弐拾弐:サムライガールは祈りを束ねる

<ダンジョン>が動くたびに世界が割れる。


 割れる。三次元より上位次元からの圧力を受け、三次元という空間が保てなくなる。卵に圧力を加えて、殻にヒビが入るように世界が割れていく。そしてそのヒビに触れただけで、三次元の存在は抵抗すらできずに全て無に帰す。


「――ふ」


 ゆえにアトリはそのヒビを避けるしかない。刀で受ければ受けた刀ごと消滅する。この世界から零れ落ち、意味を失う。鉛筆を消しゴムで消すように、存在が消されてしまう。


「ふはははは! 良い、良いぞ!」


 笑いながらアトリは<ダンジョン>に肉薄し、刀を振り上げる。対して<ダンジョン>は一瞥すらしない。近づかれたと同時に<ダンジョン>を中心に世界が振動する。箱を振って、中にある物の位置を調整するように、世界そのものを摑んで揺らしてアトリを移動させる。


「三十八回目。割れる空間を予測し、その隙間を縫うように迫り、そして斬ろうとする。大した存在よ。偶然を超える確率だ。狙ってやっているのなら、この次元の生命体にしてはかなり上位個体だな」


 それは賞賛なのだろうか? 繰り返される攻撃に<ダンジョン>はそんな言葉を返す。アトリが世界に入ったヒビを回避して迫り、そして飛ばされる。戦闘はその繰り返しだ。周囲一帯はヒビだらけで、安全な場所などほとんどない。動いている生命体はアトリと<ダンジョン>だけだ。


「しかし尽きぬは甘露な感情よ。貴様が無様に吹き飛ぶたびに感情は興奮し、立ち上がるたびに苛立ちを感じる。そしてまた飛ばされて興奮する。こんな遊びにここまで心が揺らぐとはな。


 いやはや、戯れてみるものだ。階位を落として見なければ理解できないこともある。他人の不幸を味わう。下劣ながら甘美な感覚よ」


 しろふぁんの感情を楽しむ<ダンジョン>。アトリを倒したいという感情はしろふぁんのモノで、<ダンジョン>は自らスケールダウンして憑依しているだけに過ぎない。他人に嫉妬し、恨んだ相手を力で伏す感覚。それを味わったことなどなかったのだろう。
























 コメントは、沈黙している。

























<ダンジョン>が言っていることが事実なら、どうしようもない事だ。神や悪魔のような理解を超えた何かが世界を壊そうとしているのだ。


「まだまだ壊れてくれるなよ。しばらくはこの感覚を楽しみたいのでな」


「当然だ。この程度で屈していたら、姉上に笑われる。まだ姉上との戦いの方が絶望的だったぞ」


 何度も何度も吹き飛ばされて体中ボロボロの状態で、アトリは気丈に言い放つ。致命的なダメージを避けているのか、血まみれではあるが構えに隙は無い。呼吸を整え、静かに口を開く。


「次は斬る」


「三十九回目の宣言だな」


「全く不甲斐ないの一言だ。ここまで斬れないとは。まだまだ某は修行不足なのだと実感するよ」


 宣言すると同時にアトリは踏み込む。稲妻を描くように左右に動き、そして真っ直ぐに斬りかかる。肉薄する直前で跳躍して相手の頭を超え、空中で刀を振るって<ダンジョン>を斬――空間がまた揺れて、アトリは大きく吹き飛んだ。


「三十九度目の正直には至らなかったな」


「ならば四〇回目だ」


 起き上がり、刀を構え、そして斬る。しかし刀は届かず、また吹き飛ばされる。


 世界を壊し、世界を揺らす。挙動の一つ一つが世界崩壊レベルのエネルギー。それを一度に振るわないのは<ダンジョン>がこの戦いを楽しんでいるからに過ぎない。アトリが倒れて動かなくなれば、その瞬間に世界は終わる。

























 コメントは、沈黙している。

























 勝てるはずがない。勝てるわけがない。刀は届かず、アトリは何度も吹き飛ばされている。そもそも刀で斬れる相手なのか? ただ世界の終わりを数分引き延ばしているだけなんじゃないのか?


