第2話 最低限の義務

 思いがけない人との面談を終えてから数日。


「陛下。お話があります」


 国王専用の執務室を訪れると、アンドレア様は迷惑そうな顔で私を出迎えた。


 アンドレア様は、私が誰と会っていたかなど、全く興味が無い様子だ。


 おそらく、知ろうともしていない。


 今日は、そんな彼に、伝えなければならない事を伝えに来た。


 彼に対する、私の最低限の義務だ。


「ジェマさんの散財が目に余ります」


 すぐ様舌打ちされた。


「たかがその程度の事で、この俺を煩わせるな」


「ジェマさんが使うお金の財源がどこからくるものか、ご存知ですか?」


「貴様が贅沢をしなければ、その分でジェマが使う金額くらい工面できるだろう」


 何故、私の実家のお金を愛人のために使わなければならないのか。


 その言葉をぐっと堪える。


「今年は不作の年となります。王家は国民に寄り添っているのだと示すためにも、ジェマさんが公に見せる姿は考慮された方がいいかと思います」


「俺に相手してもらえないからと、醜い嫉妬を見せるな。はんっ!ジェマが注目される事が許せないのだろう。浅ましい女だな。貴様のせいで俺とジェマの人生は狂わされた。結婚すれば、俺がお前のものになるとでも思ったのか」


「何度も申し上げましたが、陛下は誤解なさっています。幼い日の私の言葉がなかったとしても、ジェマさんは正妃にはなれません。私が妃にならなければ、他の高位貴族の令嬢が貴方の妃になるだけです。もっと、現実を見つめてください。このままだと、ジェマさんにとっても取り返しのつかない事にっ」


 その瞬間、パンっと乾いた音と共に、頬に衝撃が走った。


 勢いで体をよろめかせ、ジンジンと痺れたように痛む頬に思わず手を添える。


「貴様はジェマを貶めた。この程度で許された事を感謝しろ」


 憎々しげに私を睨みつけ、自分の行いが正しいのだと傲慢に振る舞う目の前の男の様子に、ああ、この人はもうダメだと、完全に諦めがついた瞬間だった。


 そんな仕打ちを受けても、アンドレアの前では表情を変える事なく、毅然とした態度を取り続けていた。


 私に落ち度は何一つ無いのだと、無言の抗議をする為に。


 そんな私の態度も気に入らない様子だったけど。


 部屋を出ると、すぐにソフィーが駆け寄ってきた。


「フリージア様、すぐにお顔を冷やしましょう」


 私を支えるように腕を伸ばしたソフィーを制して、伝えるべき事を伝えた。


「いえ、それよりも先に大聖堂に向かうわ」


「ですが、腫れてしまいます。もしかしたら、青黒くなってしまうかもしれません」


「大丈夫。それで構わないから」


 礼拝用の白いローブを着て、頭からフードを被ると、城に一番近い大聖堂に向かった。


 そこには顔見知りの聖職者がいるから。


 王都の大聖堂を管理する上級神官の事だ。


 大聖堂の一般の礼拝者が入れない区域に行くと、目的の方である神官が姿を見せてくれた。


 私達の婚姻式を執り行ってくれた方だ。


「フリージア様、いったいそのお顔はどうなさったのですか」


 年配の神官であるハリソン様は、私の顔を見るなり驚いた表情をされた。


「私が至らないばかりに……」


 涙を浮かべながらそれを告げると、すぐに察してくれた。


「陛下は、何という心無い事を……力無き婦女に暴力を振るうなど信仰に反く行為だ。それに、神の前で誓った言葉を蔑ろにするとは」


「ハリソン様……もし、私が耐えきれなくなった時には、お力になってもらえますか?」


「もちろんです。そうでなければ、聖地である公国に対して申し訳が立たない。さぁ、あちらで治療を施しましょう。その頬はよく冷やされた方がいい」


 ハリソン様に案内されて、大聖堂の治療室へと向かった。


 冷やすのが遅くなったから、明日以降で肌の色が変色しているかもしれないけど、それはそれで動かぬ証拠となって好都合だった。


 誰が何をしたのか、目で見えたものが何よりも雄弁に語ってくれるから。


 大聖堂から帰るときには、恥と外聞を考えても、人目のある場所を通った。


 質素な装いで頬を赤く腫らした王妃が、浮かない表情で俯きながら歩いていたら、人々にはどのように映ったか。


 翌日。


 自分の顔を見ると、白い肌にほんの少しだけ変色している部分があった。


 拳で殴られたわけではないけど、頬骨のところはそれなりに痛かったのと、肌もそこまで強くないから色が変わりやすかったのだと思う。


 そんな私の顔を見て、父はもちろん激怒していた。


 今はまだソッとしておいて欲しいと父に頼み、淡々とした日々を過ごしていた。


 黙々と大人しく貞淑な妻として、執務室で自分の役割をこなしていると、


「ごきげんよう。お飾り王妃様」


 居住している建物自体が違うのに、わざわざここを訪れたのか、ジェマが断りもなく訪ねてきた。


「陛下を怒らせたそうね?ごめんなさいね。陛下の寵愛を独り占めして」


 入室の許可など出していないのに、勝手に入ってきて、勝手に目の前に立ち、私に小馬鹿にしたような笑みを向けている。


「でも貴女はまだまだ、お飾り王妃でいてね。離婚なんてしないわよね?できないわよね?だって、私に追い出されたみたいで惨めよね?」


 そんな事をできるはずがないと高を括っている様子だ。


 ジェマには視線も向けずに、手元の書類にサインをしていた。


「貴女は今日も美しく、寵姫に相応しいお姿ですね」


 視線は向けないままそれを告げる。


 お飾りなのは貴女の方だと。


 私がいなければ困るのだから。


 何もできなくて。


 バレたら困る秘密も抱えていて。


 そうやって、私を馬鹿にできるのも今のうちだ。


 相手にされていない事が分かると、ジェマはすぐに部屋から出て行った。



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