2章①

12月23日 死後43日目、現世1日目 17:00

さっきまで木の椅子だと思っていたそれは便器に代わっていた。上を見ると白熱灯がまるでスポットライトかの如く僕を照らしていた。立ち上がって鍵を開ける。何か違和感。トイレから一歩出て右を見た瞬間驚いた。

「あっ」

と思わず声に出して1歩戻って慌ててドアを閉めた。出口の手洗い場に女性が立っていた。あの女性が女装した男性でない限り、ここは女子トイレ。トイレの右隅を見る。あった。生理用品を捨てるゴミ箱。居酒屋でバイトしてて初めて知った。そこはほとんど男性従業員だったからそれの袋を変えるのも仕事の1つだった。そのゴミ箱があるということはここは女子トイレで間違いない。

えらいところにリスポンしてくれたもんだ。さて、どう出る。出口の手洗い場に女性が1人。カチャカチャと化粧品をいじる音が聞こえる。それ以外に音がないとすると今このトイレの中にいるのは2人。音がなくなるのを待って出ていけば何とかなるかもしれない。音がなくなるのを待った。

パチンという音がした後、カツンカツンというヒールの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。よし今だ。鍵を開け小走りでトイレを出る。トイレの前に椅子があり、数人が座っていた。出てすぐおばちゃんとぶつかりそうになった。すいませんって言ったけど女子トイレに入ってすいませんなのかぶつかりそうですいませんなのかもう自分でもよく分からなかった。とにかくその場から離れることに精一杯だった。迷路のような店内を右に曲がったり左に曲がったり、とにかくあのトイレから出たときにいた人たちの目の届かないところに行かなくてはならなかった。エレベーターを昇ったところで普通の歩くペースに戻した。

リスポンをした位置は間違っていなかった。希望通りのデパートの中だった。しかし女子トイレにリスポンするとは聞いてないし、普通そんなことはしない。とりあえず落ち着きを取り戻しかけたとき、肩にポンと手を置かれた。振り向くとさっきぶつかりそうになったおばちゃんが立っていた。目の見えない範囲に行くことは考えてたが、まさか追跡されてるなんて思っていなかった。

「よかったやっと追いついた。お嬢ちゃん歩くの早かね」

方言丸出しで話しかけてくるこのおばちゃんは僕に優しく語りかけた。ん、お嬢ちゃん?

「これ、あんたのやろ。トイレに忘れとったよ」

というおばちゃんの手にはピンク色に黒のポケットが付いたリュックがあった。

「たぶん、僕のじゃないです」

ほんとに僕のじゃないと思うし、ここでもしも僕のですなんて言った日にはなんで女子トイレなんか入ってたんだと問いただされるに違いない。

「僕って・・・。今時の子はわかんないねえ。女の子でも僕っていうのかい」

女の子?さっきから何を言っているのだこのおばちゃんは。

「1番手前のトイレ使ってただよねえ。あそこに置いてあったけどお嬢ちゃんのじゃないんね」

確かに出口から1番近いトイレにいたことは間違いないが、こっちに来たばっかりの僕に持ち物なんてあるはずない。

「とにかく違います」

思ったよりも大きな声が出てしまったせいで周りの人が一瞬こっちを向いた。おばちゃんも困った顔になって

「じゃ、じゃあこれ忘れ物センターに届けて来るね」

と言ってこの場を立ち去ろうとしたとき鞄の中からジリリリリと音が鳴った。どう考えても電話だろう。

「落とし主かもしれんね」

と周りの人に聞こえるように大きめの声で言った。私は落とし主が困っていたら大変だから仕方なく今からこのリュックを開けて電話に出ます、という周りへのアピールだろう。

 おもむろにがばっと開けたバッグの中は携帯電話しか入っておらず、しかもその形態も今時珍しい2つ折りだった。慣れた手つきでケータイを開け電話に出た。このおばちゃんもいまだに二つ折りケータイを使っているのかもしれない。

「もしもし」

と電話に出て、一言二言しゃべった後ちらりとこちらを見て電話を渡してきたそのまま受け取って耳に当てると聞きなれた声が聞こえてきた。

「あの、えっとうさぎです。とりあえずそのバッグ受け取ってどこか話せるとこに移動してもらっていいですか。そこだと目立ちすぎるので」

文句を言いたいところだったがおばちゃんがこっちを怪訝そうな顔で見ているということもあり、うん、じゃあ後でとだけ言って電話を切った。

「すいません。友達のリュック預かっているの忘れていました。本当にすいません」

というとおばちゃんは笑顔になり

「そうかい、そうかい。そりゃよかったよ。でも、友達のだからって忘れるのはよくないよ。次から気いつけえね」

と言ってエスカレーターを降りて行った。僕もそのフロアを2,3分ウロチョロした後、エスカレーターで1階まで下りてよく待ち合わせで使われる時計台のある広場の隅の方に行った。2つ折りの携帯なんて久々に使う。メニューを開いて電話帳を開く。画面には『登録なし』の文字。いやいや、どうやって連絡すんねん。と、心の中で突っ込みを入れたとき、電話が鳴った。ジリリリリとなるその画面にはうさぎの文字だけ表示されている。適当なボタンを押して出る。

