「何ですか」

「死んだことに気づいておられない方は死んだときの記憶がないことが多いんですよ。あなたもそうじゃないんですか」

死んだ時の記憶なんてあるはずもない。そんなものがあったらこの先にあるかもしれないドッキリを期待することもないし死因を聞くこともない。

「知らないです」

彼女は待ってましたと言わんばかりにこちらを振り向き1度にっこりしてからまた前を向き、得意げに話し始めた。

「本当に知らないのか、思い出せないだけなのかで大体の死因というのはわかります。もし本当に知らないのであれば寝ている間に誰かに殺されたとか、背後からいきなり襲われて即死したとかが考えられます。思い出せないだけの方の場合頭を強く打って死んだ方がほとんどです。あなたの場合はおそらく後者です。といいますのも、前者の場合は死んだ方は被害者であることが多いため加害者に対する怨念が強いため、こちらに来てからの行動がとても素早いです。目覚めてすぐに犯人に対して行動を起こします。生の精算所にて死因がわかりますので加害者もすぐにわかられます。」

「すぐに行動ってどういうことですか」

「そういう方たちは自分で勝手に目覚めます。あなたは私が呼びに行くまで目覚めなかったでしょう。おそらくずっと目覚めずにゲームばかりしていたんじゃないかと思われます。」

寝たままゲームをしていたということだろうか。確かにあんなゲームは見たこともやった記憶もなかった。

「目覚めるというのはこちらでは無意識の状態から目覚めるということを指します。通常無意識状態での行動は現世の時によく行っていた行為をされますので、おそらくビデオゲームばっかりされていたのではないですか。」

彼女の推理は当たっている。ゲームはよくする。僕はうなずくと彼女はまた満足そうな顔になってつづけた。

「ところでどこまでの記憶はあるんですか」

「どこまでってどういうことですか」

「例えば、自分の名前や生年月日、職業など自分に関する友達や両親、最後の晩餐など何を覚えていらっしゃいますか。」

名前は赤間蘭。蘭という名前から小さい頃は女の子みたいってよくいじめられた。その頃はよく父に名前を変えてくれなんて言ってたかな。成長するにつれ自己紹介の時のネタになったりしてだんだん好きにはなっていたけど。生年月日だってもちろん覚えている。生まれたときのことはあまり聞いたことはないけど、うだるように暑い日だったらしい。職業は大学生で友達の名前もちらほら思い出せる。両親は母は小さいころに事故死して、今は父との2人暮らし。残念ながら最後の晩餐というか最後に食べたご飯だけ思い出せなかった。このことをかいつまんで彼女に話した。

「やはり、死ぬ直近の記憶だけないのですね。そっちのほうがいささか都合がいいような気がします。最後の晩餐については記憶があろうとなかろうとどうせ思い出せないと思いますけどね。42日前に食べたものなんか覚えているほうが気持ち悪いですもの。それが最後の晩餐になるとも思っていませんでしたもんね。」

41日前。彼女はそう言った。

「僕は42日間無意識にゲームをしていたのですか」

「はい。こちらに来て41日後に呼びに行くのが私たちの仕事ですから。」

ということは42日間あの部屋で無意識に過ごしたということか。思い出せない。無意識だから仕方ないのか。

「今日は何月何日ですか」

「残念ながらわかりません。ここには日付という概念は意味を持たないのでわからないのです。」

「意味を持たない?」

「現世のように季節が変わるわけでも日付で決まったイベントがあるわけではありません。1日という区切りは現世と同じです。なので明日とか明後日とかの概念はあっても日付という概念は存在しないのです。でも生の精算所まで行けば死んだ日付がわかるのでそこから計算することは可能です。」

ここまで彼女と話してきて本当に僕は死んだのではないかと考えていた。心のどこかにはまだこれは夢だとか、ドッキリだと願っているがこのどこまでも続いている廊下、ドッキリにしては出来すぎている設定によってその望みはどんどん小さくなった。もうほとんど観念したとき彼女は言った。

