▼▽▼ 正義(正常な世界)VS偽物(トークン) ▼▽▼

 ――その日、世界はひび割れた。


 世界中にわずか数ミリの壁が走り、数ミリの壁で世界は分割された。地球の如何なる技術を用いてもその壁を突破することはできない。光も、音も、電波さえも通さない壁。


 空高く飛び上がっても超えることはできず、地下2000mのトンネルまで届いていた。人工衛星から送られた映像は、地球が178分割された映像だ。卵にヒビが入るように、地球にヒビが入っている。


 それと同時に世界中にダンジョンの入り口が発生した。別時空別次元への入り口。困惑する国家はその入り口に潜入する。しかし勝手の違う未知な状況に対応できず、大きく勢力を削られてしまう。


 そんな中、後に三大企業と呼ばれる組織がダンジョンを攻略し始める。企業はダンジョン内の魔物を倒して魔石を回収し、その魔石からスキルと呼ばれる魔物の使う能力を抽出した。またさまざまなアイテムを入手し、攻略に役立てた。


 同時にインフラ整備などを行い、人類の生活水準を一定に保った。ダンジョンを通してのネットワーク。危険ではあるがダンジョンという存在が受け入れられる。80年も経てば、ダンジョンは世界にあって当然のモノになっていた。


 時空嵐と名付けられた世界の分割。同時に顕現したダンジョン。


 それを不服に思う組織がある。三大企業の一つ、インフィニティック・グローバルだ。


 インフィニティックのトップ層はこの世界そのものをダンジョンと同化させたがっている。ひび割れなどという中途半端な結果ではなく、完全に破壊してダンジョンの一部にしてほしいと思っている。


 ダンジョンという高次存在を『あの御方』と呼び、この矮小な世界を捧げようとする。それがインフィニティック・グローバルだ。


 そんなインフィニティック・グローバルと同時期にダンジョン攻略を始めた企業の一つ――アクセルコーポも時空嵐を不服に思っていた。


「この世界は間違っている」


 世界は分割されるべきではなかった。


「いつか、元の世界を取り戻す」


 ダンジョンという存在を忌み、元の世界を取り戻したい。


 ダンジョン顕現時、アクセルコーポ創始者を始めとした世界規模の大部隊はその災害を察知して妨害しようとした。5945種類の物理的妨害、3258種類の魔術的妨害、2189種類の概念的妨害をもって止めようとした。


 世界規模の大儀式をもって、世界が分割される程度に被害が収まったのだ。


 多くの犠牲を出したアクセルコーポの前身組織は、ダンジョン攻略によりダンジョンを排除しようとする。ダンジョン顕現を止めようとして多くの犠牲を出した彼らは、ダンジョンのエッセンスを利用するしかダンジョン攻略を為す可能性はないと判断した。


「この世界は間違っている」


 世界は分割されるなど間違っている。


「いつか、元の世界を取り戻す」


 ダンジョンを排して、元の世界を取り戻す。


 前に進むための組織アクセルコーポ


 しかし時は戻らない。覆水は盆に返らない。壊れたモノは元に戻らない。


 ……………………


「ダンジョンは毒。ダンジョンはあってはならない存在。ダンジョンは異なる存在の侵略。ダンジョンによる世界侵略は、ギリギリのところで押さえ込んだ。


 アクセルコーポ創始者を始めとした人たち……かつてダンジョンと呼ばれる存在の侵略からこの世界を守った人達の言葉」


 里亜はTNGKを見ながら言葉をつづけた。


「魔術師。TNGK大先輩はその子孫なんですね」


「よく調べ上げたな。大したものだ」


 問われたTNGKは賞賛の言葉をもって肯定の意思を示す。隠すつもりはなかったが、積極的に公開するほどでもない。今の時代でその事実を告げても、奇人扱いされてデメリットが大きいからだ。


「そうですね。資料もなくほとんどが眉唾物でした。時空嵐で消失した記録も多く、断片的な情報を集めた推測程度です。ここでTNGK大先輩にしらを切られれば、追及することはできませんでした」


 調査が甘い事を告げる里亜。実際、魔術師がどういう存在なのかもあやふやだ。かつてこの世界をダンジョンの侵攻から防いだ存在。その情報もホラ吹きの戯言かもしれない。


 ただ、そんなウソみたいな話も複数集まれば多少の信ぴょう性は生まれる。そんな程度の確信だ。


「この地球はかつては全て繋がっていた。時空嵐によって生まれた壁などなく、ダンジョンという危険な区域を使わずともどこにでも行けた。


 魔物などいなかった。危険がないとは言わないが、ダンジョンほどではなかった。もう少し文明が進めば、宇宙に手が届いたかもしれない文明があった。それが正しい世界。それを取り戻すことが正義なのだ」


