第4話 本日のお代頂きました

 トン、タン、トン、タン♪

 トン、タン、トン、タン♪


 弦の弾く音。


  三味線? しかもこの音は民謡三味線。 弾いているのはセキだった。ゲンスケの篠笛しのぶえが、セキの小気味よい音色に重なる。エモトの太鼓、ユナのかね


 四人の背景がすうーと、暗くなり…。


「え―――?!」


 三海は、いつの間にか赤い橋に立っていた。


 橋の真ん中で、あの艶やかなサザンカの着物を着たオーナーが、色っぽく扇子をひろげる。


「はっ!」


 ビクリとしたのは、セキの驚くような男気溢れる合いの手。あのオネエ口調が、信じられない。


 三海の口からは、自然と歌が紡ぎ出された。


「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た」


「はっ!」


「「ヨサコ〜イ ヨサコ〜イ」」


 セキの合いの手に、ゲンスケ達の音と声が重なる。


 三海は再び大きく息を吸った。


御畳瀬みませ見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜」


「はっ!」


「「ヨサコ〜イ ヨサコ〜イ」」


 よさこい節…。高知県の代表的な座敷唄ざしきうただ。民謡というより俗謡に近い。


 この唄にはさまざまな説がある。高知城を築くとき、工事現場の人足たちの歌った木遣きやり唄だという説。


 『江島節』が土佐に伝わり、『よさこい節』に変化したという説。


 九州の薩摩さつま半島で歌われていた唄がかつお漁の漁師たちにより、運ばれたという説。


 いずれにせよ『よさこい節』の旋律が昔からあったのだろう。

 これに江戸末期、竹林寺の脇坊わきぼう妙高寺の僧と、鋳掛いかけ屋の娘のかけおちが歌詞に入り、今の形になったもの。


 八月の『よさこい祭』では、これに四つ竹の踊りを加えてアレンジされた『よさこい鳴子踊唄』が歌い踊られる。


 三海にとって染み付いた馴染みの歌。


 再び大きく息を吸って、歌おうとしたその時だった。橋の下で流れる川が波打った。


 さっきまでは、流れさえ感じなかった水が、急激に渦を巻き、強い風も吹き荒れて橋の袂を打ち付ける。


 美しいはりまや橋が、橋板の間から滲み出した泥水に浸かって、ぎしぎしと軋み揺れ、今にも崩れそうだ。


 狂気にみちた風は立っている事もできない。

 だが、なぜかサザンカの着物で舞うオーナーの周りだけ、風は緩み、激流も避けていく。


「歌を、止めないで」


 歌を止めるなと言われても、三海は恐ろしさで声など出ない。


 だが、よさこい節の伴奏はセキやゲンスケ達の手でつながり、彼らは真っ直ぐにオーナーを見つめて音を繋ぎ続けていた。


 川の激流が濁流にかわり、轟々とまっ茶色の泥水になって、川の側面が削られていく。


 セキの長い指は、イチョウ型のバチをはじき続け、音数を増やしていた。

 弦の音が反響し、腹の底を叩かれているような錯覚に、畏怖さえ感じる。


 それは、オーナーのいる赤い橋を揺るがす不穏な響きを打ち消すように。 


 ドカッ!!


 どこからきたのか、驚くほど大きな岩が、橋にぶつかった。流れてきた太い流木が橋につかえる。


「ひっ!」


 その流木を伝い、泥水から何かが這い上がっていた。


 現実でない事などわかっている。

 この荒れ狂う強風も、足元を濡らす氷水のような冷たさも、全てはまぼろし

 赤いはりまや橋も、そこに這い上がろうとする奇怪な化け物も現実ではない。


 場所は都会の路地裏で、三海は美容室にいるはずなのだ。


 だが、目の前には爆流にのまれた橋と、激しく吹き荒れる強い風。


 オーナーが舞う…そこだけが別世界だった。

 柔らかく着物の裾を舞い上げるそよ風。

 心地よさそうに、うなじをあらわにしたオーナーは、息を吸うのも忘れるほど美しい。


 狂気にのまれないオーナーが気に入らないのか、いっそう勢いをました濁流が、数枚の橋板をバキリ!!と、大きく跳ね上げた時。


「セキ…」


 オーナーの、澄んだ、落ち着いた声がそこにいた皆の耳に、すっと届いた。


 同時に、弦が高く鳴く。

 続いて、セキの伸びるハスキーボイス。


「西に竜串たつくし 東に室戸むろと 中の名所が桂浜 はっ!」


「「ヨサコ〜イ、ヨサコ〜イ」」


「アキ…」


「…思うて叶わにゃ 願かけなされ はやる安田の神の峰 はっ!」


「「ヨサコ〜イ、ヨサコ〜イ」」


 いつの間にか、オーナーの右手に刀身を輝かせた刀が握られていた。


 舞は、お座敷踊りとは違い、剣舞に変わっていた。


 その踊りが何を意味するか分からなくは、

ない。

 神聖な舞に間違いなく、みるみるうちに、激流は真っ白な糸を流したようにスジを引く。

 光りを反射していた白糸の川は、しだいに緩やかさをとりもどし、川底の小石や小魚を映し出した。


 空には、無数の星と、うさぎの餅つきがはっきりと浮かんだ満月。


 最後に、着物の帯をほどいたオーナーは、六通柄ろくつうがらと呼ばれる花柄を織り込まれた帯を、迷い無く川に投げ入れた。


 帯は緩やかな流れに沿って長く流れ、死者の魂を弔う灯篭流しのようだった。


「本日のお代、頂きました」

 

 穏やかに笑ったオーナーの顔と、困ったように眉を寄せて笑うセキとゲンスケ達の溜息が、なんだかとても印象的だった。



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