさぎはどうなるかわからないんだろ」

「私はもういいのです」

うさぎは笑顔でそう言った。

「私は担当官という役割ながら自分の息子に会うことができ、自分の旦那に今でも愛されているということが分かりました。これ以上のうれしいことなんて今後起こるはずはないのです。だから私のことは気にしないでください。それよりも蘭様は本当によろしいのですか」

「担当官ってきつい?」

「楽しいですよ」

「じゃあ大丈夫」

最後はそんなやり取りで僕らはルール違反を決めた。それから残された時間を惜しむように僕は自分の思い出話を母に話し続けた。

 


正直なところいろいろなことが賭けだった。さすがに僕は赤間蘭の生まれ変わりですと自己紹介するわけにはいかなかった。その瞬間アウトだろう。ならば自己紹介せずに僕が蘭だと気づかれるか。その結果あの焼き鳥でいつもやる僕の癖に父が気づいてくれることにかけた。そしてもう1つ父が母が四十九日の前日に帰ってきたということを覚えていること。この2つの条件がかみ合わなければ成功しない作戦だった。

「親子ともどもだねー。では少し昔話でもしようか」

「え?」

その唐突な神様の提案におどろいた。

「いえ、何も身構えなくてよいですよ。これから記憶のなくなるあなたに最後の思い出として、あるいは私の独り言としてお話しするだけですから。



「ばれてしまいましたね。華さん。これでは死世には行けませんね」

「そんなことはどうだっていいです」

「どうでもよくないですよ。死世に行けないということはここで働かないといけないということになるんですから」

「その覚悟があってやったまでのこと」

「そうですか。じゃあ早速働いてもらおうかな。ここ、人手不足なんでね」

「精算は?」

「はい?」

「7日目は精算日と言いませんでしたか?」

「ええもちろん。でも、どう計算したってルールを破ったペナルティで華さんは借金ですよ」

「それは知っています。でも、生産の後になんでも願い事を叶えられると担当官からききましたけど」

「あー。でも、それで担当官になりたくないなんてお願いは無理ですからね」

「蘭の寿命を延ばしてやってください」

「蘭?ああ、華さんの子供ね。そうか華さん、現世に行ったときの能力寿命が見えるやつだったもんね。だから旦那さんに日付とか言ってたんだねなるほど納得」

「なんで蘭があんなに早く死ななければいけないのですか。あの子が何か悪いことしましたか」

「悪いけどそこのとこも僕じゃどうしようもないんだわ。僕が扱うのは生人じゃなくて死人なんでね」



真っ暗の中で2人の会話が途切れた。

「母さんは僕の死を知っていた。そしてその日付を父さんに教えていた」

「ただ、残念ながらこちらの意に反する接触及び情報の提供は相手が生人だとしても記憶を消すくらいの権利は与えられているんだわ。いきなり全部消すとあれ、昨日の記憶がないってことになりかねないので日にちをかけてゆっくりと」

父は母と会って2日後の手紙ではまだ覚えていた。その時はまだ僕の死のことを覚えていたかもしれないが。それから長い年月が経って・・・。あれ、だとすると今日の会った父は母が現世に帰ってきたことを知らない。となると僕が帰ってきたことをすんなり受け入れることはおかしい。

「続き始まりますよ」

という声同時に始まった。



「死人に関する願いならかなえられるんですよね」

「ええ、もちろん。今からハワイに言った気分にさせてとか、昔死んだ誰かにミカン送るとかなら全然大丈夫ですよ」

「じゃあ、私を蘭の担当官にしてください」

「蘭君、まだ死んでませんよ」

「蘭はあと22年後に死にます。だからその時に蘭の担当官をやらせてください」

「原則3親等以内の担当官に着くのは禁止なんだけどな。担当官になるときに現世での記憶は死因以外全部消えるよ」

「それでもかまいません」

「蘭君見ても多分自分の子供だとわかんないよ」

「かまいません。きっと私にはわかります」

「面白い。そこまで言うなら見せてもらおう。22年後を楽しみにしているよ」



「というお話があったとさお終い」

「じゃあ、母が僕の担当官になったのは」

「偶然じゃなくて必然だったというわけだ。母の姿を知らない君と息子の姿を知らない母。まさか本当に自分たちが親子だと気づくなんて思わなかったよ。それと初めに行ったと思うけどここでは君の心の声は丸聞こえ。そのついでにさっきの疑問に答えてあげよう。私が消したのは君の死に関する記憶だけ。華さんと会ったこと自体の記憶には手を付けていないからね。ただ、その中であの日に違和感を覚えて君に電話をした君の父親はすごいと思うな」

