⑤
先ほどまでの笑顔、ではなく驚きの表情だった。そしてそのまま部屋から出て行った。と思ったらまた入ってきた。そして先ほどまでなかったインカムに何やら話しかけ、こちらをちらっと見た後笑顔になった。「えっとさっきぶりですよね」
さっきがどのくらいかはわからないがそんなに時間はたっていないように思う。そんなことを考えても彼女は全く反応をしない。
「あっ、ここでは心の声は聞こえないので声に出してしゃべってもらえますか」
さっきぶりに声を出す。
「ここって・・・さっきまでいたところと何が違う」
「先ほどまでいたところはあなたの想像の世界、頭の中の世界とでも言ったらいいのでしょうか。蘭様が手をかざしたあの瞬間から意識だけを別の場所に飛ばされていたのです。なのでこちらの世界ではあなたの心の声を聞くことはできません」
意識だけを飛ばす。そんなこと可能なのかと思ったが、そんなことよりも信じられないことがたくさん起きている。今更そんなことに驚いても仕方ない。僕はふうんとよくわかったようなふりをして彼女を見た。
「それでは現世に行く上でのルールについて説明いたします。このルールというものが先ほど説明された不自由さというものになります。
その1:現担当官と主従関係になってしまう。
その2:現世での活動時間は午後5時から午後9時までの4時間とする。
その3:現世でのポイントの使用は担当官に一任する。
その4:犯罪行為やそれに準ずる行為は禁止とされ、罪を犯した場合は強制的に戻され、さらにそれ相応の罰を受ける。なお、車の運転も禁止とする。
その5:現世でのあなたはあなた自身ではなくなる。
そしてこれが最も重要なルールとなります。
その6:現世の人間にあなただと認識されてはいけない。
以上の6項目になります」
彼女が紙を見ながら読み上げる声は耳からというより、直接脳に語り掛けてくるようだった。おかげで6項目すべてを丸暗記できた。できたというよりもさせられたという感覚が強いのだが。この丸暗記した6項目をああなるほどじゃあ現世に行ってきます、なんて言える人はいるのだろうか。紙を読み上げた彼女は満足そうにこっちを見ている。また質問ですか怒られやしないかとひやひやしながら言った。
「あの質問してもいいですか」
彼女の反応は思っていたものと正反対で待ってましたと言わんばかりの反応速度でどうぞといった。
「主従関係とはどういう意味ですか」
「主と従者の関係です。主が従者よりも上に立ちます」
確かに主従関係の説明をしろといったが言葉の意味を聞いたわけではない。そんなことは知っている。
「えっと、じゃあ僕が主であなたが従者ということでいいのかな」
「半分正解ですが半分違います。いえ、この場合6分の5は正解といったほうが正確かもしれませんね」
ふふふと彼女は笑った。6分の5がどっから出てきた数字かわからない僕にはウケどころがない。
「蘭様が主で私が従者であるのは蘭様がこちらにいる間だけのこと。蘭様が現世に行っている間は私が主で蘭様が従者となります」
24時間中20時間僕が主だから6分の5の正解か。まあ確かに正確にいえばそんなとこかもしれないが。半分正解で半分不正解といったときに本当に半分正解のことなんて少ないと思う。
「ちなみに私のことはうさぎとお呼びください。私はあなたのことを蘭様とお呼びいたします。」
「うさぎって名前なのか」
「そんな名前なわけあるわけないじゃないじゃないですか」
それがあり得るんだよな。キラキラネームみたいなやつで。僕らの世代はまだキラキラネームなんて言葉はなかったし、割かし普通の名前が多い。そのせいなのか何なのか自分の子供にキラキラネームを付けたがる親も少しいる。自分の子供にキラキラネームを付けるつもりはなかったが自分たちの世代にキラキラネームを付けている親が多いと考えると、逆にキラキラじゃないからと言っていじめられたりしないだろうかなんてことも考えた。世の中がキラキラネームばかりになればそうじゃないほうは少数派になって、世間では今時珍しい名前ねなんていわれるかもしれない。と、テレビのニュースを見てそんな妄想もしてみた。まあ今となってみればそんな妄想の意味もなくなってしまったのだけど。
「本名は別にありますけど、呼ぶときにうさぎのほうが忘れられないので便利なんです。ちゃんと耳だってつけてますし」
