玖:サムライガールは中層ボスと相対する

 アトリのダンジョン攻略は続く。


 少し駆け足と言った速度でダンジョンを進み、設置された罠を避けて斬って突き進む。襲い掛かるモンスターを切り捨てる。足を止めるのはほんの数秒。基本は走りっぱなしだ。


 アトリはさして喋ったりしない。退屈な移動シーンになると思いきや、


『オーガをあっさり倒すとかすごくない!?』

『ケンタウロスの弓を斬って突き進むとか本当に人間か!?』

『うぉ!? 壁から槍が!』

『幻覚トラップだってなんで気付いたの!?』


 コメント群は沸きに沸いていた。何せ走ってダンジョンを進む生配信動画は他にはない。正確に言えば、大抵そう言った輩は罠を踏んで死亡したりモンスターに襲われて逃げ帰ったりしているのである。


「何でと言われても、修行したからとしか言えぬ。肌にピリッと来るというか、脊髄がぞわりと走りというか、こちらに向かう線が見えるというか」


 なんでその攻撃が避けられるの? 罠がなんでわかるの? そんな問いにアトリが答えたのがこの言葉だ。理解できるものはおらず、アトリ自身もそれ以上は説明ができない。そういうものなのだ、としか言えない感覚だ。


『わからんわからん!』

『次元が違うわ』

『基礎が違うと高度な理論とか感覚は理解できないってやつだな』

『それを上手く教えれないのは如何なものか?』

『無理。基礎がない人間にはその先のことは理解できない』

『腕立て伏せもできない漏れたちに、トライアスロンのコツを言われてもわからんのと同じ』

『↑ すげー納得できた。無理』

『つーか、スキルないのに【罠感知】や【蝶の舞踊】顔負けのことされたら、企業のメンツ丸つぶれじゃね……?』

『そ れ な』


 コメントは増え続ける。気が付けば同接数も5万を超えていた。アトリの活躍を知った閲覧者がSNSで宣伝し、そこから数が増え続ける。


 もっとも、アトリ自身はその数自体に拘泥しない。


 正確に言えば、まだこの程度かと己の未熟さに打ちひしがれる。


 アトリが目標とするのは姉の七海ツグミ。<武芸百般>鳳東と呼ばれた配信者。その数に比べればまだまだ足りない。


 追えども追えども届かぬ背中。追えども追えども届かぬ剣。それが自らの未熟を示している。姉上ならもっとうまくやれた。姉上ならもっと華麗にできた。姉上ならもっと素早くできた。姉上なら――


 それはアトリ本人さえも気づいていない想い。正確にはあまりに思い、崇め、追い続けるがゆえに心に染みついた焦燥。追っても追っても届かない背中に、斬っても斬っても追いつけない事実に、心の根底に淀む内部に潜む自分ペルソナ


「いやいや。褒めていただくのはありがたいが、まだまだ修行中。姉上に比べればまだまだ児戯。至らぬところを見せてしまい恥ずかしい所よ」


 姉に届かぬ思いを面に出さず、謙遜するアトリ。目指すべき目標という祝福。或いは、彼女自身気づいていない呪い。この刀を握った時から、ずっと彼女を縛っているナニカ。七海アトリの人格を構成するナニカ。


『これで児戯とか言われても』

『逆に言えば<武芸百般>どんだけヤバかったんだよ』

『まあ確かにあれはすごい。下層でコメントに返しながら戦うとかバケモノ』

『あれは『ワンスアポンアタイム』のサポートありきだろ?』

『いや。ソロ配信でやってた』

『だな。リアルタイムで見てた身からすると、あれは神動画だった』


 姉が褒め讃えられるのを聞き、誇りに思うアトリ。


 同時に、自分はまだまだなのだと思う。


 何年も積み重なる劣等感という汚泥は簡単には拭い去れない。姉であり、師であり、目標でもある姉。その功績が神々しいからこそ、その教えを真似した程度の模倣品は自らの欠点がよく理解わかる。


(まだまだ足りぬ。まだ姉上には届かない。もっと、もっと、もっとだ!)


 アトリは自分を追い込むようにダンジョンという危険に挑み、そしてそれを踏破する。死を常に感じる戦場ダンジョンで鍛えられた五感と剣技。それらは現在進行形で研ぎすましている。


 そして、アトリは中層と下層を繋ぐ移動門にたどり着く。上層の移動門と同じく、ここにも門を守る番人がいる。時間によってランダムに入れ替わるモンスター。


「この熱気は――火蜥蜴ひとかげか」


 赤き炎を身にまとい、燃えるメイスと盾を構える二足歩行する爬虫類型のモンスター。その名を――


『サラマンダーだ!』

『げええええええ!』

『【炎武器】【炎鱗】【炎吐息】【炎尾】のバチクソ炎系モンスター!』

『弱点つくこと前提の魔物だけど……』

『都合よく【氷】系のスキル持ってるわけないだろうが! ダンジョンはクソだ! 運営でてこい!』

『↑ わかる』

『そもそも【氷】スキルとか買えない』

『そもそもスキルシステムが買えない』

『↑ 分かる(血涙』


 悲哀を語るコメントはさておき。


 サラマンダー。原典は炎から現れたオオサンショウウオである。そこから転じて炎を纏うトカゲをそう呼称されるようになった。


 コメントにあるように炎を扱うスキルに長ける。【炎武器】と【炎尾】は手にした武器と尾に炎が纏って攻撃力が増し、【炎鱗】は身体に炎を纏う事が可能になり、高温耐性を得る。【炎吐息】は口から炎を吐き、遠くにいる相手を攻撃できる。