 80年前。ダンジョンがなかった時代。その時代のことを語るTNGK。とはいえ彼も伝聞だ。当時の記録と親からの話を聞き、ダンジョンに依存して生きていく現在の不甲斐なさと死亡率を幼いころから言われ続けてきた。


「ダンジョンなどなくとも世界は回ってた。いいや、ダンジョンが世界を狂わせた。


 ダンジョンに夢を見て挑み、欲望をむき出しにして理性を失った。物欲と名声欲が入り混じり、狂った者達がそこで命を落とした」


 TNGKの言うことは間違いではない。


 ダンジョンがない時代。それは確かに存在して、そこには一定の幸せがあった。戦争や犯罪もあったが、それでも繁栄と希望があった。


 だがダンジョンが現れてから世界は一変した。世界のつながりは消え、壁の向こう側の様子はわからない。繁栄も希望も寸断され、ダンジョン内から現れる魔物への対処に追われる区域もあった。


 ダンジョンがなければ、世界はもっと発展していた。


「ダンジョンは……ダンジョンと呼んでいる異世界は理解できぬ何か。神や悪魔と言った上位存在だ。我々魔術師を始めとした当時の人達は、その侵略を秘術などによって食い止めたのだ。


 ……辛うじて、だがね」


 自嘲するように唇を歪めるTNGK。術により多くの寿命を捧げ、その相貌は老人そのものだ。だがその瞳に衰えはない。体力こそ失われたが、それを埋めるように気力があふれていた。


「先人の努力には感謝します。もし彼らがいなければ、この世界はダンジョンエリアの一つに組み込まれていたでしょう」


 当時の人達が為したことを噛み砕き、里亜はそう告げる。ダンジョンが数多の世界が重なったモノなら、この世界も飲み込まれてその一つになっていた可能性はある。時空嵐という爪痕こそ残ったが、それでも世界はギリギリ命拾いしていた。


「そうだ。だからダンジョンは――」


「ですがダンジョンを世界から切り離すことは不可能でしょう」


 TNGKの言葉に重ねるように、里亜は告げた。


「――――っ」


 TNGKから放たれる空気が一瞬で怒気に変わる。味方と思っていた……少なくとも裏切らないと思っていた里亜の棘に気づいて。


「80年近く、世界はダンジョンと共にあります。その結果、確かにダンジョンがない世界よりも悪くなった部分もあるでしょう。


 ですがよくなった部分もあります。タコやん先輩が作ったカメラのように。アトリ大先輩のような達人が生まれたように」


「それが間違っていると――」


「いいえ。間違いではありません。


 みんなこの世界で生きて頑張っているんです。失敗を重ね、成功に喜び、一喜一憂しながら生きて頑張って成長しているんです。


 それは間違いなんかじゃありません!」


 最後語気を強めて、里亜は叫ぶ。


『本気になるとも。里亜殿の配信は某のとは違うが、里亜殿なりに本気で挑んだものだ』


 アンチコメントに対して本気で怒ってくれたアトリ。


『あのサムライがウサミミ付けるとかウケると思わん?』


 ふざけることに自分の技術を全力で投資したタコやん。


 皆、ダンジョンという理解不能なものと隣接する世界で生きているのだ。その在り方を、その生き方を『本当ではない』からと否定することは許さない。


「……ふん。君の理解が欲しいわけでもない。理解されずとも、私は間違いを正すだけだ」


「それはアトリ大先輩を社会的に辱めることですか?」


「そうだ。ダンジョンに挑む探索者。ダンジョンから多くの物資を持ち帰る英雄。異世界の物質など地球に在ってはならない。ダンジョンの魔物など例え有用でも穢れでしかない。


 アトリを叩き、出る杭は打たれることを知らしめれば二人目のアトリは簡単には現れまい。その流れは作ったからな。あとはデマに煽られて正義をかざす愚か者どもが勝手に英雄を叩くだろう。いつの時代も情報に踊らされる――」


 TNGKはそこまで言って、里亜が手にしている物に気が付いた。


 スマートフォン。小さいが録画機能や配信カメラにもなるモバイルだ。動画データはスマートフォンを通してアーカイブに保存されただろう。或いは生配信しているのかもしれない。どの道、今里亜の手からスマートフォンを奪っても意味がない。