「はい」

「あの、1つ謝りたいことがありまして・・・」

当然だろう。リスポンを女子トイレにしておいてなんの詫びもないはずがない。危うく変態として捕まるところだった。

「リュックを渡すの忘れてて、それで慌てて送ったんですけど、気づいてもらえなくて。それでポイント使って携帯出したんですけど、そしたらもう行っちゃって・・・」

バッグを渡すのを忘れた?そんなことよりもまず謝ることがあるだろう。

「謝ることはそれだけですか」

「はい?」

「ほかに謝ることはないんですかと、聞いているんです」

「ほかに・・・ですか・・・。すいません、思い当たる節がないんですが」

ずっと見てると言ってたから知らないってことはないだろう。

「なぜ女子トイレをリスポン地点にした。捕まるかと思ったわ」

彼女は少し間があって答えた。

「トイレが嫌だったんですか。でも、リスポン地点はトイレって決まっているのでそこは我慢していただかないと・・・」

「そこじゃない。トイレからのリスポンも嫌だが、そこは譲ってもなぜ女子なんだ。男子にしない」

はあと彼女の不思議そうなため息が聞こえてきた。誰にでもわかるように言ったつもりだったんだが。今のが理解できないということはこいつ実は馬鹿なのか。

「あっ」

と彼女が急に声を上げた。

「もしかして鏡見てないですか?」

鏡?と僕は心の中で彼女に質問した。

「じゃあ今すぐ見てください。近くにないなら出しましょうか。ポイントで」

近くに鏡はなかったが、店の前のガラスが鏡のようになっていたのでその提案は断った。

ガラスの前に立つ。そこには見たことのない美女が立っていた。僕の意志で右手を上れば右手を上げ左足を上げれば左足を上げる。下の方に何もついてないのも触って確認、胸も・・・一応あるか。見たことない美女は僕だ。身長はかなり高い方だろう。しかし、男であった頃の僕よりはさすがに低い。さっきトイレから出るときに感じた違和感はこれか。電話を耳に近づける。

「わかりましたか。今のあなたは女の子です。だから女子トイレにいてもなんの不思議でもない。むしろ男性トイレにいたら捕まりますよ。まあ捕まる前にルール違反として強制的に戻されますけどね」

「あ、はい」

としか言いようがなかった。

「だいたい、事前に言いましたよね。姿が変わるって女子トイレからリスポンしたなら自分が女子だって気づかないもんですかね。察しが悪いなあ」

今は主がうさぎで従が僕。ここぞとばかりに責められるな。姿が変わることは確かに聞いていたがまさか性別まで変わってしまうなんて思っても見なかった。

「今のあなたは女の子です。トイレに行きたくなるなんてことはその体ではありえないし大丈夫だと思いますが、そのほかにも女性だということを自覚して行動してください。外から見ればそこそこかわいい女の子としか見られないので」

男からしてみればあり得ないほど短いパンツをはいていた。この体のせいなのか寒さは全く感じない。お尻のちょっと下くらいから靴の上まで見えている僕の生足は脚フェチの人にはたまらないくらい細く健康的だった。

上半身は胸がないことを隠すかのように露出は控えめで上下ともに白を基調としたものに多少のデザインが入っているものだった。これがおしゃれなのかはファッションに全く興味のない僕にはわからないが色味的には周りの人にまぎれ込めていた。

「話は戻りますが」

電話越しにうさぎの声が聞こえる。

「私がポイントで買ったものはそのバッグかポケットに入ります。なお、こちらからは蘭様の視界と同じ映像は見られますが、声は聞こえないのでもし何か用事、があるときはこの携帯からこちらにおかけください」

「かけろと言われても電話帳に載ってなかったぞ」

彼女ははあとため息をついた。

「最近の携帯って着信履歴っていうのが残るらしいですよ。そこからもう1度かければかかってきた電話にかけなおせるみたいです。すごいですね最近の技術は。最近のね」

ところどころ馬鹿にしてくるこの女は絶対Sだ。仕事のストレスを僕にぶつけてるんじゃないのかとおもうほどだった。戻ったら絶対リュックを忘れたことをもっと追及してやる。

「まだなんか用ある」

ちょっと強めに言ってやった。

「もうないです」

「あっそう」

と言って着信を切った。電話でもっといろいろ言ってやりたいところだったが、主従関係の都合上彼女も強く出ると考えられるので、簡単には終わらなさそうだったし、僕は口げんかで女性に勝てるほど強くはなかった。

「はあ」

とため息をついた。現世での行動開始早々こんなことになるとは思っていなかったからちょっと出鼻をくじかれた気分だ。さて、どうするか。時計台の時計は17時半を少し過ぎたあたりを指していた。待ち合わせでよく使われるこの場所は駅から近いということもあり平日でも祝日でもこの時間の人通りは多かった。スーツ姿のサラリーマンはかなり速いスピードで歩いて行ったり、制服を着てラケットをもった高校生は部活帰りか。いかにもちゃらちゃらしてそうな大学生もいる。大学生か。ちゃらちゃらしている中に知り合いはいなかった。

今日は確か死んだ日がポッキーの日だったからそれから43日後は・・・11月はにしむくさむらいだから30日まで。ということは12月23日天皇誕生日。えらい日にリスポンしたもんだ。そう考えてあたりを見てみるとカップルが多いような気もする。今まで誰とも付き合ったことのない僕はもちろん彼女と過ごすクリスマスなんて妄想の中でしか体験したことはない。この時期になるといつも一緒にいる3人でナンパをしに行く

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