弐拾壱:サムライガールは■■■■■と邂逅する

 ダンジョンが世界に現れたその日、世界は178分割された。


 時空嵐。


 そう呼ばれる厚さ数ミリの壁。それが世界中を裂いた。断った。隔離した。光も音も電波も通さない壁。物理的な方法では決して超えられないモノが地球を分断したのだ


 天まで届くなどという表現すら生ぬるい。地の底など遥かに超える。宇宙に出てもその壁を超えることは叶わない。気象衛星が映すのは割れた地球の映像だ。天候も狂い、世界は荒れに荒れた。世界を繋ぐのはダンジョンのみ。ダンジョンを通じてのみ、世界は繋がっているのだ。


「傲慢、嫉妬、憤怒、強欲、そして色欲。悪くない感情だな」


 突如生まれたその亀裂は、世界を分割した時空嵐と同じもの。その中心でしろふぁんは手を開いて閉じながらそんなことを言う。しろふぁんの体の動きに合わせて空間に亀裂が走り、声が響くたびに亀裂が広がっていく。


『何だよあれ……?』

『あの亀裂……時空嵐のだよな?』

『ダンジョン顕現時に発生した、アレかよ……』

『何でそんなものが生まれてるんだよ!?』

『は? なんで?』

『おい、これネタ動画だよな! ネタ動画だよな!』

『冗談だって言ってくれ!』

『俺、ダンジョンができた時にはまだ生まれてないんだけど……ばっちゃんから当時の苦労は聞いてる』

『なあ、これって結構ヤバくないか……?』


 コメントが疑問で埋まり、そして絶望に染まっていく。数十年前に起きた悲劇。世界を分割した大惨事。分割された『世界』の中には、今なお連絡の取れない場所もあるという。ダンジョンからあふれた魔物が支配する区域もあると聞く。


「何者だ? しろふぁん殿ではないようだが」


 そんなコメントを確認しながら、アトリは静かに問いかける。目の前にいる存在はしろふぁんの姿をしてしろふぁんの声色で喋っているが、しろふぁんではない。人間というカテゴリーに入れていいかもわからない存在だ。


「何者? ふむ、己の定義という意味か。少し待ってくれ。キミたちの次元で分かる単語をこの人物の脳内情報から抽出する。ふむ、成程、こういうふうに定義されているのか。ならこういうのが適切か?


 私はキミたちが<ダンジョン>と呼ぶモノが意思……が一番近い単語かな? そう言ったこの世界に通じるパスを持ち、中村しろふぁんという肉体を乗っ取った存在だ。彼が所有した【新世界秩序】という力の一端……スキルとキミたちは呼ぶのだったか? それを通してここにいる、というところか。これで理解できたかね?」


 疑問符だらけの返答を返すしろふぁんを乗っ取った存在。自分でもわかっていない……というよりは、わかりやすく噛み砕いて説明して、それが通じているかがわからないという口調だ。小学生に微分積分を説明するような、そんな顔である。


『え?』

『は?』

『ダンジョンが、意思を持って……?』

『スキルを通して……?』

『しんせかいちつじょ。何そのスキル? 聞いたことないんだけど?』

『理解を超えたんですけど』

『SANチェックしていいですか?』


 そしてそれを受けたコメントも疑問符の嵐だ。何が起こっているのかを正しく把握している存在など皆無だろう。


「某の名前は七海アトリ。名乗りに応じてダンジョン殿と呼ばせてもらおう。


 して、ダンジョン殿。汝は如何なる趣きでココに? よもや、観光などではあるまい」


「観光。ふむ、実はそれが一番正しいかな。飲み込み損ねた世界に何があるか、見て見たくてね。あの時は11392種類の物理的魔術的概念的妨害にあって中途半端な結果に終わったんだ。


 どんな生命体がいて、どんな文化があるのか。それを見て回りたい」


 にこりと有効的な笑みを浮かべる<ダンジョン>。心の底から、この世界に興味が沸いているという表情だ。


「戯れを。其方が動くたびにあらゆる存在モノが怯えて震えているのを感じる。


 蟻の巣穴に水を注ぎ込む童の如くだな。中にいる生命がどうなろうとも構わないように思えるが?」


 その笑みを固く拒絶するアトリ。この存在が動くだけで、世界は壊れる。アトリはそれを五感とそれ以上の感覚で感じ取っていた。


「当然。大事なのは生命体が生み出した情報だ。それを利用させてもらうだけだよ」


 アトリの言葉に理解していると答える<ダンジョン>。青カビからペニシリンを抽出するように、世界から情報だけを抽出する。その結果そこにいる生命が死に絶えようが気にしない。<ダンジョン>にとって、この世界の生命など無価値なのだから。


『なんだよこれ、なんだよこれ……』

『ホラーで言う上位存在ってやつか……?』

『え? もしかして、世界、終わる』

『冗談抜きで、ヤバイ』

『あはははは。俺、全貯金使って買い物するわ』

『通販届くまで世界があればいいけどな』

『あぎゅちおskじょぱぱ』

『(このメッセージは検閲削除されました)』

『おpgぷ0sぉpうぇ0ああ』

『(このメッセージは検閲削除されました)』


<ダンジョン>の存在を理解するにつれて、重く圧し掛かる絶望感。浸食してくる恐怖。圧倒的な絶望を前に人は現実から目をそらし、抵抗できない恐怖から逃れるために狂ったように叫ぶ。


