▼▽▼ 里亜は父親を調べる ▼▽▼

 毒物――


 化学物質において毒性(刺激性及び腐食性)が高い物質を指す。分類としては劇物と毒物と特定毒物に分かれ、劇物の方が致死量が低い。……が、その辺りを正確に分類するとややこしいので、一定の毒性がある物質を全て毒物と描写する。


 ダンジョンにおける毒物は魔物が使用する毒スキルやトラップに塗られた毒物などがある。爪や牙、武器等に塗られて傷口から侵入する毒物。身体の噴出口から吐き出されて皮膚を腐食する毒物。呼吸器から体内に侵入するガス状の毒物などだ。


「はぁ……はぁ……!」


 里亜は今、毒物の影響で苦しんでいた。不整脈、呼吸困難、そして全身麻痺。指先一つ動かすことができず、ただ荒い息を繰り返している。それでも酸素が足りないとばかりに心臓は激しく脈打ち、しかし体の感覚は少しずつ薄まっていく。


「く、ぁ……!」


 自分という存在が希薄になっていく感覚。麻痺した感覚は五感を世界を感じることができなくなり、酸素が足りない脳では耳鳴りしたような不快感を感じる。それなのに心臓の音だけは確かに感じ、それが死を告げる足跡のような錯覚さえ覚える。


「ぁ、ぅ……っ」


 酸素不足で肉体がけいれんし、自分の意思ではどうにもならなくなる。毒物の影響で、里亜の肉体は機能しなくなった。重量にすれば1グラム。その中に含まれる化学物質が致死量になったのだ。


 里亜の体は数度痙攣し、そのまま力尽きる。呼吸は停止し、瞳孔は開いたままだ。心臓も停止しているだろう。素人目にも死亡している里亜の肉体は――そのまま消失した。


「ぶはぁ! 苦しかったぁ!」


 里亜は――正確に言えば里亜本体は、新鮮な空気を求めるように大きく息を吸い込んだ。今苦しんで死んだのは里亜が作り出したトークンだ。トークンに毒を食べさせて、その苦しみを里亜本体が感じていたのである。


「自分の体が自由に動かせなくなって、徐々に死に蝕まれていく感覚でしたね。呼吸困難で酸素不足になって意識が白濁して、激しい心臓の脈動が視界を赤く染めて、麻痺していく四肢が手足を奪われるような絶望感を感じました!


 ええ、自分ではどうしようもないですね。異常状態回復役は必須です! 毒は原始的ですが効果抜群ですからね!」


 毒で死にゆく感覚をレポートする里亜。周りにいる人達はそれを録音し、或いは筆記する。


「貴重なご意見感謝しマァス! お口直しにこちらのキノコ料理をお食べくだサーイ!


 中層で採れたフキノキノコと白菜のスープデース! ダイエットにも効果的の一品デース!」


 そんな里亜にキノコスープを差し出す男。フランス帰りのキノコ博士……という設定のロマン・ジャレだ。アクセルコーポの『キノコノコノコ』チャンネルのリーダーである。


『キノコノコノコ』……地上やダンジョン内のキノコを専門に扱うチャンネルだ。キノコ料理だけではなく、キノコ魔物のファンガスをテイムしたり、回復アイテムとしてキノコを扱ったりと意外と手広い。


「わーい。ありがとうございますロマンさん!」


 かつてはアトリを倒して数字を稼ごうとしたロマンだが、見事に返り討ちに合って恥を晒した。その後は反省して原点に戻りキノコに関する配信を繰り返している。その際に里亜にも迷惑をかけたが謝罪なども行い、チャラとはいかないが会話をする程度には関係は良好である。


「しかしユニアミィおともだち~。いくら死なないからとはいえ、こういう事は控えたほうがいいとおもいマァス!」


 里亜はトークンを産み出して毒キノコを食べ、その効果を言葉通り身を持って体験して、その感覚をキノコノコノコのメンバーに伝える『試食バイト』をしていた。


「いいじゃないですか。毒キノコの効用を人体でレポートできるとかキノコ研究家としてもいい事じゃないですか?」


「ノンノンノン! こんなの公表できまセェン! 人体実験を行ったと知れたら、ジャわたしは終わりデース!