「今の発言、しっかり撮らせてもらいました。


 TNGK大先輩に踊らされてきた人達はこの発言を聞いてどう考えるでしょうね? アトリ大先輩に謝罪するなんてことはないでしょうが、踊らされていた自分をなかったことにしようとするでしょう」


 ネットによる叩き。一部のデマに踊らされて誰かを叩いた人たちは、真実を知っても謝罪などしない。反省もしない。悔いもしない。ただ、それをなかったことにしようとするだけだ。発言を消し、デマを流した者が悪いと責任転嫁する。


 腹立たしいが、TNGKが産んだアンチアトリの流れを変えるには十分だ。TNGKは世論を動かしてアトリを責めている。その根幹を崩すには十分だ。


 自分の失言に、今更ながらに口元を押さえるTNGK。そんな彼に里亜は言葉を重ねた。


「タコやん先輩が言ってました。『騙される人間は、騙されるとは思ってない人間』だと。


 TNGK大先輩にとってこの部屋はホーム。ここから命令して多くの人達を動かしてきた場所。ここは自分が主導権を持つ場所。


 だからこそ、ここで主導権を握られるとは思わなかった。他の場所なら怒りに任せてこんな不用意な発言はしなかったでしょう」


 TNGKは慎重な人間だ。


 徹底的に自分につながる情報を断ち、表に出ないまま情報を操作して世情を煽る。この部屋を出れば、柔和で土いじりが好きな配信者に代わる。ダンジョンを嫌悪してはいるが、ここまで配信者に否定的な態度は取らない。


『何処でウチ等の居場所知ったかはわからへんけど、無駄な努力や! 襲った奴から芋づる式に引っ張ってやるで! 覚悟しとき!』


 この部屋は計略を練る部屋。そして策に嵌った者を嘲笑う場所。自分の思い通りに事が進み、相手を策に嵌めたことを感じる空間。――そう思わせるために、タコやんはわざとTNGKに踊らされているふりをしたのだ


 まさか自分が騙されるはずがない。自分は策を練る側。その逆などありえない。その傲慢が、TNGKの油断を生んだのだ。


「何故……だ!? 妹の治療を打ち切るぞ!」


 さらに言えば、里亜の状況も一役買っていた。里亜は妹の件があるから裏切らない。汚れ役をさせたので恩義こそ感じはしないだろうが、それでも裏切りはしないはずだった。


「はい。今までありがとうございました。これまでの支援は恩に着ます。ですがそれに値するだけの労働は返したはずです」


 頭を下げる里亜の態度が信じられなかった。怒りは里亜に向けられ、彼女に対する切り札を持つTNGKは意地悪く告げる。


「妹を見殺しにするのか。残忍な姉だな」


「いいえ。里香は見殺しにしません。治療の術は見つかりました。


 デュラハンの脳による体の遠隔操作。その研究が進んでいます」


 頭を上げ、里亜は言う。不随状態の妹。その治療の目途がなかったから、TNGKに世話になっていたのだ。治療の術が見つかったのなら、従う理由はない。


「デュラハンの脳……? あれは真っ二つになっただろうが」


「はい。真っ二つです。


 回収したタコやん先輩も無理と思っていたみたいですが、奇麗に分断された脳はまだ『生きて』いたらしく、研究に使用できたみたいです」


「……な、に?」


 驚くTNGK。里亜もこの結果には驚いた。


 左右の大脳半球は脳梁のうりょうと呼ばれる戦意の束で連結されている。右脳は知覚や感性を左脳は論理や思考を司り、その情報伝達を行うのが脳梁だ。これが分断されれば左脳右脳の連携はなくなるが、脳機能が損なわれたわけではない。


 アトリの刀閃は、右脳と左脳を傷つけずに脳梁だけを両断した。脳外科医も持ち込まれた脳の状態に舌を巻いたという。ここまで完璧な状態なら、研究も難しくはないと太鼓判を押したほどだ。