 それが人間。人として、正しい在り方。30万を超えるほぼすべての同接者はコメントを打つこともできない。打てたとしても、絶望と恐怖を前にまともなコメントなど打てるものではない。


 故に――


「利用することを理解しているか。ならば、利用されまいと抵抗されてもやむ無しだろう」


 ここで正気を保てるのは、狂っている者だけ。


「世界そのものを震わせ、壊せる存在か。さぞ強いのだろうなぁ。


 これが武者震いか。某、うずうずしてきたぞ」


 目の前に強い存在がいて、それを斬る機会がある。世界そのものを壊そうとする破壊の意思は、アトリを含めた全世界に対する殺意も同意。それを魂で感じたアトリは、薄く笑みを浮かべていた。


「抵抗? まさかとは思うが、その原始的な物質でどうにかできると思っているのか?」


「一意専心に刀を振るい続ければ、必ず届く」


 ガエシがいた場所に落ちていた刀を拾い、構えるアトリ。その姿は絶望する同接者達にどう映っただろうか?


「ふむ、どうやらこの体の持ち主はキミにかなりの感情を抱いていたようだ。私にとっては些末事だが、宿した肉体に敬意を表して相手をしてあげよう。


 とはいえ、長くはかかるまい。指一振りで空間ごと割いてお終いだ」


「鬼に逢うては鬼を斬り、仏に逢うては仏を斬る。


 八卦六十四卦全てを斬るにはまだ届かぬが、さてこの刃は汝に届くか否か? その身で感じてもらおうか」


 些事とばかりに<ダンジョン>は呟き、アトリは口上の後に歩を詰める。7歩の距離を3足で詰め、刃はしろふぁんの肉体に迫る。常人であれば反応すらできない動き。戦闘系スキルを持つ者でも、回避が間に合わない速度。


「――――」


<ダンジョン>はその動きを前に、ただ人差し指を軽く動かした。


 ぴしっ!


 それだけで、アトリがいた空間に亀裂が入り、そこにいた存在を物理的に概念的に消滅させる。音もなく世界の一部を崩壊させ――


「空恐ろしいな。気付かねば飲み込まれていたぞ」


<ダンジョン>の背後から聞こえる声。崩壊の気配を察知したアトリが更に一足踏み込んで<ダンジョン>の背後まで移動したのだ。額に浮かぶ冷や汗。判断が遅れれていれば、この世界から痕跡なく消えていただろう。


「結果は同じだ。数秒生きながらえていたところで、人の末路は皆同じ。100年程度しか生きられぬのだしな」


 振り返ることなく呟き<ダンジョン>はこぶしを握る。それだけで空間そのものが破裂するように振動し、アトリはその振動に振り回されるように吹き飛ばされる。地面に叩き付け、数度硬いアスファルトを転がった。転がることで衝撃を逸らしたのか、跳ねるようにして立ち上がり、更にその場から離れる。


「自分を追い詰めていた存在をやり込める。成程、そういうことに快楽を生むのか、人間は。強さの差異による魂の軋轢。その開放。そして蹂躙するという支配欲。


 貴重な経験だな。人間というのはこういう存在なのか。しばしこの感情に身をゆだねるとしよう」


 アトリを圧倒する<ダンジョン>は、自分の内面から湧き上がる衝動に笑みを浮かべる。それはしろふぁんが持っていた感情。同化した<ダンジョン>はその感情をエンターテイメントのように楽しんでいた。


 そしてその楽しみが終われば、この世界の文化を抽出するのだろう。生命体を物理的に精神的に概念的に絞りあげ、そこから出る『何か』を得て満足するのだ。その結果、この世界がどうなっているかなど関与するつもりもない。


 数多あるダンジョンの区域。複数の世界が重なった亜空間。それもまた、そうして抽出されて取り込まれた者なのだ。チャンネルを見て<ダンジョン>の言葉を聞いたものは、それを唐突に理解する。


 理解に過程などない。相手が存在なのだと理解してしまう。災害を前にして死を覚悟するように、圧倒的な存在が産むイメージは理屈や理論など意味をなさない。


 40万人の同接者は絶望でコメントすらしなくなった。ただどうしようもない存在を前に、思考が止まっていた。


 そんな中、死も相手の脅威も理解したうえで言葉を放つ者がいる。


「残念だが、その嗜好はすぐに終わる」


 七海アトリだ。


 思うだけで空間を割き、その気になれば世界をあっさり崩壊させることができる存在。それを理解しながら、はっきりと口にする。


「某がダンジョン殿を斬る。それで終わりだ」


 斬る。


 戦闘好きなサムライガールは、はっきりとそう言い放った。


「斬る。ふむ、それは私を消せるという事か? その原始的な棒で、それが存在する時空に干渉できる私を斬る? 如何なる奇跡を宿せば可能なのだろうな」


「あいにくと無知ゆえに時空も奇跡も知らぬ。某は刀を振るうのみ。それ以外のことはできぬよ」


 ただひたすらに刀を振る。アトリは刀の切っ先を<ダンジョン>に向け、平然と言い放った。


 

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