記憶は消されても気持ちで覚えてくれたんだな父は。

「さて、では記憶を消しますよー。いいですかー。」

「ちょっと待て」

「待てませんよ。ここは22年たっても人手不足なんですから」

「僕にも願いを叶えられる権利はあるはずだ」

「そういえばありましたね。でも、父の担当官になるなんてのはだめですからね」

「え、なんで」

「そりゃ、君のお父さんは君のこと見たらすぐわかっちゃうじゃん。そんなのつまらないじゃん」

「つまらないって」

「まあ基本ルールとしては3親等はなしだから」

ただ、僕の願いはもともと別のことだった。僕は今日のことで父に対してはある程度満足している。まだ、満足できていない人がいる。最初で最後の親孝行かもしれない。

「母を生き返らせてもらえませんか。現世帰りとして」

「そんなの無理に決まっているだろう」

「お願いします。10分でも5分でもいいんです。母に父と会う時間をください」

「あの姿のまま行かせることはできないんだぞ」

「それでもかまいません。どんな姿でも」

「5分でどうするんだ」

「それは母がきっとうまくやります」

「記憶がないのに」

「それは・・・僕が担当官になってサポートします」

「できるのか」

「やります」

はあとため息が聞こえたような気がした。

「担当官赤間蘭。時間は30分。赤間華は現世帰り6日目の姿、記憶はどうしようかな・・・今+当時のおまけつきでいいか。その状態として12月29日に再び現世帰りする。これでいいか」

「ありがとうございます」

「まあ君の6日間は22年待つ甲斐があった。楽しませてもらったから今回ばかりの特別だ。それと多分もう君の記憶がある状態で君に会うことはないだろうから1つだけいいことを教えといてあげよう」

「いいこと?」

「現世帰りの時の姿は4日目までは完全にランダムだが、5日目と6日目はその人の年を取った姿になるのさ。だから君のお父さんは君を見て蘭だと気づいたしお母さんのことも気づいた」

「そんなの5日目6日目のばれる危険性が高すぎるじゃないか」

「現世帰りにはリスクがあるって最初に言っただろう。ある程度の人数ばれてくれないとここの運営成り立たなくなっちゃうからさ。みんなにとってはひどいルールかもしれないけど今に関していえばありがたいのかもね。少し長く話しすぎたね。じゃあもう始めるね」

そういうと目の前が真っ白になった。





 私はトイレに座っていた。画面を通してではなく私自身がそこにいた。どういうことだ。さっきまで私は蘭の担当官で蘭の様子をモニター越しに見てて・・・そのあとのことはよく思い出せなかった。個室のカギを開けて出る。ここは・・・よく蘭がリスポン地点に選んでいた家の近くの公園だった。鏡を見てみる。現世帰りをしたときの最後の顔。おばさんだった。トイレの外にはよく見た男の子2人と女の子1人がブランコに座っている。

