▼▽▼ 失敗続きの里亜だからこそ ▼▽▼

「里亜さん」


 アクセルコーポ日本支部内で、里亜は声をかけられた。配信者が寝泊まりする部屋から事務エリアに続く廊下。そこで背後から声をかけられたのだ。


 振り向くと、自分より頭一つ小さな少女がいた。里亜は一歩下がり恭しく頭を下げる。


「スピノ先輩じゃないですか! どうしたんです?」


「その……先輩呼びはやめてください。年齢も配信歴も里亜さんの方が上なんですから」


「そんなそんな! 逆に言えば、年齢も歴も上なのに登録者数で大きく差をつけられた里亜の無能さゆえの結果なのです!」


「その、頭を上げてください。他の人も見てますから、その、ね」


 里亜の態度に慌てて叫ぶスピノ。まっとうな感覚をしていたら、自分より年配者で経験が深い先輩に頭を下げさせるなど恥ずかしくて耐えられない。もっとも、里亜も里亜で登録者数で勝るスピノに頭を下げさせたくないからこうしているのだが。


「はっ、そうでした! 失念していました!」


 ばっと顔を上げる里亜。そして、


「里亜は現在チャンネル登録者数4桁! 6桁のスピノ様は大先輩とお呼びすべきでしたっ! 平に、平にお許しをっ!」


「わあああああああ。土下座とかやめてください! なんでそんな事するんですかぁ!


 とにかくお話があるので移動しましょう!」


 土下座する里亜に対し、スピノは大慌てで里亜を立たせて人気のない会議室に入る。タブレットで使用許可を取り、一息ついた。


「ふう、ここなら落ち着いて話ができますね」


「はい。スピノ大先輩のイメージ的に厳しい説教は衆目に晒せないですから。


 ここなら如何なる『かわいがり』をされても――」


「そういうのはいいですから」


 心の底からドン引きするように手をかざし、里亜の言葉を止めるスピノ。この人のこの考え方はどうにかならないかなぁ。額に手を当てて、ため息をついた。


「まずは配信停止解除おめでとうございます……と言っていいのかはわかりませんが、とにかくお疲れさまでした」


 咳払いをした後で、スピノは背を正して告げる。アトリとのコラボで発生した炎上未遂から一週間。里亜の配信停止処分も解除されたのだ。


「お気遣いいただきありがとうございます。スピノ大先輩も、里亜の為にアトリ大先輩に挑む形になってしまい、お手数おかけしました」


 里亜もスピノの言葉に丁寧にあいさつを返す。その言葉を受けて、スピノの表情は曇った。どうやら里亜を呼び止めたのはその件のようだ。里亜はスピノが話すまで、静かに待った。


「……私はあの人が許せなかったんです」


 ぽつぽつと話し出すスピノ。『あの人』と言うのはアトリのことだろうか。沈黙を貫き、話を待つ里亜。


「里亜さんとコラボしてコメントに突っかかって炎上させて、それが里亜さんを利用したのだと聞いて」


「はい、そういう意見もありましたね」


「でも……ネットを見れば違う意見もありました。あの人の言葉は炎上の火種になりましたけど、『悪辣なコメントによく言ってくれた』という意見です」


 里亜とアトリのコラボの際、里亜に対しての罵詈雑言を最初里亜はスルーした。アンチもまた数字と割り切り、柔軟にかわしたつもりだった。


 しかし、里亜のその態度を嫌う同接者もいた。大人の対応かもしれないが、アンチを野放しにすればつけあがる。言うべきことは言わなくてはいけないという意見だ。


 落書き理論と言う言葉がある。酷い落書きをされた壁を、毎日毎日消し続ける。その度に落書きされるがそれでも消し続ける。そうすることでいずれ落書きする人はいなくなるという話だ。小さな乱れも放置しないことが、治安を守るという事である。


「私は周りに言われるままにあの人に挑みました。


 ……その結果は、まるで子ども扱いでした。自慢の【鞭術】は全く通用せず、【制限呪力】はあえて受けてもらったようなもの。結果として勝っただけで、内容は惨敗でした」


 スピノもアトリがわざと呪いを受けたことはわかっている。里亜が配信停止したから、自分も同じように。それがなければアトリが呪いを受けることはなかっただろう。鞭の攻撃も当たらず、ロマンのように一蹴されていたに違いない。


「……本当に悔しいのは、あの戦いがバズったことです」


 こぶしを握り、心の底から悔しそうにスピノは告げる。


 里亜もその事は知っている。アトリに挑んだスピノの配信記録が大きく伸びたことを。それはスピノの口上や変身シーン、そしてアトリには遠く及ばなかったが【鞭術】の冴えもあるのだろう。


 しかし、本当の理由は別だ。


「アトリさんのアンチの人が私の配信を罵詈雑言の材料にして! そんな人ばかりが私のあの配信にリンクを張って! アトリさんに大迷惑をかけて……!


 私は……私の正義はあんな人たちに利用されて……!」


 アトリの敗北動画は多くのアンチアトリに利用された。『アトリ敗北!』『年下に負けるサムライ!』『正義の鉄槌!』『魔法少女、悪のサムライを討つ!』……題名は様々だ。


 だがその内容はスピノからは信じられない悪意に満ちた事ばかりだった。


「確かに私はアトリさんに【制限呪力】をかけました。それは里亜さんと同じ痛みを味わってほしかっただけで、それ以上のことをするつもりはなかったんです!