「着きました。」



着いたといわれても目の前にあるのは普通のエレベーターで「うえ」と書かれたボタンだけがついている。ひらがなでうえと書かれていることに違和感を感じる。

「では準備ができたら押してください。」

「準備?」

何の準備だろうか。「うえ」に何があるかわからない以上なんの準備が必要なのだろう。プールでもあるなら準備体操でもしておこうか。かわいい子がいるのなら髪でもセットしに行こうか。はたまた映画でも見るならトイレにでも行っておこうか。

「死に直面する準備は出来ましたか」

そう言う彼女の顔に先ほどまでの笑顔はなく真剣そのものだった。

「あなたはこれからうえに行き、様々な死後処理を行ってもらいます。その中にあなた自身の死の瞬間というものももちろんございます。自分が死ぬ瞬間というのを見る機会はこの場でしかありませんので誰でもが初体験でございます。いくら映像とはいえ自分が死ぬ瞬間を見るというのは精神的に負担が大きいものです。なので心の準備をここでお願いいたします」

自分の死の瞬間。想像もできなかった。彼女が言うには頭を強く打って死んだ可能性が高いと言っていた。頭を強く打つシチュエーション。車に乗ってて窓から頭を出しているときに標識に頭を打ち死亡。道を歩いているときに上から鉢植えが落ちてきて死亡。そんなちょっと珍しい死に方なら運が悪かったなんてことで葬式のネタになったかもしれない。階段から転んで死んでたら完全に笑いものだな。

「ただ、あなたの場合は目立った外傷もないということから考えますとそこまでの覚悟は必要ないかと思います。外傷がひどい方はとんでもないグロテスクな動画が流れる可能性がありますので」

ということはいよいよ階段で転んで死んだ説が現実味を帯びてくる。まあ、ゲームで自分そっくりに作ったキャラクターが死ぬことはよくあるし階段で転んだ自分を見るのは恐怖に耐えるというよりは恥ずかしさに耐える精神が必要なのかもしれない。自分が階段から落ちて死ぬ様子を想像してから彼女に告げた。

「準備万端です」

彼女はの真剣な顔がまた笑顔に戻った。ほんとに表情豊かな人だと思った。僕も表情豊かだといわれることが多かった。というよりすぐ顔に出てしまうらしい。トランプのババを引いたときはすぐにばれてしまうし、麻雀も手がいいときはにやついているらしい。

この人も多分トランプとか苦手なんだろうな。

「ではうえのボタンを押して中にお入りください」

うえのボタンを押す。ウインという音とともに扉が開いた。僕に続いて彼女が入る。2人入るともうほとんど隙間がないくらいの狭さだ。普通のエレベーターと違うのは中にボタンがないことだ。彼女が入って少し後に扉が閉まってそのエレベーターは動き出した。

「どうしてボタンの文字がひらがなで『うえ』なんですか」

さっきの違和感を聞いてみた。

「生の精算所は『上』という場所にあります。ただ文字通りの意味とは少し違います」

そういうと彼女は右手の人差し指を上に向けた

「この上という意味ではなく『上』という場所にあるのです。まあ地名みたいなものです。」

つまり行き先を指すボタンだったわけか。

「ではなぜ『上』ではなく『うえ』なのですか」

そういうと彼女は少し錆びそうな顔でこちらを少し見てから言った。

「漢字が読めない子供も来ることがあるので」

返す言葉が見つからない僕は黙るしかなかった。急に静かになった小さな箱の中。窓はないから外は見えないが、ゴウンゴウンという音がかすかに聞こえる。上がっているのか下がっているのかはよくわからないななんてどうでもいいことを考えているうちにチンという拍子抜けする音でその小さな箱の沈黙は幕を閉じた。

「ここが生の精算所です」

彼女はもうすでにさっきまでの笑顔に戻っておりさっき部屋の前に立っていた時みたいに右手を挙げている。4畳半ほどの部屋に機械が1台置いてある。その機械の上には『せいさんき』と書かれている。これもさっき彼女が言っていた理由だろう。

「そこに右手を付けてください」

機械の右側に手のマークがあった。

「ここでいいんですよね」

念のため確認してみる。彼女はゆっくりうなずいた。右手を付けた。彼女がさよならといったのが聞こえたと同時に僕の視界は真っ暗になった。

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