「蘭行っちゃったな」

「ああ、そうだな」

「元気かな」

「死んでるんだから元気ではないかな」

「それもそうか」

「全然話変わるけどいい?」

「どうぞ」

「この前、初めてラジオで曲のリクエスト通ってさ」

「へーなんて曲?」

「なんだったけな。タイトル長くて忘れちゃったな。あの蘭が好きとか言ってたやつ」

「ちょっと待って。それいつ流れた?」

「たしかクリスマスの日。アンチクリスマスとしてクリスマスと関係ない曲リクエストしてやろうと思って」

「それたぶん私聞いたわ。さっき話したリカちゃんと一緒に。そういえばリカちゃんも好きって言ってたかな」

「不思議少女リカちゃんね」

「リカちゃんの言った住所は蘭の死んだ場所だったし、ポストカードは落としてるし」

「蘭、リン、リカどうも引っかかるんだけどね」

「まあ、真相は闇のなかってやつですかね。まあいろいろ考えても仕方ない。どう?これから3人で久々に飲まない?」

「いいよ」

「オッケー」

3人はブランコから立ち上がると坂を下って行った。

 ジリリリリと電話が鳴ったポケットに携帯が入っている。

「もしもし」

「もしもし母さん」

「うさぎとお呼びくださいと・・・」

「時間がないんだ。そっちにいられるのは30分だけ。もうあと23分しかない」

「ちょっと待って、どうなってるの。なんで私がまた現世返りを。まさかもしかして願いを」

「とにかく今は時間がないんだ。父はもうすぐ僕の死んだ場所に来るから」

そう言って電話は切れた。

 私が今ここにいる以上蘭のお願いはもうどうしようもないのだろう。蘭に心の中でありがとうを告げた。これで会えなかったら蘭のくれたチャンスさえ無駄にしてしまう。

 私は駆け足で坂を登った。目の前から黒い人影が近づいてくる。私たちはちょうどのところで出会った。辺りが暗くてお互いの顔は見えない。

「ここで蘭死んじゃったんだね」

「私があの時何度も電話していればこうはならなかったかもしれない」

「蘭があの日に死んじゃうのは決まってたことだからどうしようもなかったの」

「もう蘭には会えたんだろう」

「うん」

「それはよかった」

少しの間沈黙になった。話したいことがたくさんあったはずなのにたくさんありすぎて何から話していいかわからなくなる。

「蘭はいい友達に恵まれたみたいだな。四十九日は親族もいないし私だけでやろうと思っていたのにどうしても参加したいって」

「あの子の人柄のせいよ」

「きっと君に似たんだな」

「私に似てたらもっともっとたくさんの友達が来てくれてたはず」

「みんな呪われるのが怖くてな」

2人して笑った。蘭も笑っているような気がした。

「手紙ありがとう」

「ああ、あれは私の自己満足みたいなもんだから」

「それでも、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

もちろん全部は読めていないが蘭が見たあの部屋の様子を見るに相当書いているはずだ。

「そういえば、なんであの時私だって気づいたの?」

「だって顔が老けた華そっくりだったんだもん。」

「私、老けたらこんな汚い顔になるの」

「いやいやきれいさ。でも確信を持ったのはそこじゃないさ」

「どこよ?」

「華が蘭を抱いたとき蘭が泣かなかったから。蘭が生まれて近所のお母さんたちが抱っこの仕方はこうとかミルクの作り方はねとかいろんな人が教えに来てくれたんだ。その誰もが蘭を抱っこするんだけど全員泣かれてね。そんなとき君が蘭を抱っこしたとき蘭は泣かなかった。そこで確信した」

「そうだったんだ」

蘭が自分を抱いた人は私だったのだ。蘭も私のことを覚えていてくれたのだな。

ポケットからジリリリリリという音が鳴った。どうやら時間のようだ。

「そろそろ時間みたい」

「そっか。でもどうせまたすぐ会えるだろう。私もそろそろそっちに行くはずだし」

「あなたはもうちょっとかかるかな」

「どれくらい」

「それは教えられないな」

「じゃあ、いつかその日までまたお別れか」

「そうだね」

「じゃあまたね」

「うん、じゃあまた」

そう言って私は坂を下り始めた。

「華ー」

後ろで大きな声が聞こえた。

「蘭を生んでくれてありがとー」

私はこみ上げるものが抑えきれなくなった。そんなの卑怯だ。私たちはもうまたねって別れたはずなのにそんなの、そんなこと叫ぶなんて反則だよ。

「らんを、らんを、あんなに立派に育ててくれてありがとう」

私も精いっぱいの声で叫んだ。涙は止まらなかった。涙で視界がぼやける、。ぼやけた視界がそのまま白んでいく。

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