 ……ま、参考にはなるので情報だけは記録しますガ」


 倫理に反する事ではあるが、その情報自体は貴重なものだ。犠牲者からの感覚を理解すれば、毒で苦しむ人を助けることができるかもしれない。繰り返すが、倫理に反することでロマン自身は乗り気ではない。が――


「うへへ、感覚がどんどん希薄になるのに心臓の感覚だけが強く残るとか新鮮でした……。呼吸困難と全身麻痺のダブルコンボで自分が自分じゃなくなるのも、えへへ。クセになりそう……」


 里亜も了承済み……どころか喜んで毒死しているところもあるので多分合法……になるかもしれない。今回の毒見も里亜が『本当に死ぬわけじゃないですから!』強く申し出たことだ。だが里亜の性癖とか将来のためにも、禁止したほうがいいのは間違いない。


「まあそれはそれとして聞きたいことがあるんですよ。


 ロマンさん、加賀見フォルテって配信者知ってます? 10年ぐらい前に『道徳破壊者モラルブレイカー』とかいうチーム組んでたみたいなんですけど」


 里亜がロマンの元を訪ねたのは、『ぴあ&じぇーろ』を配信している加賀見フォルテの情報を得るためだ。ネットで得られる情報はある程度得たので、当時の加賀見を知る人を探していたのだ。


 そしてフォルテと同世代の配信者を探したところ、ロマンがヒットしたのでやってきたのである。


「ああ、いましたネェ! ダンジョンの壁に落書きアートしたり、他人の配信に割り込んで暴れまわっていたりしてまシタ!


『俺達はモラルに囚われねぇ! 自由に生きるんだ!』とかなんとか。やってることは何処にでもいる迷惑系でしたネェ!」


 当時を思い出しながら苦笑するロマン。その辺りは里亜もネットで調べて知っている。配信数を上げるために、あくどい事を繰り返す配信者。自由と言いながら、配信数という数字に操られた道化。それが里亜の評価だ。


「最終的にイキってゴブリンの巣に特攻して全滅とか、テンプレな末路でしたしねぇ」


「当時は上層でゴブリンが大量発生して、ゴブリン退治配信がかなり流行りましたからネェ! それに当てられたのでショウ!」


「そうなんですか?」


「ウィ。あまりの数にエクシオン・ダイナミクスが支援するほどの事態でシタ! ポーションセットの配布やゴブリンの魔石に追加ボーナスを出してマシタネ!」


「へ? エクシオンが?」


 あまりのことに驚く里亜。


 三大企業はダンジョン活動を支援するための製品を作り出したり企業所属配信者に装備を与えたりはするが、企業無所属の配信者には何の関心も持たない。


 魔物が大量発生してもむしろそれを好機とみて、ガチガチに支援した企業配信者をそこに送り込んでアピールの場にするのが定石だ。魔石を高く買い取るなどという企業無所属者にも益の在る事をするなど、まずやらない。


 ましてやポーションセットの配布という損しかしないことをやる意味がない。それだけのことをするなら、自企業の配信者を支援するほうが得なのだ。


(損得を言ってられないほどに状況が切迫していた……? いえいえ、でしたら他の企業も動いていたはずです。


 エクシオンだけが赤字覚悟でそんなことをする理由はない。……ちがいますね。エクシオンにとってこれが利益になるから一見損に思えるキャンペーンを行ったという事ですか)


 口元に手を当て、考える里亜。企業が損をするように動くはずがない。何かしらの目的をもって、損にしか見えない事をしたのだ。


「……ちなみに、ロマンさんはその流れに乗ったんです? エクシオンからポーションセット貰ったりしたとか?」


「ノンノン! ジャはアンクォヤブルすごいなキノコがありますから、不要デース! キノコロマァァァァン!」


 バフ効果や回復効果のあるダンジョンキノコを【アイテム効果増幅】でブーストして戦うスタイルのロマン。彼が率いるキノコノコノコにとって、わざわざポーションを買う理由はないのである。


「その支援もあって、多くの配信者がゴブリン退治配信を行ってマシタ! 道徳破壊者モラルブレイカーもその流れに乗ったのでショウ!


