伍:サムライガールは姉っぽいヤツと会話する

 布擦れの音が小さく響く。着ている服が体から離れ、空調の心地良い空気が直接肌を刺激する。


 鍛えられたアトリの肉体が露になる。程よく引き締まった足。発声練習と適度な運動を重ねた腹筋。サラシから解放された双丘。歴戦を乗り越えた肩から腕。それでいてまだ若い乙女を思わせる白い肌。


 ここはクリムゾン&スノーホワイト会場の共同ロッカールーム。今から30分後に始まる桜花絢爛水飛沫に出場するダンジョンアイドル達が着替えをする場所だ。


 アトリは指定された番号のロッカー内に来ている服を入れる。試合に出るために、水着に着替えていた。


(あれが深層配信者、アトリ……)

(いろいろ油断ならないわね)

(強さもそうだけど、肉体的にも大したものだわ)


 声なく向けられるアトリへの興味。そして警戒。無言の圧力を感じながら、アトリはそれを楽しんでいた。注目されることではなく、良き戦いが起きる予感として。戦いのみが、彼女を高ぶらせる。


 スクール水着に着替え、セーラー服のトップスに袖を通す。ロッカーのカギをしめてロッカールームを出ようと視線を出口に向けたところで、に気付いた。


「ふっふっふ。貴方がアトリね。黙っていてもお姉ちゃんにはお見通しよ!」


 はロッカールームの出口に背を預け、アトリを見ていた。


「あね、うえ?」


 疑問形でアトリは問いかける。どちらかというと『姉上、何をしてるんですか?』的な追及だった。


 その声はアトリの姉、ツグミの声だ。<武芸百般>鳳東。アトリが長年追い求めてきた姉の声だ。それは間違いない。たとえボイスチェンジャーを使われても、イントネーションや言葉使いからアトリは姉だと判断できる。


 だがその格好がアトリの理解を超えていた。


 体を隠しているのは、胸と腰部分を覆う赤い金属製の鎧だった。鎧、とは言うが金属が守っているのは乳房と臀部のみ。その金属部分を体に固定させるワイヤーっぽい金属製の紐。


 いわゆるビキニアーマーである。


 そしてアトリが最も疑問視しているのは、頭部を覆うフルフェイスの兜だ。頭部全体を覆う円柱形の赤い兜で、十字型ののぞき穴が開いている。グレートヘルムと呼ばれるバケツ状の金属兜で顔を隠しているのだ。顔を隠して肌隠さず。そんな恰好である。


 つまり、バケツヘルム+ビキニアーマー。


「私は貴方のお姉ちゃんじゃないわ!


 通りすがりの謎のフルフェイスナイト、武芸百般オールアーツよ!」


 親指で自分を指さし、姉っぽいバケツ女はそう言い放った。この声、この格好、この奇行、この破天荒。どう見ても姉であった。


「おーるあーつ」


「イエス! 武芸百般と書いてALL ARTSとルビる! 貴方の覇道を止める可憐で最強の騎士よ! なお貴方のお姉ちゃんである七海ツグミとは全くの無関係!」


「確かに身内がこんな奇天烈な格好をしているというのは受け入れがたいですし、無関係ということにしたいのですが」


「こらー! お姉ちゃんに向けてなんてこと言うのアトリ! ちょっと傷ついたじゃないの! お姉ちゃんを敬いなさい!」


「どっちなんですか」


 いきり立つバケツヘルムに遠慮のない意見を言うアトリ。その返答に怒りの声を上げる<武芸百般>。いや本当にどうしろと。アトリならざるとも、対処に困る。


「姉への敬意を忘れずに、でも私は姉ではない存在! そう言う事なのよ!」


「はあ、まあ。じゃあそう言う事でいいんで。せめて上着ぐらい来てください」


 わがまま放題の姉……ではないビキニアーマーに向けてため息をついていうアトリ。実の姉が顔だけ隠して裸同然の鎧を着ているのは、妹として色々恥ずかしい。肌面積もあるが、その組み合わせが。


「ふっ、甘いわねアトリ。この桜花絢爛水飛沫がどういう大会か知らずにやってきたわけでもないでしょう。実力と水着審査。この両方が得点になるのよ。


 この格好もまた武技。最高の肉体を魅せつけることで戦う前から相手の意思を砕く! 盤外戦略を卑怯などと寝ぼけたことはいわせないわ!」


 言ってしなを作るビキニアーマー。顔はバケツに隠れて分からないしはっきり言ってギャグかと思うほどの場違いだが、肩から下は見事と言っていい妖艶さを見せていた。


 金属で申し訳程度に隠された乳房はセクシー系ダンジョンアイドルに匹敵するほど大きい。その大きさを最低限の金属で守ることで、防御を捨てた攻撃特化の形を見せている。


 そして胸から腰、そして臀部へと続く曲線美。なだらかなカーブは可憐な花を思わせる。しかし同時に触れようとする者に痛みを与えるバラの棘がそこに在った。美しく、そして強さを感じさせる女の罠。


 そこから足元へと視線を移せば、すっりと長い脚がある。成長した女性の足。同時に人の命を奪う武術家の足。至高の芸術品にして、精練された武具。あらゆる武器を扱うツグミを示すかのような、蠱惑的で鋭い足。


 体を鍛えぬ乙女がこれを見て戦慄するのも無理はない。己が不摂生を呪い、生まれ持った才の差を心に刻まれる。<武芸百般>が戦略と称して見せつけに来るのも、間違いではない。……あくまで肩から下だけだが。