 総括すれば、遠近共に対応できる炎系モンスターである。身長こそ2mの人型と中層の敵の中では小柄の方だが、移動門を守るボスである以上は相応の体力と戦闘能力を持っている。


「全く、今日はついているな。上層では牛頭ごずに出会い、そしてここで火蜥蜴ひとかげか。強きものとの戦いは、血が滾る」


 言いながら抜刀するアトリ。コメント自体は目を通しているが、意識はすでに戦いに移行している。


「我が鱗に誓って、ここは通さぬ」

「誓えるものなど何もないが、通させてもらおう」


 口を開いて言葉を発するサラマンダー。それに答えるアトリ。躱す言葉はそれで十分、とばかりにアトリは踏み込み大上段から刀を振り下ろす。


『速い!』

『まっすぐ行ってぶった切る! ストレートでぶった切る!』

『なんちゅう歩法だよ!』

『本人視点だと重心がズレてないのがよくわかる!』


 反応できたコメントは数個だけ。おそらくアトリと同じく近接戦闘系の配信者だろう。


『え? え?』

『いきなり動くな!』

『は?』


 おおよそのコメントは合図なしに始まった戦闘に驚くばかりだ。これまでとて合図のない攻撃だったが、今回は今まで以上に動きが速い。踏み込み、斬る。その動作を単純化し、しかし威力を殺さず。余分な動きを削ぎ落し、最適に近づけるのが技術。


 そして――


『止められた!』

『盾で止めた!』


 ガキン! サラマンダーの盾がアトリの刀を受け止める。同時にアトリの脇腹を突こうと燃えるメイスが迫った。アトリはそれを予測していたかのように、サラマンダーの横に回るように足を運び、


『その方向はマズい!』

『尻尾が来る!』


 浮遊カメラで俯瞰視点から見ていた者からのコメントが飛ぶ。サラマンダーの尻尾が横に回ろうとするアトリの足を払おうと振るわれていたのだ。気付いた時にはすでに遅い。アトリがコメントを確認して避けるには遅いタイミングだ。


 故に―― 


「しっ――!」


 それを避けられたのはコメントより早く察していたからに過ぎない。尻尾が薙ぎ払われるタイミングで足を浮かし、尻尾の直撃を避ける。今度はこちらの番とばかりに下段に奮われた刃がサラマンダーの足を狙う。


『とった!』

『避けられるタイミングじゃないお!』

『右足ゲット!』


 コメントの誰もがアトリが斬るシーンを想像した。が、


『避けた!?』

『は!?!?!?』

『嘘だろ! 尻尾で体支えてる!』

『こんな動きするのかよ、サラマンダー!』


 サラマンダーは振るった尻尾で地面を踏みしめて自分を支える。そのまま両足を浮かし、アトリに蹴りを放った。炎を纏った蹴りはアトリの肌を焼き、熱波が体力を奪っていく。汗が流れ、呼吸の度に焼けた空気が肺を焼く。


「見事な動きだ。今ので仕留められないとはな」


 盾で防御して、メイスでの突き。そして尻尾の不意打ち。更には尻尾で自分を支えての蹴り。尻尾を駆使した打撃と蹴り。盾とメイスの堅牢な戦闘技術。それがサラマンダーというモンスターの強さだ。


「よもやこれで終わりということはあるまい?」

「当然。そちらこそ、今ので満足したわけでも無かろう」


 盾とメイスを構え直すサラマンダー。盾で心臓と腹部を守り、メイスを高く掲げる。炎が揺らめき、それがサラマンダーの感情を示しているようだった。


「はっはっは。当然だ」

「燃ゆる槌にこの戦いを捧げよう」


 煌煌と燃える炎。轟々とうねる炎。それに負けぬ闘志を燃やすアトリ。


『やべえ! 見入ってた!』

『つーか、サラマンダーってこんな武人キャラだったのか!』

『認めた相手にだけ喋るとかそんな感じだろうな、これ』

『喋ったとしても言葉返す余裕なんてないよ!』

『だよなぁ。悪いけどサラマンダー相手だとどう氷を当てるかに必死になる』

『そもそもソロでサラマンダーとかムリ!』

『しろふぁんの中層ソロ配信でも、ボスは違ったからな。たしかグランタートル。動き遅いから、30分かけて逃げながら攻撃してた』

『しろふぁんで思い出したけど……まだ配信開始から一時間も経ってないぞ』

『は? マジか!』

『しろふぁんの記録、余裕で塗り替えてるんですけど……』

『しかもしろふぁんのは中層開始からボス突破まででニ時間弱。このサムライは上層からここまでが50分……』

『アリエネー!』

『ずっとダンジョン内を走り続けてたからなんだろうけど……そもそもそれがおかしい』

『罠を秒で突破して、モンスターも駆け抜けざまに切り裂いて、ほぼ足を止めずに進んできたからなぁ』

『このまま勝てれば、しろふぁんの記録を余裕で塗り替えられる……?』


 同接者達は新たな記録の瞬間を見ようと、唾をのむ。


 だが画面の向こうで繰り広げられるアトリとサラマンダーの戦いに心奪われ、その事も忘れてしまう。


 同接数は7万人を超え、更に増えつつあった。

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