そういいながらうさぎは自分の耳を触った。だからスーツにうさ耳というへんてこな格好をしているのか。
「主従関係は蘭様が現世に行くという選択をした時点ですでに結ばれています。なので私はあなたをさっきから名前で呼ぶことを許可されています」
そういえば蘭様、蘭様とさっきから何度も呼ばれている気がした。友達が蘭様と冗談交じりで呼んだことがあった。街中で蘭様なんて呼べば近くの人はこちらを期待を込めて振り向き、その1秒後にひそひそと話し始めた。蘭様なんてよべば、大抵の人は宝塚に出てくるような人を想像してこっちを向くけど、そこにいるのは可もなく不可もない僕だ。そのときは真顔で友達にその呼び方だけはやめろと怒った。ここには僕と彼女しかいないし、期待を込めて振り向いてくる輩はいない。
「少し話はそれますけど蘭様って宝塚に出てくる男役の人みたいですね」
彼女は笑いながら言った。こいつ確信犯か。何か言い返してやりたいのだが、うさ耳付けてうさぎなんて名乗っている相手に対して言い返す言葉もない。
「怒りましたか。冗談ですよ冗談。いい名前だと思いますよ。蘭様」
フォローしているつもりなのかバカにしているのかわからないがこれ以上この話題をするつもりはなかった。
「主従関係になるというのはお互いを名前、とか愛称で呼び合うことなのか」
「それもありますが、そんなことよりも主従関係ですので主は従に命令をすることができるといことが重要です。基本的に私から蘭様に命令をするということはないと思ってください。蘭様が私に命令をすることがほとんどだと思います。ただし、不条理な命令に関しては罰が与えられますのでご注意を。命令したいときはうさぎ、の後に何か言ってください」
どんなことが不条理と判断するのかわからなかった。なにか試してみるか。
「うさぎ、床をなめろ」
「-50ポイント」
僕が命令を言い終わるとほぼ同時にどこからか僕に-ポイントを告げる声が聞こえた。
「このように不条理な命令をするとポイントがマイナスされます。・・・そんな趣味をお持ちだったんですね」
「あ、いや、今のは不条理な命令ってのがどんなものかを試してみただけでこんな趣味があるわけではなくて・・・」
「あ、でも大丈夫ですよ。どんな趣味の方でも気にしませんので。ただ、私は床なんてなめませんから」
彼女との距離がすーと遠くなっていくのを感じた。確かに数時間前に出会った女性に床をなめろはないと思った。この後彼女に何か命令する勇気はないからどこが不条理の境界線なのかは分からず仕舞いだ。冷ややかな目で僕を見ている彼女に質問する。
「現世でのポイントの使用ってどういうこと」
普通の質問が来たことに彼女は安どの表情を一瞬見せ、さっきまでの笑顔に戻った。
「先ほど生の精算所で精算されたポイントを使うことで現世での必要なものを与えられるというものです。ただ、基本的には何が必要で何が不必要化という判断は私が行います。もちろん相談は受けますが最終的な判断は私が行うということです」
「ということは5万ポイントからうさぎの判断で勝手に引かれていくということか」
「先ほど-50ポイントされたので正確に言えば4万9950ポイントですが。私に勝手に使われないために貯金のような制度もありますがそれは最後のステップでお話しさせていただきます。それとももう最後のステップに移ってもよろしいですか」
まだ質問したいことがあった。首を横に振った。
「現世でのあなたはあなたではなくなるって、性格とがが変わって自分が自分じゃなくなるということか」
自分の日本語能力のなさにあきれる。自分でも何を言っているのかよく分からない。しかし、彼女は理解してくれたようだ。
「あなたがあなたでなくなるというのはあくまで第3者から見たあなたがということです。姿かたちが変わりますので見た目であなたを赤間蘭だと判断できる人はおりません。中身はあなた自身ですので性格は元の自分のままであるし、記憶ももちろんそのままというわけです。」
姿かたちが変わる。整形でもしない限り現世ではかなわない夢だなと思った。どうせ変わるなら町中でみんなが振り向くようなイケメンになってみたいな。どうせ6日間しか居れないのだから。
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