「成程。つまり某に対する挑戦状と受け取ってもいいと。


 何なら今ここで雌雄を決してもいいのですよ」


 姉の挑発と受け取ってもいい行動に拳を握るアトリ。拳を握るアトリにビキニアーマーは肩をすくめた。フルフェイスで表情はわからないが、小さく鼻を鳴らしたような動きだ。


「ここで殴り合えばアナタは失格。お姉さんと戦うことができなくなるわ。そんなこともわからないとはまだまだ甘いわね、アトリ!」


「いやだから今目の前に姉上がもぎゅ」


 ビキニアーマーを指さして言葉を続けようとするアトリに近づいて、手のひらでアトリの口を押さえて言葉を止める姉。囁くように『あ ね じ ゃ な い か ら !』とバケツの奥から声が聞こえてきた。その声にツッコミを諦めるアトリ。


「ええと。ではおーるあーつ殿は何をしに来たのですか? 某の敵情視察とかですか?」


「アトリの事なんかそれこそ手に取るようにわかるわ。配信アーカイブも見たし、ちょぉぉぉぉぉぉっと想像以上に胸が大きくなっててなんだよお姉ちゃんが高校の時はそんなになかったぞなんでだこんちくしょう!」


 アトリの問いかけを否定するように腕を組み……その後血涙を流すかのように悔しそうな声を上げる<武芸百般>。アトリは一瞬何と答えららいいのか考え、


「姉上の教えてくれた修行を欠かすことなく続けた結果かと」


「ぐっはぁ、なんという事なの! 確かに高校はいろいろうつつを抜かしてたけどその差がここまで出るとは!


 ……と、貴方の姉は過去を悔やんでいるに違いないわ! 人は長く生きれば生きるほど、後悔することが増えてくるのよ!」


 生きるという事は過去が増えるという事。そして行動することは選択した結果が増えるという事。選択しなかった未来は得られず、その未来に後悔するのが人間なのだ。成程そういうものなのだな、とアトリは頷いた。


「お姉ちゃんがここに来たのは宣戦布告よ」


 ショックから立ち直り――どちらかというと自爆していたのだが――<武芸百般>がアトリを指さし宣言する。さっきから自分のことを思いっきりお姉ちゃんとか言ってるけど、堂々巡りになるのでアトリはスルーした。


「この『人』ステージで戦えば、いつかお姉ちゃんと戦う時が来るわ。その時には完膚なきまでに叩きのめしてあげるから。


 まあ野暮な水着にマニアックなセーラー服着ただけの格好で、水着審査の点数がどれだけ稼げるかわからないけど。もしかしたらお姉ちゃんと出会う前に失格になってるかもしれないわね」


 ふふん、とアトリを見下すようにバケツヘルムを後ろに傾けるお姉ちゃん。格好に関してはバケツヘルム+ビキニアーマーもどうなんだという意見があるが、アトリはそこに思い至らなかった。


「完膚なきまでに、ですか。ええ望む所です」


 目標としていた姉にそこまで言われたのだ。挑戦者としては滾るモノである。っていうか、一回ぐらいは完膚なきまでに叩きのめして反省させたいところだよこの姉。


「え? もしかして叩きのめされることに喜び感じちゃった? ちょっとやめてよ。我が妹ながらドン引きなんですけど」


「違いますから」


 本当にこの姉は一度ぎゃふんと言わせないと。深く心に誓うアトリであった。


 そう言う個人的な想いもあるが、アトリの本音はこちらである。


「本気で挑む相手に本気で返す。それは戦う者として当然のことです。どういう思惑でこの戦いを選んだのかはわかりませんが、どのような戦いでも臆することなく挑む。


 それが某の信念です」


 相手がこちらに戦意を向ける以上、その意思に答えるのがアトリだ。戦意失い降伏したモノには手を出さないが、どういう形であれ相手が戦いを挑むのならそれに応じる。それがアトリと言うサムライだ。


「……ホント、真面目チャンよねアトリは。そう言う所が変わってなくて嬉しいわ。


 まあ、だからこそあんなチャチい挑発に乗ってくれたんだけど」


「敢えて乗ったんです。乗らないと姉上はこの事を延々と責め続けますから」


「なによー。お姉ちゃんが細かい事をネチネチ責める性格の悪い女みたいじゃないの。細かい事は気にしない明日は明日の風が吹く系のイイ女に向けて失礼じゃない?」


「自分に都合の悪い事はすぐに忘れ、都合のいい事だけを覚えている。それを『細かい事は気にしない』というのなら、それは違うと否定させてもらいます」


「ふ、人生を楽しく生きるには『忘れる』ことも大事なのよ」


 じっと睨んでくるアトリの視線。それに耐えきれなくなったのか、バケツヘルムごと顔を背ける姉。やべぇ、この妹、舌戦も強くなってた。いろいろ友人にもまれてツッコミ力が増したか? 予想外の妹の成長に驚き、同時に嬉しくもあった。


(全く、3年だっけ? その間にいろいろ大きくなったわね。いろいろ変わって、色々おんなじ。いろんな人と関わって成長したのね。


 ずっと鍛えてたお姉ちゃんとして複雑だけど、だからこそ戦えるのが楽しみね!)


 口には出さずヘルムの中で笑みを浮かべる<武芸百般>。前に会った時とは違う妹。その戦いに心が躍っていた。 


「もう用件は済みましたか?」


「ええ。深層配信者のサムライガールがどんな相手か。それを直で見れただけで十分よ。


 それじゃあ改めて、桜花絢爛水飛沫の舞台で待ってるわ」


 言って踵を返すビキニアーマー。アトリもその背中を見届け、背を向けた。


 これはただそれだけの話。謎のバケツヘルムビキニアーマーと、サムライガール、アトリが出会って宣戦布告されただけの話。


 ――まさかこの時に3サイズを目測され、さらにはその情報をリークされるなど、知る由もなかった。

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