伍:サムライガールは温泉に入る

 温泉――


 多胡旅館にある温泉は地熱により加温された非火山性温泉である。タコやんから聞いた話では、250年前の祖先がこの温泉を見つけて宿を建てたのが多胡旅館の起こりだとか。


 広さはそこまで大きくなく、男湯女湯共に4人入るのが限界と言った広さだ。とはいえアトリたち以外に女性客はいないため、実質女湯は貸し切り状態である。


 さて、女性三人が温泉に入っているとなれば――


『おお、アトリ大先輩の胸、大きいですね』


『こらっ、何をするのだ里亜!?』


『足もすらりとして……同じ女性としても羨ましいです』


『ひゃわわ……!? ちょ、何をするのだ!』


『えへへ。慣れない感覚に戸惑うアトリ大先輩、カワイイです。


 女の子だからわかるコト、教えてあげますね』


『ま、まて!? っ、その、その手つきは……!


 あ、ちょっ、やめっ、ゃ……!』


 ……………………。


「せっかくの温泉やし、そんな流れになると思ってたんやけどなぁ。温泉会の鉄板やで」


「タコやんは里亜のことをなんだと思ってるんですか?」


「アトリに斬られたい変態後輩」


「誰が変態ですか!? 里亜はアトリ大先輩に斬られたいだけです!」


「いや……。斬られたい方も否定してほしいのだが」


 湯船につかりながら、アトリとタコやんと里亜はそんな話をしていた。体を洗ってかけ湯をし、肩までお湯に使って体を温めていた。


「タコやんて思ってた以上に温泉の常識に精通してますよね。さすが旅館の家族です」


「ああん!? 衛生とか清潔の概念持ってれば、水着不可とかタオル湯船入れるなとか当然やろが! 旅館の子とか関係あらへんわ!」


「まあまあ。私はタコやんの博識にはいつも助けられているぞ」


 アトリはそういって宥めるが、温泉に入る際のタコやんのマナー講座は徹底していた。


『水着とか邪道や! どんだけ汚れてるか分からんしな!』

『湯に入る前に体洗うのはマナーやで! かけ湯は正義!』

『タオルは旅館が用意したもん以外は入れたらアカンで!』


 温泉マナーに不慣れな里亜とアトリに叫びながらも、細かに教えてくれたのはタコやんである。


 温泉は皆が使う公共施設。そこを汚さないように使う行動は重要だ。それを守るのがマナーであり、そして知識。ルールとは場を守るためのモノであり、それを逸脱するものがいれば環境は汚されていくのである。


 そうして保たれる清潔こそが、心地良い『場』を保つのである。アトリ達はその『場』を満喫しながら、頭上に浮かぶ満点の星々を見ていた。スモッグの薄い地域では、星の瞬きが煌めいている。


「星がきれいですねぇ……。知ってますか、アトリ大先輩。あれがベガとアルタイルですよ。七夕で言う所の織姫と彦星です。


 愛し合う二人はイチャイチャしすぎて仕事がおろそかになって、上司に別れさせられて一年に一度しか会えない遠距離恋愛を強要されたんです。そしてせっかく会える日だというのに、その日は短冊の願い事を叶えないといけない羽目になりました。すごいパワハラですよね」


「お、おう……。里亜は七夕に何か思う所があるのか……?」


「間違ってへんけど、悪意ある解釈やなぁ」


「七夕はみんな知ってることですからね。普通に説明するより、こういう捻ったトークの方がウケがいいんです」


 どうやら配信で使うネタのようだ。里亜は神学系の学校に行っているので、この手のトークネタはそれなりに多い。


「配信のネタと言えばタマネギモドキってキノコがあってなぁ」


「キノコ? 玉ねぎではないのか?」


「しかも見た目は玉ねぎよりもジャガイモに似てるんや」


「タコやんのホラが始まりましたよ、アトリ大先輩」


「マジやって! しかもそいつが巨大化したようなヤツが上層にたくさん生えててやな!」


 吸い込まれそうなほどの星空を見ながら湯船につかる。気の合う友人とそんな軽快な話をしながら、体を温める三人。


「……で、あのメリケン人やけど」


 そんな会話の中で、ぼそりとタコやんが話題を上げた。


「メリケンサックがどうしたんです?」


「分かっててボケてるやろ? 日本かぶれと米国マンセーの兄ちゃんたちや」


 タコやんが話題にあげたのは、旅館であったアレンとブライアンだ。


「米国なのに万歳マンセーとか朝鮮語混じるのって変じゃありません?」


「なんでも取り入れて和製単語にするのが日本人のええ所なんや。知らんけど。


 あいつ等がウチら……って言うかコイツを狙っているって思うか?」


 アトリを指さし、里亜に問うタコやん。


 タコやんはアレンとブライアンがアトリを狙ってやってきた者だと思って聞いてみたのだ。その問いかけに里亜は眉をひそめて思考する。だが結論はすぐに出た。


「んー……可能性は低いと思います。ぶっちゃけ、疑う要素がありません」


 スパイ活動などをして、基本的に他人を疑う事から入る里亜はないないと首を振った。


「アトリ大先輩の事を知らなかったのが演技だとしても、アトリ大先輩がここにいることを事前に知って宿を取ったというのが無理筋です。


 疑うわけではありませんけど、タコやんの家族が情報を漏らしたと仮定しても里亜達よりも早くアメリカからここに来ることは不可能です」


 あの二人はアトリ達がチェックインするより前に宿にいた。それはアトリ達より先にこの宿にチェックインしていたという事だ。


 アトリ達が多胡旅館に予約を取ってから2日も経っていない。その情報が漏洩していたとして、アメリカからダンジョンを通ってここまでやってきてアトリ達より先にチェックインしていた……というのは流石に不可能だ。


