第922話 橘航

 やはり波があると難しいものだな。


 別にオレは名ドライバーとかじゃなく、そこそこ上手いだけの素人。慣れるまでには時間がかかるのだ。


 とは言え、そう長く練習(偵察)をするわけにもいかない。一時間で切り上げた。


 砂浜に乗り上げる前にホームに入り、水で洗い落としてから外に出た。


「おじちゃん、さっきのなに!?」


「ジェットスキーって乗り物だ。明日乗せてやるよ」


 はしゃぐマルゼの頭をわしわししてやった。


「ルズ。皆の様子はどうです? 潮の香りに気持ち悪くなってないですか?」


「子供たちはあのとおり元気さ。大人は慣れてないからはしゃげないでいるよ」


「まあ、子供たちはレンカたちが見ているからのんびりしてて構いませんよ。毒じゃないからすぐ慣れます」


 人間の慣れは早いもの。一日もいたら潮の香りも気にならなくなるさ。


「ん? きたようだ」


 ルースホワイトが上空を通りすぎ、ルースブラックの横に着陸した。


 出てきた中にマルスさんと嫁さんの……なんだっけ? 名前忘れました。ごめんなさい。


「お久しぶりです。すっかり体は元に戻ったみたいですね」


 公爵を連れていったときも見たような気がするが、どんな姿だったか思い出せない。どんなだったっけ? 


「はい。こうして動けるまで回復できました。今回はミリエル様に無理を言って連れてきてもらいました」


 なんでか知らんが、ミリエルを様呼びするヤツが多いんだよな。ミリエルの過去をしゃべっているわけじゃないのにな? 高貴さが漏れてんだろうか? オレにはさっぱりだがよ。


「こちらは構いませんよ。ただ、オレが楽しみたかっただけですからね」


 なにか崇高な目的があったわけじゃない。ただ、毎年恒例の海水浴を取り戻したかっただけ。楽しみたかったたけだ。


「ただ、人数が増えたので寝る場所を築かないといけませんね」


 飛行艇が二艘もあるから男女に分けたらいいか。子供たちはテントを張ればいいだろう。


「ミリエル。テントを増やしてくれ。オレはプレシブスを出すから」


 昨日から入ってはいたが、まず海を確認してからと出さなかったんだよ。


 腰くらいまで海の中に入ってホームに。プレシブスに乗って外に出る。


「ちょっと乗り上げてんな」


 艇が傾いている。これじゃ動かせないかもしれんな。


「アリサ! 土魔法を使えるヤツいるか!」


 マンダリンを子供たちに教えているアリサに向かって叫んだ。


「います!」


「悪いが、ここまで隆起させてくれ!」

 

 マイセンズ系のエルフはマサキさんの血が流れているからか、なかなか凄い魔法効果を見せてくれる。きっとチートな魔力を与えられたからだろう。子孫まで受け継がれて尚、人間の世界では生き難いのだから生きるって大変だよな。


「わかりました!」


 仲間に声をかけて砂浜を隆起させながらこちらに向かってきた。


「凄いな。魔力、大丈夫なのか?」


「魔石があるので大丈夫です」


「土の魔石ってなんなんだ?」


「マルティです。森によくいる小型の草食獣です。ピョンピョン跳ねるヤツです」 


 ピョンピョン? ウサギか? 土属性なんだ。よくわからないものである。


 まだ魔力(魔石)はあるのでさらに延長してもらい、プレシブスが浮くくらいまで伸ばしてもらった。


 ちなみにプレシブスホームに戻して移動させました。


 プレシブスに錨はないが、自動位置調整機能が搭載されているので、よほどの波でもない限り、その場からは動かない。万が一、動いたとしてもプランデットで戻せるようになっている。三百メートルも離れたら無理かもしれないがな。


「これ、操縦してもいいでしょうか?」


 土魔法を使ったヤツがプレシブスに興味を持ったようだ。


「いいぞ。オレはウルトラマリンを使うからな」


 万が一のときのために運んできたもの。覚えて子供たちをクルージングに連れてってくれ。


 マンダリンをプランデットなしに操作するだけはあり、プレシブスの扱いもすぐに覚えてしまった。天賦の才か? もしかしてこいつ、超優秀だったりする?


「黒髪ってことはマサキさんの子孫なのか?」


 名前は完全に忘れました。ごめんなさい。


「アリサの兄です。母は違いますが」


「え? アリサの兄だったったの!?」


 二人の父親、がんばってんな!


「はい。普段はカルと呼ばれていますが、日本名はワタル。タチバナの姓をもらっています」


「じゃあ、ワタルと呼んだほうがいいか?」


 カルと呼ばれていた記憶も名乗られた記憶もない。呼びやすいほうがこちらとしては助かります。


「マスターにそう呼んでもらえれば光栄です。これからワタル・タチバナ、いえ、タチバナ・ワタルと名乗ります」


「今さらだが、タチバナの漢字って伝わっているのか?」


「いえ、伝わっていません。ただ、ミカンに関係あるとは婆様から聞いたことはあります」


「じゃあ、橘だな」


 ノートを取り寄せ、橘って書いてやった。


「ワタルも……航かな? 乗り物が得意のようだし。名は体を表すような名前だな」


「……橘航……」


「まあ、使う場面もないし、ワタルでいいんじゃないか?」


 オレは名乗るときは一ノ瀬孝人と口にするが、それは礼儀として本名を名乗っているまで。この世界の者なら名前だけで充分だろうさ。


「いえ、橘航と名乗ります」


 うーんまあ、好きにしたらいいさ。

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