 なのに他の人はそうじゃなかった! アトリさんを必要以上に貶め、はけ口にして、今もアトリさんを攻撃しているんです!」


『世直し系』動画がやり過ぎだと言われることは多い。派手さと数字を求めるゆえ、私人逮捕の領域を超えて独善になる配信者は後を絶たない。スピノはそうならないように自らを戒めていたつもりだ。


 だけど、今回の件は明らかに彼女の思惑を超えた動きだ。湖に石を投げ込んだが波紋が大津波となって、相手を襲ったのだ。


(まさかTNGK大先輩がその流れを生んだとは思わないのでしょうね、この子は)


 第三者を通してスピノにアトリを攻撃するように指示したTNGK。スピノの結果に合わせて工作員は動き出し、アンチアトリを加速させた。それを受け入れるには、スピノの心は純真すぎる。


「私は……どうしたらいいのでしょう……?」


 想像以上の大ごとになり、どうしたらいいのかわからないスピノ。謝るにしても相手との連絡もつかない。それに謝ったとしても許してもらえるかどうか。そもそもこの状況をどうしたらいいのか、全く分からない。


 そんなぐちゃぐちゃの心中を察し、里亜はスピノに告げる。


「あ、それは気にしなくていいですよ。アトリ大先輩、あまり怒ってませんから」


 あっけらかんと。けろっとした表情で。


「…………は?」


「里亜も心配したんですけど、アトリ大先輩はこの状況自体をあまり気にしていないんですよ。さすがに住所特定は迷惑がってましたけど、どうにかなるかと言った感じでした。


 チャンネル登録者数100万を超えるアトリ大先輩! 心構えが違いますね!」


 呆けたような顔をするスピノに、里亜は笑ってそう告げる。実際、アトリは全くと言っていいほどSNSの流れを気にしていないのだ。……もっともそれは、こうして傍にいてくれる里亜達のおかげなのだが。


「なのでスピノ大先輩も気にしなくていいですよ。気楽に構えていきましょう」


「そんな……そんな簡単に割り切れるわけないじゃないですか!」


 明るく収めようとした里亜に、叫ぶように答えるスピノ。


「そうです、割り切れませんよ! こんな大ごとになって、こんな事態になって、その原因は私で! 私が正義とか言って襲い掛かって!


 こんなことになって、まだ正義のためにとか言えるはずがありません!」


 スピノの『世直し系』のコンセプトは『正義の魔法少女』だ。痛みではなく魔法(と言う設定の呪いスキル)を用いて相手に罰を与える。罪には罰を。重すぎず、しかし軽くもなく。これまでずっとそうしてきたのに。


「また同じようなことをするかもしれないと思うと、私はもう……!」


「そうですね。スピノ大先輩の魔法少女コンセプトからすれば、今回の結果は喜ばしい事ではありません。


 成功か失敗で言えば、失敗なのでしょう」


 叫ぶスピノに近づき、里亜は頷きながら答える。相手の言い分を否定ではなく肯定し、そのあとでスピノの肩に手を置いて言葉を続ける。


「でも失敗したならそれを反省して次に生かせばいいんです。或いは次に同じことが起きた時どうすればいいかを考えればいいんです」


「そんな簡単な事じゃ――!」


「失敗を反省して、やり直す。失敗から学んで、次に生かす。


 それは簡単な事じゃありませんよ」


 真剣な口調で、ここだけは理解してほしいという意思を込めて、里亜はスピノの目を見て告げた。


「失敗は痛いです。失敗は怖いです。失敗は辛いです。失敗は不安です。失敗したという過去は消えません。それが心の枷になる気持ちはよくわかります。実際、失敗がトラウマになる人もいます。


 先ずは失敗それを認めて、その上で考えるんです。痛みで泣きながら、怖くて震えながら、辛くて苦しみながら、不安に怯えながら。


 簡単な事じゃないんです」


 一言一言に重みを乗せて、里亜は年下の大先輩に告げる。自分よりも数字を稼ぎ、だけど失敗に怯えるまだ幼い子に。


 トークンを使って失敗しながら進んでいく里亜。失敗することの辛さや痛みなど十分に理解している。それでも求める『何か』の為に歩いていくのだ。それが『正義』だったり『配信者数』だったり様々だが。


「里亜さん……」


 きっと理解は遠いのだろう。それでも心に響いたのか、スピノの声は静かになった。失敗に苦しむ声ではなく、失敗を受け入れようとする大人しさを感じる。


「なんてね。ほら、里亜の配信は死にまくる配信。失敗するのは前提なんですよ。リアル死に覚えとか本当にキッツいんです。そりゃ覚悟も決まりますよ。


 失敗しないに越したことはありませんけど、失敗したら反省してやり直す! アトリ大先輩の方も挽回の為にいろいろ計画しているみたいですしね!」


 その様子を察して、里亜は明るく手を振って話をしめる。あとはスピノの問題だ。アトリに謝罪するのなら伝手を取ってもいい。気にせず『世直し系』を続けるかもしれない。或いは心折れてしまうかもしれない。それはスピノの判断だ。


「……挽回?」


 里亜の言葉に首をかしげるスピノ。ここまで悪辣に叩かれた状況で、何をどうすれば挽回できるのだろうか?


「ええ、復帰していきなりのダンジョン下層攻略。最高のカメラ設備を用いて、深層ボスを倒して深層到達を目指すそうです。


 周りの評価に負けず己の流儀を貫く。そう言う『正義』もあるという事ですよ」


 里亜の持つスマホには、花鶏チャンネルのトップページが映されていた。


『今世紀最大のダンジョン攻略配信の解禁まで、あと〇●時間! 


 花鶏チャンネル! × D-TAKOチャンネル! × ぷら~なチャンネル! 今話題の3チャンネルコラボ配信!


 最高の撮影機器! 雄弁なトーク! そして最強の刀技! この三つが深層への道を開く!


 配信者引退をかけた下層探索! 歴史の証人になるのは貴方だ!』


 ――流れは静かに、だけど確実に変わりつつあった。


 

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