『ええと、脳を全く傷つけずに……という事ではなかったのか?』


『狙ってやったんかい。ホンマ、この剣術オバケはわけわからん事するわ』


 アトリの言葉にタコやんは呆れたようにそう笑った。そしてこれが里亜が二重スパイをするに至った最大の理由でもあった。


「だがその研究もすぐには完成しないだろう。研究が完成するまでの間、妹を世話するだけの費用を君程度の配信者が出せるはずが――」


「費用はアクセルコーポから借金しました。今回の下層探索コラボ配信を、成功させることを条件に」


 里亜の言葉に息を詰まらせるTNGK。企業としては下層突破という偉業を自社の配信者が絡んでいるならよしとするだろう。そういう意味で経済援助するのは間違いではない。


「く……っ!」


 だが、TNGKはそれが企業が裏切ったと受け取った。アトリを、ダンジョンからの毒を止めようとしている自分の正義を否定された気分になる。冷静な部分では実利を選んだのだと分かっていても、血が上った脳はそう受け取れない。


 いいやこれはハッタリだ。冷静になれないTNGKは里亜の裏切りを否定する。そしてその根拠はある。里亜がそんな動きをしているはずがない。何故なら――


「解せないな。いつの間にそれだけの手続きをしたんだ。悪いが君の妹の周囲には人を張らせていた。君が不穏な動きをすれば追跡し、報告するようにと。


 面会に来ていることは聞いていたが、病院移籍の手続きをしていたという報告は聞いてない。本社内での君の動きも部下がチェックしていたのに」


 TNGKは里亜の妹を監視していたと告げる。慎重に慎重を重ねるTNGKは、里亜を完全には信用していなかった。妹の件で逆らわないが、逆に言えば妹の件がなければ裏切るとみていたのだ。


 ゆえに里亜の妹の監視に人を割いていたのだ。だが、彼らからは何の報告もなかった、故に里亜の裏切りはないと信じていたのだ。


「はい。その人達は里亜をきちんとチェックしていたんでしょうね。


 正確に言えば、里亜と里亜のトークンを。そちらを追跡して別のトークンの動きを見逃したのだと思います」


「馬鹿な事を言うな。君のスキルは把握している。トークンがいる事を前提にして追跡しているはずだぞ。【感知】系と【追跡】系に長けた者をどう振り切ったんだ?」


 里亜が【トークン作成】スキルを持っていることは周知の事実だ。それを用いての配信やスパイ活動を行っていることも追跡者もそれは知っている。ゆえにトークンに惑わされたという事はない。


「里亜のトークンと里亜本人を追って、満足したんでしょうね。それ以上はないのだと。


 ところで、里亜が生み出せるトークンはだと思います?」


 里亜は誰にも見せていない切り札エースを切った。


「っ!? 2体が限界ではなかったのか!? それ以上は脳の処理が追い付かないから不可能のはず……いや、違う!?」


 二体以上のトークン操作は脳の処理が追い付かない。


 だが、操作しなくていいのなら?


という事か……!?」


【トークン作成】で生まれたトークンは本体の脳で動かすので、複数産み出せば操作が難しくなる。右手と左手で違う絵を書くようなものだ。里亜も最大2体が限界だと配信で言っていた。TNGKもスキル内容を調べ、相違ない事を確認している。


 だが生み出すだけなら2体以上作れる。複雑な動きをさせず、相手の注目を引くだけならトークンはもっと生み出せるのだ。


 例えば座ってスマホを弄る。ロビーをうろうろする。ペットボトルを口にして安堵する。そんな動作で追跡者の目を奪い、その間に複雑な動きをするトークンが用をすます。


 里亜のトークンは最大2体まで。その思い込みが煙幕となって里亜の行動を隠したのだ。こうしてTNGKにバレることなく、病院移籍手続きや企業への借金提案をしていたのである。


「当然、秘密です。アトリ大先輩にも秘密にしているんですからね」


「…………してやられた、という事か。こんな小娘に」


 小娘――タコやんの策や里亜の騙しに愕然とするTNGK。してやられたのを認めざるを得まい。心理的に。計略的に。完全に負けたのだ。


 張りつめていた気力が尽き、項垂れるTNGK。里亜はその様子を見て安堵する。ダンジョンから一気に地上に送る『魔術』を使われないように警戒していたのだが、その様子はない。


(大転移に捧げるだけの生命力はもうない。


 だがこの命を捧げれば、あの女に一瞬隙を作ることはできるだろう……)


 TNGKは頭を垂れながら黒い炎を燃やす。もはや八つ当たりにも等しい『正義』の炎。


(二人には足元を取られたが、アトリにはまだ負けてはいない。


 深層転送門を守る魔物の戦いに介入して、魔物に殺させる。そうだ。戦いに負けて無様を晒せば、私の正しさは証明される……!)


 配信画面は、アトリがサメ戦艦を沈めて納刀する姿が写っていた。

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