「もうすぐ三桁になるぞ。私を斬るという啖呵はまだ尽きぬか?」


「無論だ。この刀はダンジョン殿に届く」


 アトリの行為は止まらない。息も荒く、肺も激しく動いている。それでも構えだけは揺るがない。瞳も表情も、強敵を前にした薄い笑みのままだ。

























 コメントは、沈黙している。

























 単調な攻撃の繰り返し。終わらない絶望の戦い。だれもが口をつぐみ、世界の終わりを待つ。それしかないと同接者すべてが思っていた。


「ああ、某は口下手ですまないな。単調な動作ばかりで退屈させてしまったか。飽きさせぬために喋らないといけないのだな。配信の難しいところよ」


 沈黙するコメントを前に、アトリはそんなことを言う。配信の基本は配信者のトーク能力。そんなことを思い出し、深呼吸の後にこう告げる。


「この配信を見ている者達が斬れると信じてくれれば斬れる。その言葉、その想いを刃に乗せ、一刀両断して見せよう。


 さあさ。伸るか反るかは皆様次第。この一刀、皆の想いを受けて振るおうぞ」


 言って刀を構えるアトリ。

























 コメントは、沈黙している。

























「これは外した、という奴か。恥ずかしいなぁ」


 答えのないコメントに、むぅと唸るアトリ。


(なに言ってんのさ、このサムライ)

(そんなことに意味あるわけないじゃないか)

(俺達のコメントとか想いとかで、どうにかできる相手じゃないだろうが)

(オレたちは、それこそ名無しのモブなのに)

























 コメントは、沈黙している。

























(ああ、そうだよ。こんなのどうしようもないじゃないか)

(俺達は強くない。ただ見ているだけの存在で)

(世界の命運とかも画面越しで)

(全部任せるしかない力のない存在なのに)















































 コメントは、沈黙している。

























(なんでそんなこと言うのさ)

(何の意味もない)

(俺達の言葉に意味なんて、ないのに――)














 コメントは、















『やれよ』















 コメントは、















『斬れ!』

『やっちまえ!』

『アトリ様ならいける!』















 コメントは、















『そんな奴斬ってしまえ!』

『アンタならいける!』

『俺達の言葉でいいならいくらでもかけてやる!』

『無敵の侍に斬れないモノはない!』

『やっちまえええええええええええ!』

『そうだ! 斬れる! 斬れるぞ!』


 コメントは、止まらない。


『ダンジョン様がなんだ! それを斬るのがサムライだ!』

『空間すら切れるんだから、ダンジョンぐらい斬れる!』

『ここで斬れなきゃ世界が終わる! 一刀両断して見せろ!』

『サムライガール! レディ、ゴー!』

『アトリ様がやらなきゃ誰がやる!』

『そうだ! 斬れ、斬っちまえ!』

Do it,SAMURAIやれ、さむらい!』

Genau,Samuraiまかせたぜ、さむらい!』

Protéger le mondeせかいをまもって!』


 50万を超える同接者からのコメントは止まらない。


 それは何の力も持たない言葉。ただの情報。すぐに消える文字列。


 しかし、そこに込められた思いは紛れもなく生きた感情。その感情はアトリと、そしてアトリの持つ刀に宿る。


 祈り。


 宗教的な意味でいえば、神と繋がる行為。誰もがなしえる最低限の奇跡。しかし神はここにいない。祈る相手はアトリとその刀。この刀が<ダンジョン>を切り裂けるようにと言う思いがそこにある。


「斬るぞ、ダンジョン殿」


 アトリはその祈りを束ねるように宣言し、足を踏み出した。


「――っ」


<ダンジョン>はその刀に手を向け、空間に亀裂を入れる。三次元の物質はそこに触れれば消滅するはずだが――


 ガキン!


