雨の日、洗濯を待ちながら(5)

 千枝美ちえみがきく。

 「どう、わからないわけ?」

 「あれ、胸にあなけて血が飛び散る、って書いてるけど、朝穂あさほは、血を飛び散らせて倒れて死ぬ、って方向じゃないんだよね。もしかすると次の瞬間はそうなるかも知れないけど、そこは考えてない」

 「ああ」

 いま千枝美が考えた「立ち往生おうじょう」と同じような考えだな。

 「むしろ、こう、立ったまま、血を空に飛び散らせて、空を自分の血の色に染めてやる、って、女神さまにでもなったような感覚? それが、夕焼けほど美しくはならない、って、かえってよくわからなくて。でも、成り立ってるよね。女神さまでも夕焼けに勝てない、って」

 朝穂。

 やっぱり自分は女神さまのつもり。

 そんな自意識なんだろうな。

 「で、泰子ひろこちゃんのが、牧水ぼくすいの歌で「ただよう」って感じになってて、それが牧水らしいって評価されてるんだろうけど、それを、白鳥は自分の意志で飛べる、ってひっくり返したのがいいよね」

 いいのかなぁ?

 あいはとてもまじめに言っているので、千枝美もまじめに言うことにする。

 「でも、それが伝わるようにできてないよね。ただげ足取ったみたいで」

 「ま、だからそこは、朝穂の勝ちでいいんだよ」

 ……なんか。

 はぐらかされたような感じだが?

 「で、さ。猿渡さわたり先輩を完敗させたことは、樹理じゅりは相当異議あるみたいで。樹理らしくなく、もごもごもご、って感じだったけど」

 さっきは「とろとろとろとろ」と言っていた。

 「うん」

と千枝美は答える。

 「想像できないよ、樹理がもごもごとか」

 少しでもルールからはずれたらアウト!

 それを杓子定規に適用して何ごともきっぱり決めてきっぱり言うのが、まじめ意地悪橋場はしば樹理なのに。

 「そんなの違う! ぜんぜん違う!」と言ってから、あのゆうが詠んだパンダ先生のように「ダダダダダダダ」と行くのがいつもの樹理だ。

 「でも、あれ」

と、愛が思わせぶりに言う。

 「わたしが、寺山てらやま修司しゅうじの短歌のことを言わなければ、猿渡先輩が勝ったのかな?」

 その愛の考えはわかった。

 「もしかすると、ね」

 千英ちえは夢のあるファンタジー短歌だと思って勝ちにしたかも知れない。

 千枝美自身だって、その昭和のだれかの短歌をもとにした、って指摘された猿渡先輩が、「ほくそ笑む」という感じで自信たっぷりに笑ったのを見ていなければ、猿渡先輩に入れていた。

 「でも、やっぱり違うんだよね」

 愛が言う。

 「寺山修司のばあい、自分が、その昭和の戦争って経験してるわけ。子ども時代だけど。しかも、マッチをる瞬間だけ、海にいちめん、って霧が、一瞬だけ、見えるわけ。それで、海へと、特攻機とかで突っ込んでいった若者とか? 寺山修司より十歳とか上の、若いお兄さんたちだよね。そういう、ほんと、身を捨てたひとがいた、って、パッと頭に浮かんだ、ってわけだと思う。そういう痛さとか緊張感とか? それが、猿渡先輩の短歌にはない、って、それは言っときたかった」

 愛の自己主張だ。

 授業以外で、こういう強い自己主張をするのは、珍しいと思う。

 「で?」

 千枝美はマグカップを置いて、顔を上げる。

 「言ったの? 樹理に」

 「言った」

 愛らしくなく、きっぱりと言う。

 「そしたら、優が怒った」

 だから、どうして愛され妹が怒る?

 いちど、この妹には、愛という名の姉の愛を、こんこんと教えたほうがいいのかも知れない。

 姉の愛 こんこんこんと 教えたい きつねになって こんこんこんと。

 いや。

 それとは違う!

 こんこんの意味が違う。

 たぶん。

 理系女子にはよくわからないけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る