「あ、米国から来たって断言しているのは喋り方に特徴があるからです。母音寄りではなく子音よりの発音ですね。日本人が『あいうえお』の母音中心の発音に対して、英語は子音中心なのでよくわかるんです。


 日本に帰化している外国人とは違う口調ですから。そういう演技をしている可能性もありますけど、それを言いだせばもう何でもありですしね」


「せやなぁ……母音子音はわからんけど、ウチもおなじ意見やわ。


 こんな辺鄙な宿を選んだ理由はわからへんけど、コイツを狙うためとかってのは流石に考えすぎやろ」


 問いかけたタコやんも里亜に同意する。いくらなんでもあの米国人がメディア関係者とは思えない。偶然ここにいただけの珍客。そうとしか思えないのだ。


 ――いくらなんでも、予知能力でアトリが多胡旅館にいる未来を知ってここにやってきた、などど思うはずもない。


 アレンとブライアンを疑ったのは昨今のメディア関係で神経をとがらせていたこともあったが、もう一つ別の理由があった。


「というわけや。ウチも里亜も考えすぎや、って意見やで」


「むぅ……」


 タコやんの言葉に唸り声を上げるアトリ。


「しかしなぁ。なんというかあの二人には違和感を感じたのだ」


 別の理由。それはアトリがあの二人を怪しんだからだ。理由は上手く説明できないが、なんとなく違和感を感じる。


「違和感てなんやねん?」


「こちらを見ているようで見ていなかったというか、視線以外でこっちを見ていたというか……。


 あと動き方が……どこか魔物のようだったというか」


「わけわからんわ。ダンジョンの魔物が化けて出てきたとか言うんか?」


「いや、そういうのでは。人間なのに魔物のようというか、目線は遠くを見ているようで、でも別の何かで私達を見ていたというか」


「こりゃあかん。アトリ語は解読不能や」


 上手く説明できないアトリに肩をすくめるタコやん。


「現状あの二人を疑う理由は特にありませんからね。要注意ぐらいでいいと思います」


 アトリ大好きな里亜も、さすがに論理的ではないとアトリの懸念をやんわり否定する。アトリも二人にそこまで言われると気にしすぎかも、という気持ちになってくる。


 実際のところ、視線ではなく超感覚でアトリ達を見ていたり、魔物素材で構成された義手義足を使用しているアレンとブライアンの特徴をアトリはしっかり捉えてているのだ。それをうまく言語化できないだけである。


「そんな感じでええやろ。そう言えば明日はどうする? 朝からダンジョン行くんやったら朝市に行く兄貴の車に乗せてもらうように頼むけど」


「いや、午前中はりもーと授業を受けなければならないからな。午後から行くとしよう」


「里亜は朝から行きますね。リモートはある程度消化しているので問題ありません」


 タコやんの質問にアトリが昼から行くと言い、里亜は朝から行くと答えた。


「バス停まで結構歩くから、遅れへんようにしぃな。一本逃すと次4時間後やで」


「いや、前も言ったが良いランニング道だし走って行こうかとおもう」


「……ホンマ、お前ならできそうで怖いわ」


「タコやんはどうするのだ? 家族と団らんでもするか?」


 アトリの問いかけに、タコやんは表情を歪ませた。


 家出の件、家族の件。気を使ってくれているのは理解できる。実際、理性では家族と色々話すべきなのだというのはわかっている。


 わかってはいるのだが――


「こんな山奥に籠ってられるか。朝一で日本橋行ってジャンクパーツ探すわ」


 皮肉気に鼻を鳴らしてそう言う。これ以上言う事はないとばかりに、湯船から上がって脱衣所へと向かった。


(ダサいなぁ……。オトンから逃げてるのバレバレやんか)


 アトリも里亜も何も言わずにいてくれるが、タコやん自身が自分の態度の意味を一番理解していた。


「……むぅ。余計なお世話だったか」


 アトリは余計な事をしたか、と額に手を当てて湯船から出た。タコやんの為を思っての言葉だったが、些か性急だったか。


「いいえ。いいアシストだったと思います。タコやんがヘタレただけですから気にしないでください」


 アトリを追う様に湯船から出る里亜。タコやんにとって家族は心の大きなウェイトを示すようだ。いきなり素直にはなれないものである。


「これもまた、刀で解決できぬ問題よな」


 難しいものだなぁ、とアトリは眉を顰めるのであった。

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