 まあ、結果は無残デシタが。当時は散る配信者も多かったデスから仕方アリマセンネェ! ダンジョンは自己責任デス!」


「まあ、それは事実ですよね。そこに同情するのは間違ってます」


 実力をわきまえずに魔物に挑み、散る。そんなダンジョンを甘く見た配信者の末路は数多い。全滅配信をまとめたサイトまでできるほどだ。


(加賀見フォルテは無謀というよりは世間の流れに乗った形でゴブリンに挑んだという事ですよね? おそらくエクシオンの支援を受けて)


 里亜は保存してあった動画ファイルを再生する。前にアトリに見せた加賀見フォルテがゴブリンに挑む動画である。


『俺達はモラルに囚われねぇ! 自由に生きるんだ!』

『今日の道徳破壊者モラルブレイカーはゴブリン退治配信だぜ!』

『大量のポーションも持ったし、ゴブリンなんか余裕だぜ』


 ゴブリンの大量発生。エクシオンの支援。この事実を知った後だと少し意味合いが変わってきた。無謀な挑戦には違いないが、企業が産んだ流れに乗せられているのだ。


『ポーション飲んで強化完了! 行くぜぇ!』

『おらおらおらぁ! 大したことねぇな!』

『ポーション効果でスキルマシマシになった俺達に勝てるわけねぇだろうが!』

『ヒャッハー! 突撃だ!』


 ここまで攻勢だが、突如画面が揺れる。


『……え? なんで後ろからゴブリンが!』

『ミナミ! ヒーラーがやられた!』

『天井から岩だと! 【罠発動】か!』

『何だこの数!? あり得ねぇ!』

『ひぃ!? 助けてくれぇ!』

『フォルテの奴、気配消して逃やがったな! ぎゃああああああ!?』

『ごめんなさいごめんなさ――』


 動画はここで暗転し、終わっている。里亜はファイルを閉じて、思考した。


(加賀見フォルテが無謀で自分勝手なのはクズ配信者なのは間違いありませんけど、ゴブリン退治配信なんてことをしようとしたのは世間の流れに乗せられたから。


 つまりあの人は世間に流されがちな性格。昨日さんざん脅してきたのも、怯えを隠す為のポーズでしかないという事でしょうね)


 加賀見フォルテのパーソナリティが見えてきた。悪ぶっているくせにいざとなれば逃げだす小心者。自由だのモラルなど言うのは、自由に飛び出せない自分への反動なのだろう。


 そこまで考えて、里亜は眉をひそめた。


(そんな小物オブ小物な性格の人が、ダンジョン法スレスレのやり方で子供を使ったモン虐配信? しかもインフィニティック最強レベルまでの実力者になった?


 あり得ませんね。加賀見フォルテはそんな冒険をするような性格ではありません。過去の栄光に縋って今を生きる配信者に暴言を吐く老害になるのが関の山です。アトリ大先輩を襲ったのも今のトレンドに従ったからでしょうし。


 こういう性格の人が冒険的な行動をとってしかも成功しているというのは……単に超好運だったのか、あるいは助言やサポートを行うバックがいるという事ですよね)


 そして可能性が高いのは後者だ。里亜は思っていたよりも大きな事態なのではと訝しむ。慎重に事を進めないと危険だと第六感が告げている。


 ――もしこの動画をタコやんが注視していたら、ある事実に気付いただろう。道徳破壊者モラルブレイカー達が飲んでいたポーションの存在に。


『ポーション効果でスキルマシマシになった俺達に勝てるわけねぇだろうが!』


 スキルブレイクと呼ばれるスキルシステムのリミッターを解除する毒物の存在に。

 

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