 刀と空間のヒビが重なり、音を立てる。アトリの刀は消滅することなく、この世界に存在していた。


「三次元の物質なのに消滅しない、だと!? 祈りを束ね、高次元に至ったというのか! この世界で言う神に届く力を得たというのか!」


「さてな? 某は頭が悪いのでその辺りの理屈はわからんよ。


 ただ言えるのは、某は斬る。それだけだ」


 唾競り合うアトリと<ダンジョン>。互いの呼吸すら届きそうな距離。アトリは力を込めて刀を押し、<ダンジョン>は手をかざしたまま汗を流す。


『押せ!』

『そのまま押し切れ!』

『サムライの距離だ!』


 コメントが増すにつれて、刀はじわじわと進んでいく。


「ぐ……! こんな原始的な物質にこれほどの信仰心が宿っているだと!? 振るう者の精神性で束ねられて高品質のアストラル攻撃に昇華されている! こんな、神秘の宿っていない物質程度に!」


<ダンジョン>を守るように、世界に亀裂が走る。その声には明らかな焦りがあった。この刀に斬られる。その感情が<ダンジョン>の声に混じっている。そしてその感情の正体は、恐怖。


「恐怖……! 私は恐怖を感じているのか!? 宿った個体の感情ではなく、が……斬られるかもしれないと感じている、のか!?」


 最初は憑依したしろふぁんの恐怖だと思っていた。


 しかし、しろふぁんはアトリに斬られると恐怖したことはない。鞘で指と睾丸を潰されるかもしれないという恐怖こそ感じたが、刀で斬られると思ったことはない。


<ダンジョン>はアトリの顔を見た。


 そこに浮かぶ、笑み。自分を斬るという明確な意思を込めた表情。斬る。その感情以外感じない狂った笑み。


「ふふ、ふふふふ、ふはははははは! 人間とはなんと恐ろしい!」


 その感情を感じ取り<ダンジョン>は笑う。


「死。存在の消滅。それが逃れられぬ距離にいる。なんと恐ろしい! そして素晴らしい!


 死は恐ろしい。だから全力で抵抗せねばな!」


 世界にヒビが入る。それがアトリの体に触れ、その部分を破壊していく。肉体に入ったヒビは連鎖的に広がり、アトリの存在をこの世界から消滅させるだろう。肉体も、精神も、魂も。彼女がここにいたというすべてを砕いていくヒビが広がる。


「見えた」


 体中に走るヒビに自らを砕かれながら、アトリは見た。金城鉄壁の隙間。殺意に満ちた波の乱れ。数多の呼吸にあるわずかな違い。言葉では示せない、小さな違和感。


 それは<ダンジョン>の攻撃時に生まれた防御の隙。それは物理的な隙であり、精神的な緩み。時間にすれば僅かな隙を感じたアトリは、好機とばかりに足に力を込めた。大地を踏みしめる力が膝、腰、背骨、肩、肘、手のひらに伝わる。


 力を受けて刀は進む。わずか数センチ。しかしこの距離では決定的な数センチ。刃は肉体に届き、そしてさらに進む。ただの刀なら切ることのできない<ダンジョン>の肉体。しかし――


『斬れ!』

『やれ!』

『行け!』

『お前が希望だ!』

『やれえええええええええ!』

『生きて帰ってこいや! ウチ信じとるからな!』


 祈りコメントが、力になる。


 50万を超える同接者の意思が積み重なり、世界を食らう存在に届くほどの奇跡に昇華されていく。


 ――ザンッ!


「九八回目、ようやく斬れたな」


 物理的且つ概念的な確かな感触。相手の終わりを感じたアトリはそう告げた。


 アトリの刀は<ダンジョン>が宿るしろふぁんの首を薙ぎ、その頭部が宙に舞う。終わりを確信したのか、アトリは無言で納刀する。


 チン、と鞘に収まる音が響き、首が地面に転がる。その首が、僅かに口を開いた。


「なんと……なんと!? お――み、ごと」


 首だけの状態でそれだけ喋った後、<ダンジョン>は沈黙した。

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